『古事記』あらすじ

序文

序文
『古事記』の序文によると、まずはじめは天武てんむ天皇てんのう(在位六七三~六八六年)の発案によって、正しい歴史と系譜を確立して後世に伝えるために史書の作成を企画した。天皇は、これは国家運営のための根本に関わる事業であると言っている。当時、稗田ひえだの阿礼あれという二八歳の大変聡明な人物がいた。天武天皇はこの稗田阿礼に命じて天皇家の物語と系譜をそらんじさせるが、在世中に目標とする歴史書は完成しなかった。その後、持統天皇じとうてんのう(在位六九〇~六九七年)、文武天皇もんむてんのう(在位六九七~七〇七年)の御世を経て、元明天皇げんめいてんのう(在位七〇七~七一五年)が前代の事業を引き継ぎ、和銅四年(七一一年)九月に、稗田阿礼の諳んじる物語をおおのやす万侶まろに筆録させ、翌年の一月に『古事記』が完成した。

古事記の謎をひもとく 谷口 雅博 著   ※谷口雅博『古事記の謎をひもとく』(弘文堂、2018年4月)より

上巻

天地のはじまり
天地のはじまりの時、高天原という場所に、神々が出現した。はじめに出現したのは天之あめの御中主みなかぬしのかみ、次にたか御産巣みむす日神ひのかみ、その次にかむ産巣むす日神ひのかみだった。その後、地上世界がまだ未成熟で、水面に浮いた脂と同じく、クラゲのように漂う状態であった時に、葦の若芽のように萌えあがるものによって出現した神は、宇摩志阿斯訶備比古うましあしかびひこ遅神じのかみ、ついで天之あめの常立とこたちのかみであった。 ここまでの五柱ごはしらの神は、「他と区別された、特別なあまつ神」である。
次に国之くにの常立とこたちのかみ豊雲野神とよくもののかみが出現した。ここまでに出現した七柱の神はみなペアとなる神を持たずにそれぞれ単独で出現した神で、その身を隠しなさった。これ以後に出現する神はそれぞれ男女ペアで出現することになる。まず宇比地ういじ邇神にのかみ・妹須比智すいじ邇神にのかみ、次に角杙神つのぐいのかみ・妹活杙神いくぐいのかみ、次に意富斗能おおとの地神じのかみ・妹おお斗乃との弁神べのかみ、次に於母陀おもだ流神るのかみ・妹阿夜訶志古あやかしこ泥神ねのかみ、次に伊耶那いざな岐神きのかみ・妹伊耶那いざな美神みのかみが出現した。
神の結婚
天つ神から国土の修理固成しゅうりこせいを命じられ、あめ沼矛ぬぼこを授かった伊耶那岐(イザナキ)と伊耶那美(イザナミ)は、天の浮き橋に立って沼矛を下界に指し下ろして掻き回した。そして引き上げた矛の先から滴り落ちた塩が重なって島ができあがった。それがオノゴロ島である。
イザナキとイザナミはオノゴロ島に降って二神で男女の交わりをして国々を生もうとする。あめ御柱みはしらを左右から廻って声を掛け合い、結婚して子をなしたが、最初に生まれた水蛭子ひるこは、葦船あしふねに入れて流してしまった。次に生まれた淡島あわしまも、子の数には入れなかった。
二神は、女神の方から先に声を掛けたのが良くなかったのだと思って天つ神にそのことを確認した上で、婚姻のやり直しをし、改めて国生みを開始。淡路島・四国・隠岐島・九州・壱岐島・対馬・佐渡島・本州を生み、それから六つの小島を生み、その後に今度はさまざまな神々を生んだ。神々を生み続けていくうちにやがて火の神を生んだイザナミは、病になってしまう。
黄泉国
火の神を生んだことで身を焼かれ、異界に行ってしまったイザナミを連れ戻すため、イザナキは黄泉国よもつくにへと出向く。イザナキは、出迎えに来たイザナミに共に戻るように説得するが、イザナミは黄泉戸喫よもつへぐいをしてしまったのでもう帰れないと言う。けれど、とりあえず黄泉神と相談してくるから、その間決して中を覗いてはならないという禁忌を科してイザナキを待たせるが、なかなか戻ってこない。待ちきれなくなったイザナキは、右のもとどりにさしていた櫛に火を付けて中を覗いてしまう。すると、そこにはうじがたかり、からだの八箇所に恐ろしい雷神を生じているイザナミの姿があった。驚き恐れたイザナキはその場から逃げ出すが、イザナミは見られたことに怒り、予母都志許売よもつしこめや雷神を追っ手に遣わす。身につけていた髪飾りや櫛を投げつけながら逃走していたイザナキだったが、黄泉比良坂よもつひらさかの坂本まで来たときにとうとう雷神に追いつかれてしまう。そこでイザナキは、そこに生えていた桃の実を使って雷神どもを追い返す。すると今度はイザナミ自身が追いつき、イザナキが塞いだ大きな岩を間に挟んで、お互いに言葉を掛け合う。イザナミが「一日に千人をくびり殺す」と言ったのに対し、イザナキは「一日に千五百の産屋うぶやを建てる」と言った。これが人口増加の起源というわけである。
須佐之男命
