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天安河(その2)

読み
あめのやすのかは/あめのやすのかわ
ローマ字表記
Amenoyasunokawa
登場箇所
上巻・うけい、上巻・天の石屋、上巻・葦原中国の平定、上巻・天若日子の派遣、上巻・建御雷神の派遣
住所
奈良県飛鳥川 地図を表示
緯度/経度
北緯 34°27'18.7"
東経 135°49'19.3"
説明
 高天原にある河の名。うけい段にて、天照大御神と須佐之男命は、「天の安河」を中に置いて(挟んで)うけいを行った。天の石屋段では、天の石屋に隠れた天照大御神を外へと出すために八百万の神が集った場所として「天の安の河原」が登場する。加えて、同段の天照大御神を石屋から呼び出す祭祀を行う場面では、「天の安の河上」にある天の堅石を取り、天の金山の鉄を取って鏡を作ったことが見える。葦原中国平定段では、葦原中国の平定に派遣する神に関して、八百万の神が協議を行った場所が「天の安の河原」である。また同段において、建御雷神の親神である伊都之尾羽張神(いつのおはばりのかみ)が坐す場所として「天の安の河の河上の天の石屋」が見える。『日本書紀』では、『古事記』同様「天安河」(第五段一書第七、第六段一書第三、第七段本書、第九段一書第二)と表記される他、「天八十河(あめのやそのかわ)」(第五段一書第七)とも表記され、『古語拾遺』では「天八湍河(あめのやすのかわ/あめのやせのかわ)」(天石窟段)と表記される。
 名義について、「天」は高天原・天上世界に所在することを示し、高天原に流れる川という意味になる。「安河」は、「安(ヤス)」を「八洲(ヤス)」の借字と解釈し、多くの洲のある河とする説がある。ヤスを「八瀬(ヤセ)」とし、多くの瀬を持つ河と解釈する説もある。この二者の説においては、「天安河」はいくつもの流れを持つ河として解釈されることとなる。対して、「天安河」の「安」と、『日本書紀』に見える天照大神の「天安田」(第七段一書第三)の「安」とを同じものとし、「安」を借字ではなく正訓字と捉え、よい河・平安な河という意味に解する説もある
 「天安河」を天上世界の川とする説の他、実在する河川に比定、あるいは地上の河川をモデルとして神話の中に天上世界の川として登場させたとの考察も古くから行われている。『日本書紀』天武天皇元年7月条に、近江の「安河の浜」での大海人皇子の軍と近江軍との戦闘記事があり、この「安河」は近江の野洲川とされており、これを「天安河」に比定する、あるいは野洲川をモデルとして天上に「天の安河」を登場させたとする説がある。大和の地の河川に比定する説もあり、飛鳥川の古名とする説、大和川の支流の一つである「曽我川」に比定する説がある。また、特定の河に比定するのではなく、広く大和地方に数多くある河の状態を天上に反映したものとする説もある。大和の地の河川の古名、あるいは河川をモデルとしたとする説では、高天原に「天香山」や「天の高市」(『日本書紀』第七段一書第一などに見える)という大和に存在する地名を元にしたと考えられる場所が登場することが根拠とされる。
 宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸に、天照大御神が隠れた天の岩戸とされる洞窟を神体とする天岩戸神社があり、この社の傍を流れる岩戸川の500メートル川北の場所に「天安河原」とされる洞窟が存在する。現在、この「天安河原」には「天安河原宮」が鎮座する。なお、高千穂町岩戸地区には「天香具山」や「天浮橋」などの高天原の神話に由来する地名が存在する。
 「天の安河」の神話上