黄泉国よもつくにから逃げ帰ったイザナキは、黄泉国のけがれを祓おうとして日向ひむか阿波岐あわきはらというところでみそぎをする。そこで自身が身につけていたものや体に付着していたものを払ったところ、そこからまたさまざまな神が出現するのだが、最後に左の目を洗ったところ天照大御神(アマテラスオオミカミ)が、右の目を洗ったところ月読命(ツクヨミノミコト)が、鼻を洗ったところ須佐之男命(スサノオノミコト)が出現した。
 三柱の貴い神を出現させてイザナキは大喜びして、アマテラスに高天原を、ツクヨミに夜の食国を、そしてスサノオには海原を統治するように命じた。  ところがスサノオは、自分は亡き母のいる堅州国かたすくにに行きたいと言って泣いてばかりいて、そのおかげで父のイザナキの怒りを買って追放されてしまう。その後は高天原たかまのはらに行って姉の邪魔をし、大暴れをして姉の石屋いわや籠もりの原因となる行為をする。高天原の神々の働きによってアマテラスは再び出現するが、その原因を作ったスサノオは追放される。
 その直後、スサノオはおお気津比げつひ売神めのかみという女神を殺害するが、出雲に降った後には八俣大蛇(ヤマタノオロチ)を退治し、大蛇に食われる運命にあった女神を救うことになる。
天の石屋の神話
スサノオが高天原にやってきたとき、アマテラスは「弟はこの国を奪いに来たに違いない」と疑いの心を抱いた。自らの潔白を証明しようとしてスサノオはお互いに「うけひ」をして子神を生もうと提案する。
お互いの持ち物(スサノオの剣、アマテラスの玉)を交換し、それぞれに口に含んではき出した息の中から、スサノオは五柱の男神を、アマテラスは三柱の女神を出現させるが、アマテラスは、子神の所属はそれぞれの持ち物の元の持ち主によると宣言する。するとスサノオは、自分が女神を生んだのだから、自分の勝ちであるとの勝利宣言をし、その勢いに乗じてさまざまにあばれる。
まずアマテラスが営む田の妨害をし、その田で取れた稲を食す儀式を行う場所に糞をまき散らす。アマテラスは、はじめはその行為をとがめないで寛大な態度を示すが、スサノオはさらに暴れて、機織はたおりの作業をする殿に皮を剥いた馬を投げ入れた。するとそれが原因で、機織殿で機を織っていた女神が驚いてで陰部を衝いて死んでしまった。
ここに及んで、とうとうアマテラスは石屋いわやに閉じこもってしまう。すると高天原も地上世界も真っ暗闇になってしまった。
八俣大蛇退治神話
高天原を追放されたスサノオは、出雲のの河上、鳥髪山の地に降り立つ。川の上流から箸が流れてきたのを見て、上流に誰かいるのだろうと思って訪ね上る。すると、真ん中に少女を置いて、両側で泣いている老父と老女に出逢った。
スサノオはその者たちの名と、泣いている理由を尋ねたところ、「自分たち夫婦はあしづちづち、間にいるのは娘の櫛名田比売(クシナダヒメ)だ」と答え、「自分たちには八人の娘がいたが、毎年八俣大蛇(ヤマタノオロチ)が訪れて娘をひとりずつ喰われてきた。今、最後の一人が喰らわれる時期となったので、泣いているのだ」と答えた。
スサノオはそのヤマタノオロチの姿形を尋ね、退治するための秘策を練り、娘を自分の妻として奉るように要求する。老父の言ったとおり現れたヤマタノオロチをスサノオは酒で酔わせ、眠ったところを剣で斬り刻んで退治する。
その時、大蛇の尾から一本の剣が出現し、ただの剣ではないと感じたスサノオはこれを天上界のアマテラスに献上した。これが後のくさなぎのつるぎである。
大国主神の神話
クシナダヒメと結婚したスサノオは、出雲の須賀に宮を作り、そこで結婚をし、子神を誕生させる。子神はさらに次々に次代の子神を生んでいく。やがてスサノオの六世孫として誕生したのが大国主神(オオクニヌシノカミ)であった。この神には、またの名が四つあった。大穴牟遅神(オオアナムジノカミ)・葦原色許男神(アシハラノシコオノカミ)・八千矛神(ヤチホコノカミ)・宇都志国玉神(ウツシクニタマノカミ)である。
オオクニヌシ――物語が始まってからは、オオアナムジの名で表される――は、兄の八十やそがみたちと一緒に稲羽いなばの八上比売(ヤガミヒメ)に求婚に出かける。その際に稲羽の素兎(シロウサギ)を助け、シロウサギからは「あなたがヤガミヒメを得るでしょう」と予言される。その予言どおりにヤガミヒメから求婚の承諾を得たオオアナムジであったが、それがもとで兄神たちの恨みを買い、命を狙われてしまう。二度も殺されてしまったオオアナムジであったが、母神の助力によって二度とも復活する。
しかし、このままでは本当に殺されてしまうと危惧した母神は、オオアナムジにスサノオのいる根の堅州国へ行くようにと指示する。指示に従って根の堅州国に出かけたオオアナムジは、そこでスサノオの娘、須勢理毘売(スセリビメ)と出逢って結婚する。
その後、スサノオからいくつかの試練を与えられたオオアナムジは、スセリビメの助力を得てそれらの試練を乗り越え、最後にスセリビメを連れ、スサノオの琴・弓・矢を持って根の堅州国から逃げ出すことになる。逃げるオオアナムジに向けてスサノオは、「お前はわが娘を正妻とし、その弓と矢でもって兄神たちを追い払い、オオクニヌシとなり、またウツシクニタマとなって、立派な宮殿を作れ」という言葉をかける。
その後は、ヤチホコの名で高志の沼河比売(ヌナカワヒメ)を妻問いに行く話と、スセリビメの嫉妬を描いた話が四首の歌と短い説明文とで綴られる。これを「神語かむがたり」というと伝える。
国譲りの神話
アマテラスは、かつてスサノオとの「うけひ」で産んだ男神五柱のうちの長男である天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)に、「この地上世界は倭が御子であるオシホミミが統治する国だ」と宣言をして、派遣する。オシホミミは、いったんはあめ浮橋うきはしに立ち、地上の様子を窺うが、地上世界はとても騒がしいと言って、高天原に還り上り、報告をする。報告を受けたアマテラス・高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)は、高天原の神々と相談し、「この地上世界(葦原中国)は荒ぶる国つ神どもが跋扈ばっこしている国だ。誰を派遣して言向ことむけ(服従)させようか」とたずねた。
相談の上、まずはオシホミミの弟にあたる天菩比神(アメノホヒノカミ)を派遣するが、この神は相手に寝返ってしまって、還ってこなかった。次に天若日子(アメワカヒコ)を派遣するが、この神は自らが地上の主になろうという野心を抱いていたために、自分が天上界に放った矢を投げ返されてその矢に射られて死んでしまった。
三番目に派遣された建御雷神(タケミカズチノカミ)は、オオクニヌシとその子神の事代主神(コトシロヌシノカミ)・建御名方神(タケミナカタノカミ)を服従させ、国譲りを成功させる。オオクニヌシは、「天神御子の宮殿と同じように壮大な宮殿を、自分が鎮まるために建ててもらえるならば、出雲国に鎮まるだろう」と言って国を譲り渡した。
天孫降臨神話(一)
国譲りの交渉が無事に終わり、ようやくアマテラスは子神を降臨させることができるようになる。当初降臨を予定していたオシホミミにアマテラスと高木神(タカギノカミ=タカミムスヒノカミの別名)が改めて降臨を命じたところ、オシホミミは、自分に子ができたので、この子神を降臨させようと言う。その子が番能邇々芸命(ホノニニギノミコト)である。ニニギは五柱の随伴神を伴い、あまつ久米命くめのみこと道臣命みちのおみのみことを先導役とし、筑紫つくし日向ひむかたか千穂ちほ久士布流くじふるだけに降臨する。
天孫降臨神話(二)
筑紫つくし日向ひむかたか千穂ちほ久士布流くじふるたけに降臨したニニギは、「ここは韓国からくにに向かい、笠沙かささ御前みさきにまっすぐに通っていて、朝日がまっすぐに差す国、夕日の照り映える国だ。ここはとても良いところだ」と言って、壮大な宮殿を立てなさった(これが高千穂宮である)。
日向神話
日向ひむかに降臨したニニギは、その後、笠沙の御前で一人の美女に出逢う。
名を尋ねたところ、大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘で木花佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)であるという。ニニギは求婚するが、娘は、返事は父がするという。話を聞いた父神はたいそう喜び、姉の石長比売(イワナガヒメ)と併せて嫁がせようと言う。
しかし姉のイワナガヒメはたいそう醜かったので、ニニギは妹のサクヤビメだけをめとり、姉の方は返してしまった。父神は怒り、「姉を嫁がせたのは、天神の御子の命が永遠につづくためであった。妹を嫁がせたのは、天神の御子たちが繁栄するためであった。今、姉を送り返したことによって、歴代天皇の命は木の花のようにはかないものになるであろう」と言った。
その後、ニニギはサクヤビメと「一夜婚」を行う。するとサクヤビメは一夜で懐妊をした。ニニギはそのことを疑わしく思い、「その子は地上の神の子であろう」と言ってサクヤビメを責めた。サクヤビメは、自身の潔白を証明しようと思い、戸のない室に籠もり、火を放ってその中で出産をする。「これで無事に生まれなかったならば、この子は地上の神の子でしょう。無事に生まれたならば、そのときは間違いなく天神御子であるあなたさまの子なのです」と言い、決死の出産を行うのであった。
やがて無事に生まれたのか、火照命(ホデリノミコト・海幸彦)、火須勢理命(ホスセリノミコト)、火遠理命(ホオリノミコト・山幸彦)であった。
この後にいわゆる「海幸山幸の神話」が展開し、結果的に兄であるホデリは弟のホオリに従うところとなる。このホデリは、隼人はやとの祖であるという。
鵜葺草葺不合命の誕生
ホオリは、海神宮の娘、豊玉毘売(トヨタマビメ)を妻としていた。あるときトヨタマビメが、ホオリの子を懐妊したが、天神の子を海原で産むわけにはいかないと、海神宮からやってきた。トヨタマビメは、「私たちの国の者は、出産のときには本国の姿になって産むので、その姿を見てはならない」と言い、の羽を茅葺かやぶきとした産屋うぶやに籠もって出産をしようとする。ところが産屋が完成する前に産気づいてしまい、ヒメはその産屋に籠もって出産しようとする。「見てはならない」と言われていたホオリは、見たいという気持ちを抑えることができずについ覗いてしまった。するとそこに見えたのは、八尋和邇やひろわにの姿となってのたうっているトヨタマビメの姿であった。ヒメは無事に子神(鵜葺草葺不合命うがやふきあえずのみこと)を出産するが、見られたことを恥に思い、ホオリを恨んで海神宮の世界に戻ってしまう。

中巻

神武東征
『古事記』上巻は、鵜葺草葺不合命うがやふきあえずのみこと玉依比売たまよりひめとの間に四柱の男子が誕生し、その内の次男の稲氷命いなひのみことが「ははの国」として海原に入り、三男の御毛みけ沼命ぬのみこと常世国とこよのくにに渡ったというところで終わる。中巻は、残った長男と四男とが、天下を治めるべき良き場所を求めて東へ行こうと相談するところから始まる。この長男が五瀬命(イツセノミコト)、そして末っ子の四男が神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)、すなわち神武天皇じんむてんのうである。
一行は高千穂宮を出発し、筑紫・安芸・吉備などを経て大阪湾に入り、大阪方面から大和へ入ろうとするが、在地勢力の抵抗にあい、兄イツセは矢に射られて負傷してしまう。そのとき兄は、「日の神の御子として、日に向かって戦うのは良くなかった。これからは迂回をして日を背に負って戦おう」と言った。
しかしその後、兄イツセは紀伊国において戦死してしまう。残った一行は紀伊半島を南下して熊野から大和へ入ろうとする。熊野に至った際には大きな熊が現れて、一行を気絶させる。そのとき、夢で高天原のアマテラス・高木神(タカギノカミ=タカミムスヒの別名)の命を受け、剣を授かった高倉下たかくらじという者が、その剣をもたらしたところ、一行は目覚めることができた。
その後、タカギノカミが授けた八咫烏やたがらすの先導を受けたり、国つ神の服従を受けたりしながら、刃向かう者を征討し、苦労しながらもヤマトの畝傍うねび白檮原宮かしはらのみやで即位する。
神武天皇(初代)から綏靖天皇(第2代)へ
神武天皇崩御の後、多芸志美々命(タギシミミノミコト)なる人物が神武皇后の伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)を妻とし、神武天皇と皇后との間に生まれた三人の皇子を殺して自分が天皇になろうとする。子供たちに危険が迫っていることをなんとかして知らせたいと思ったイスケヨリヒメは、タギシミミに気づかれないよう、歌を歌って子供たちに伝えようとした。子供たちは歌の意味するところを理解し、タギシミミを討つ。
崇神天皇(第10代)
崇神天皇すじんてんのうの御世、疫病が流行し、人民は尽きようとしていた。この危機をどうすれば乗り越えられるのかと苦悶する崇神天皇は、ある夜、神床かむどこという、神の意志を夢で窺うための床で寝ていたときに、夢に大物主神(オオモノヌシノカミ)が現れて託宣を下す。
その託宣は「この疫病は私の意志である。今、意富多多泥古(オオタタネコ)を連れてきて私を祀らせたならば祟りは止み、国も安らかに平らかになるであろう」というものであった。
天皇が四方に使者を派遣してオオタタネコを探させたところ、河内かわち美努村みのむらで発見された。それでオオタタネコに尋ねたところ、この人がオオモノヌシの子孫であることがわかったので、この人を神主としてオオモノヌシを祭り、大和の神々をことごとく祀ったところ、神のたたりは治まり、天下は平らかになり、人民が栄えたという。
天皇はその後、ヤマトの国外に将軍と兵士を派遣して、従わない者どもを従わせるようにした。派遣された将軍たちは任務を終えてヤマトに戻り、それぞれ報告を行った。その後、天皇は初めて人民に狩猟の獲物の貢納と織物の貢納を課した。それらの事績から、その御世を称えて「初国はつくにを知らす真木まきの天皇すめらみこと」というのである。
垂仁天皇(第11代)
垂仁天皇すいにんてんのうの后・沙本毘売(サホビメ)は、あるとき兄・沙本毘古(サホビコ)から、「夫と兄とどちらを愛しく思うか」と問い詰められる。サホビメは兄を愛しく思うと答える。すると兄は、「それならばお前と私とで天下を治めよう」と言い、妹に小刀を渡して天皇の寝首を掻くように指示する。
そんなこととは知らずに、天皇はサホビメの膝を枕に寝ていたところ、サホビメはくびを刺そうと三度試みるが、天皇に対する「哀情」に堪えられず、刺すことができなかった。そして目覚めた天皇が、自分がみた不思議な夢について語り、サホビメはその夢の夢解きをする形で、自分と兄サホビコとの計略のことを洗いざらい打ち明ける。
話を聞いた天皇は軍勢を集めてサホビコを討とうとするが、そのときサホビメは兄を思う情を押さえかねて兄の籠もる稲城(稲束を積み重ねて作った城)の中に入ってしまった。そのときサホビメは妊娠していた。天皇は、サホビメが懐妊していることと、これまで愛しんできた思いに堪えかねて、兄サホビコを攻めることができずにいた。
そうこうするうちにサホビメは御子を産んだ。サホビメは、「もしもこの子を天皇の子と思ってくださるならば、迎え入れて欲しい」と願い出る。サホビメを愛する思いを棄てられずにいる天皇は、御子を受け取る際にサホビメも共に連れ出すよう、家臣に命じるが、サホビメは事前にそのことを察知していたので、家臣に捕まえられることはなかった。
その後、天皇はサホビメに御子の名前をどうするか、養育はどうするかなどをたずね、また次の后をどうすればよいのかをたずねる。そのように天皇はサホビコを攻めるのを引き延ばしてきたが、とうとうやむを得ずサホビコを滅ぼした。その妹であるサホビメも兄に従って命を落とした。
本牟智和気御子
サホビメの産んだ子の名を何と付ければよいか、天皇から問われたサホビメは、「稲城いなぎを焼く時に火の中から生まれたので、ホムチワケノミコと付けましょう」と言った。
さてそのホムチワケは、舟に乗せて遊ばせていたのだが、ひげが心臓のあたりに届くくらい大人になっても、口を利くことができなかった。ある時、くぐいが鳴きながら飛んでいくその鳴き声を聞いたところ、あごを動かして片言を発した。それで天皇はその鳥を捕まえるために追いかけさせた。鵠は各地を経巡った後、高志の国で捉えられ、ホムチワケのもとに連れてこられたが、それでもホムチワケはやはり口を利くことができなかった。
天皇が愁えて寝ていたところ、夢に現れた神が託宣をくだした。「私の宮を天皇の御殿のように修造して整えたならば、御子ホムチワケは話すことができるようになる」と。それで占いをして神の正体を確かめたところ、これは出雲大神の祟りであるということがわかった。
天皇はホムチワケに家臣を添えて出雲に出向かせ、神を拝んだところ、ホムチワケは呪文のような言葉を唱えだした。それで周りの者は口が利けるようになったことを歓び、天皇への報告の使者を遣わした。
ホムチワケは出雲大神を拝んだ後、肥長比売(ヒナガヒメ)という女性と一宿婚ひとよこんをした。だが、その女性の様子をこっそりと覗いてみると、蛇であった。ホムチワケは恐れをなして逃げたところ、ヒナガヒメは海を照らして追いかけてきた。ホムチワケはますます畏れてヤマトへ逃げ上った。
景行天皇(第12代)と倭建命
景行天皇けいこうてんのうにはたくさんの皇子・皇女がいたがその中に大碓命(オオウスノミコト)・小碓命(ヲウスノミコト=やまとたけるのみこと)という兄弟がいた。ある時、オオウスは父天皇の命令で、美濃国に住む兄比売えひめ弟比売おとひめという美人姉妹を天皇の妃として喚上するための使者として派遣される。しかしオオウスはその二人の姉妹を自らの妻としてしまい、父天皇には別の女性を身代わりとして偽って宮中に連れてくる。そのことに気づいた天皇は身代わりの女性を召すこともなく、鬱々として過ごしていた。
その後のこと、天皇はヲウスに向かって、「お前の兄はどうして朝夕の食事の席に参上しないのか、お前からよくよくねんごろに教え諭しなさい(ねぎし教へ覚せ)」と命じる。それでも一向に食事に現れないことを不審に思った天皇は、再びヲウスに向かって、「お前は兄を教え諭したのか」と確認したところ、すでに「ねぎ」した(教え諭した)という。どのように「ねぎ」したのかというという問いに対してヲウスは、「明け方に兄が厠に入ったときに待ち受けて捕まえて、手足をもぎ取ってこもに包んで投げ捨てました」と答えた。それを聞いた天皇は、我が息子の猛々しく荒々しい心に恐れを抱いて、遠く熊曽くまその地にいる熊曽建(クマソタケル)という二人の兄弟を討ちに遣わすこととした。
ヲウスは女装をして宴席のクマソタケルに近づき、油断させた後にこの二人を殺害する。二人目のクマソタケルを討つに際して、クマソタケルは、「自分たちに益して勇猛な男が倭国にいた。そなたに我が名をたてまつろう。これからは倭建やまとたけるの御子みこと名乗るがよい」と言い置いて死んだ。
クマソタケル討伐の帰路、倭建命(ヤマトタケルノミコト)は出雲に立ち寄り、出雲建(イズモタケル)をだまし討ちによって倒してから倭に帰ってくる。帰ってくる早々に、今度は東方十二道の荒ぶる神と服従しない人どもを平定してくるようにと命令を受ける。ヤマトタケルは東征に出かける途中立ち寄った叔母・倭比売命(ヤマトヒメノミコト)に対し、父の自分への仕打ちを歎き、「あれをすでに死ねとおもほしすぞ(私なんか早く死んでしまえばよいと思っていらっしゃるのだ)」と言った。なお、この際にヤマトタケルはヤマトヒメから草薙剣(クサナギノツルギ)を授かっている。
弟橘比売命
東征のはじめ、尾張国に立ち寄ったヤマトタケルは、美夜受比売(ミヤズヒメ)という女性と結婚の約束をして東方に進んだ。
相模国で敵の騙し討ちにあい、火攻めにあって危難に陥るが、伊勢でおばに貰った袋と草薙剣を使って逆に相手を火攻めにし、敵を焼き滅ぼす。姨がくれた袋には火打ち石が入っていたのである。
その後、走水の海(東京湾)を渡るために船に乗り込んだヤマトタケルであるが、渡りの神の妨害のせいで暴風にあって激しく波立つ海を渡ることができずにいた。そのとき、船に同乗していたヤマトタケルの妻、弟橘比売(オトタチバナヒメ)が、「私が御子の代わりに海の中に入りましょう。御子は任務をなし遂げて、天皇にご報告申し上げてください」と言って海に身を投じた。すると荒波は止み、船は進むことができるようになった。
七日後、オトタチバナヒメの櫛が海辺に流れ着いたので、御陵を作ってその櫛を収め置いたという
倭建命の崩御
東征を終えて尾張まで戻ってきたヤマトタケルは、尾張国造おわりのくにのみやつこの祖の美夜受比売(ミヤズヒメ)と結婚する。そうしてヤマトタケルは、ミヤズヒメのもとにクサナギノツルギを置き、伊服岐能山いぶきのやまの神を素手で討ち取るのだと言って出かける。
伊服岐能山で出逢った白猪を神の使いだと判断し、神を倒した後で討ち取ろうと宣言して先へ進んだヤマトタケルであったが、実はこの白猪が神そのものであった。それに気づかなかったヤマトタケルは神に打ち惑わされ、病に足取りもおぼつかなく彷徨ほうこうの末に、御津前みつのさきという地(現三重県桑名郡)に着き、そこに立っている松の木の元でかつて置き忘れた剣を発見し、そして尾張を思う歌を詠む。それから伊勢の能煩野のぼのの地まで辿り着いたところで、故郷ヤマトを思う歌を詠み、最期にはミヤズヒメの元に置いてきたクサナギノツルギを歌に詠んで崩御する。
亡くなった後にはヤマトから后や御子たちがやってきてヤマトタケルの亡骸なきがらに取りすがるが、ヤマトタケルは八尋白千鳥やひろしろちどりとなって飛び立ってしまう。后らは歌をうたいながら八尋白千鳥を追いかける。ここで歌われた四首の歌が、のちのち今に至るまで、天皇の大御葬おおみはふりの際に歌われるのだと記される。
八尋白千鳥となったヤマトタケルは、ヤマトを飛び越えて河内に降り立ち、その後は再び飛び立って天へと翔けて行ったという。
仲哀天皇(第14代)・神功皇后・応神天皇(第15代)
仲哀天皇と大后おおきさき・息長帯日売命(オキナガタラシヒメノミコト)は九州筑紫の訶志かし比宮いのみや(現福岡市)にいて、熊曽くまそを討伐しようとしていた。その際に天皇は琴を弾き、建内宿禰(タケウチノスクネ)を神おろしの庭にいさせ、神意を窺おうとしたところ、オキナガタラシヒメが神がかりして神託を下した。それは「西の方に金銀やさまざまな宝物がある国がある。自分はその国を服従させようと思う」というものであった。
託宣を受けた天皇は高地に立って西方を見たが、「そんな国は見えない、偽りをなす神だ」と言って、琴を弾くのを止め、黙っていた。すると神は怒りをあらわにし、「この国はお前の治めるべき国ではない。お前は一道に向かうがよい」と告げた。この神託に恐れをいだいたタケウチノスクネは天皇に琴を弾くように促すが、天皇はいい加減な気持ちで弾いていた。やがてその琴の音が聞こえなくなったので不審に思って火をかかげて見ると、天皇はすでに崩御していた。
この一大事にタケウチノスクネは国の大祓おおはらえを行い、それから再び神託を請うた。すると、神は、「この国は大后の御腹に宿っている子が治める国だ」と告げ、これはアマテラスの御心であり、託宣を下しているのは底箇男そこつつのお中箇男なかつつのお上箇男うわつつのおの三柱の大神(住吉大神)であると言った。そして天神地祇、山河海の諸神を祭り、我が魂を舟に鎮座させるならば、西方の国を服従させることができるだろうと告げた。
天之日矛・秋山の神と春山の神・応神天皇の子孫
応神天皇条の末に、「又、昔」という書き出しで、新羅の国王の子である天之日矛(アメノヒホコ)の渡来に纏わる不思議な話が記されている。その話によると、昔、新羅国の一人の賤しい女の陰部に日光が指し、それによって女は懐妊する。やがて女は赤い玉を生み、アメノヒホコがその赤玉を手に入れる。ある時赤玉は美女に変じ、アメノヒホコはその美女を妻とするが、しばらくした後、仲違いをし、妻は自分の祖国に帰るのだといって、ヤマトの難波にやってくる。後を追ってきたアメノヒホコであったが、難波の渡りの神に妨害されて上陸できず、日本海に戻って多遅摩国たじまのくに(今の兵庫県北部)に上陸して留まり、土地の女性を娶って子孫を産む。
その後、アメノヒホコが将来した八種の宝物が即ち神であり、その神の娘が伊豆志袁登売いずしおとめという女神であることを記した後に、その女神を巡って春山の神と秋山の神という兄弟神が争う話を載せる。一通り妻争いの話が終わった後に、また応神天皇関連の記録的記事に戻るが、そこには応神天皇の御子である若野毛わかのけの二俣王ふたまたのみこの系譜が記される。最後に応神天皇の御陵の所在を記して『古事記』中巻は終わる。

下巻

仁徳天皇(第16代)と石之日売大后
仁徳天皇にんとくてんのう大后おおきさき・石之日売命(イワノヒメノミコト)はとても嫉妬深かった。天皇に仕える妃たちは宮中に入ることができなかった。何か女性がらみの話が伝わったりすると、足をばたばたさせて嫉妬した。しかし天皇は多くの女性を召し上げようとした。
まずは吉備の黒日売(クロヒメ)を召し上げたが、クロヒメは大后イワノヒメの嫉妬を恐れて本国に逃げ下った。天皇は舟で下るクロヒメを思う歌を詠んだところ、それを聞いたイワノヒメは激怒し、人を遣ってクロヒメを舟から降ろさせ、徒歩で国に向かわせた。クロヒメに未練のある天皇はその後、大后に「淡路島を見に行こうと思う」というのを口実に、吉備まで出かけて一時楽しく過ごした。
次に、天皇は異母妹である八田若郎女(ヤタノワキイラツメ)を入内じゅだいさせようとした。あるとき、イワノヒメが宴席の場に使用する柏の葉を取りに紀伊国に出かけていた留守中を狙って、天皇はヤタノワキイラツメを宮中に召し入れて、昼も夜も戯れていた。それを宮に帰る途中のイワノヒメに告げ口をする者がいた。恨み怒ったイワノヒメはそのまま宮中には戻らず、実家のあるヤマトの葛城かずらきを目指して舟で進み、途中の山代やましろ筒木宮つつきのみやに留まることとなった。しばらくは別居状態が続いたが、天皇は臣下を派遣し、また自らも出向いて行くうちに次第に打ち解け、大后は宮に戻ることとなった。
さらに今度はヤタノワキイラツメの妹・女鳥王(メドリノミコ)を求め、異母弟の速総別王(ハヤブサワケノミコ)をなかだちの使者として求婚をした。しかしメドリは、「天皇は大后イワノヒメに反対されて、姉のヤタノワキイラツメを召し入れることができなかった。そんな天皇にお仕えするつもりはない。私はあなたの妻となる」と言って、媒であったハヤブサワケと結婚する。そしてハヤブサワケに、「天皇を討ってしまえ」と受け取られるような内容の歌をうたう。このことを知った天皇は軍を起こし、ハヤブサワケとメドリを殺そうとする。ハヤブサワケとメドリは手に手を取って逃げ出すが、倭から伊賀に通じる道の途中で追っ手に捕まり、討たれてしまう。
允恭天皇(第19代)軽太子と軽大郎女
允恭天皇いんぎょうてんのう崩御の後、太子軽皇子(カルノミコ)は同母妹の軽大郎女(カルノオオイラツメ)と同母兄妹婚を犯す。そのせいか否か、百官と天下の人民はカルノミコに背いて弟の穴穂御子(アナホノミコ=安康天皇あんこうてんのう)に帰順した。それを知ったカルノミコは大前小前宿禰(オオマエヲマエノスクネ)という臣下の家に逃げ込むが、アナホノミコの軍勢に取り囲まれたオオマエヲマエはカルノミコを捉えてアナホに差し出すこととなる。囚われの身となったカルノミコは伊予湯(道後温泉)に流されることとなり、残されたカルノオオイラツメ(途中から衣通王そとおりのみこの名に変わる)は歎きの歌を詠み、やがて伊予湯まで追いかけて行き、そして二人は共に死を選ぶことになる。
安康天皇(第20代)弑逆
安康天皇は、家臣の讒言を真に受けて、仁徳天皇の御子である大日下王(オオクサカノミコ)を討ち、その妻であった長田大郎女(ナガタノオオイラツメ)を自分の后とし、その子目弱王(マヨワノミコ)と共に迎え入れる。
時にマヨワは七歳であったが、安康天皇は、マヨワが成長し、実父を殺したのが義父である自分であるということを知ったならば、害意を抱くのではないかということを懸念しており、そのことを妻に語っていた。
実はこのとき、殿の床下でマヨワはこの話を聞いてしまっていた。マヨワは迷わずすぐさま行動に移す。天皇が寝ているところに侵入し、その傍らにあった大刀を手に取って、天皇の頸を討ってすぐに都夫良意富美(ツブラオオミ)なる人物の家に逃げ込んだ。
大長谷王の暴虐
マヨワによって兄・安康天皇が殺害されたことを知ったオオハツセ(雄略天皇)は、同母兄・境之黒日子王(サカイノクロヒコノミコ)のもとに駆けつけるが、クロヒコはぐずぐずしていて煮え切らなかったので、その場で刀を抜いて打ち殺してしまう。
次にもう一人の兄・八瓜之白日子(ヤツリノシロヒコ)のところに行くが、シロヒコもまた同じようにぐずぐずしていたので、地面に穴を掘って生きながらに埋め、殺してしまう。そうして今度は自ら軍を率いてマヨワが逃げ込んだツブラオオミの家を取り囲み、戦った。やがてマヨワとツブラオオミは矢尽き、力尽き、自ら命を絶った。
その次にオオハツセは、従兄弟にあたる市辺之忍歯王(イチノベノオシハノミコ)を狩りに誘うが、イチノベノオシハの言動に不信感を抱いたオオハツセの家臣が、オオハツセに讒言をし、それを受け入れたオオハツセはイチノベノオシハを殺害してしまう。
このように、オオハツセ以外の皇位継承有資格者は次々と倒れていき、あるいはオオハツセが倒していき、結果的に皇位を継ぐ者はもはやオオハツセしかいないという状況となり、即位することとなる。
葛城山の大猪~葛城の一言主神
雄略ゆうりゃく天皇は即位後、河内に行幸して后となる若日下部王わかくさかべのみこに妻問いをする。続いて三輪山麓の河で衣を洗っていた童女のあか猪子いこに結婚の約束をするが八十年もの間忘れてしまっていた話や、吉野に出かけてそこで出逢った童女と結婚する話など、行幸と婚姻に関する話が繰り返される。
そして葛城かづらき山に登った時には、大きな猪が現れたので天皇が矢を射たところ、猪は怒って唸りながら近づいてきた。それで天皇はこの怒れる大猪を恐れて榛の木の上に逃げ登り、「大君(である私)が狩をなさる手負いの猪の唸り声に私が逃げて登った、ひときわ目立つ岡の上の榛の木の枝よ」と、自分を助けてくれた榛の木を称える歌をうたった。
また、別の時に、天皇はやはり葛城山に百官の家臣と共に登ったところ、自分と全く同じ姿のものと、自分達一行と全く同じ格好をした一団に出逢った。天皇が尋ねたところ、自分と同じ姿形をしていたものは、葛城山の神、一言主大神(ヒトコトヌシノオオカミ)であることがわかり、天皇は恐縮して拝み、刀・弓・衣服を献上した。天皇一行が帰る時に大神は宮の近くまで見送ってくれた。
顕宗(第23代)・仁賢(第24代)の物語
父のイチノベノオシハ(履中天皇皇子)をオオハツセ(雄略天皇)に殺害され、身の危険を感じた意祁王(オケノミコ、後の仁賢天皇)・袁祁王(ヲケノミコ、後の顕宗天皇)の二人の兄弟は、針間国に逃げた。道中、顔にいれずみをした猪甘いかいの老人に食事を奪われるという憂き目に遭いながらも、針間国にたどり着き、志自牟しじむという人の家にやっかいになることとなり、そこの馬甘うまかい牛甘うしかいとして働くことになった。
その後即位した雄略天皇も崩御し、雄略天皇の御子・清寧天皇せいねいてんのうが即位したが、この天皇には御子がいなかった。それで、清寧天皇の崩御後に、皇位を継承すべき王を求めるために、まずは履中天皇りちゅうてんのうの皇女であり、イチノベノオシハの妹である飯豊王いいとよのみこを宮に迎えた。その後しばらくして、山部連やまべのむらじ小楯おだてという人物が針間国に赴任するが、この人物が志自牟しじむの家に召使いのようにして働いていたオケ・ヲケを発見し、たいそう驚き、感動し、宮中に使者を派遣する。叔母の飯豊王は喜んでこの二人の皇子を倭の宮に呼び寄せた。
オケとヲケは互いに皇位を譲り合い、その結果、弟のヲケがまず皇位に即くことになった。これが顕宗天皇である。即位の後、置目おきめなる老媼おみなが現れ、亡きイチノベノオシハの御骨の在処を教えてくれた。それでさっそく御陵を作って手厚く葬り、置目老媼に恩賞を与えた。また、顕宗天皇は亡き父の仇である雄略天皇の御陵をこわすことで怨みを晴らそうとするが、「そんなことをすれば後の人にそしられるでしょう」という兄の言葉に従って、御陵の土を少し掘ることで終わらせる。
武烈天皇(第25代)
小長谷おはつせの若雀命わかさざきのみこと武烈ぶれつ天皇)は、長谷はつせ列木宮なみきのみやで天下を八年治めなさった。この天皇には御子がいなかった。したがって天皇崩御後、皇位を継承するものがなかった。そこで、応神おうじん天皇の五世の孫である袁本杼命おほどのみことを、近淡海国ちかつおうみのくに(今の滋賀県)から上らせて、仁賢にんけん天皇の皇女である手白髪命たしらかのみことと結婚させて、天下を授けた。これが第二十六代の継体けいたい天皇である。その後、安閑あんかん宣化せんか欽明きんめい敏達びたつ用明ようめい崇峻すしゅん天皇の皇位継承の次第、皇妃と皇子女、宝算(年齢)と御陵などを記し、推古すいこ天皇代の記述をもって『古事記』は終わっている。
先頭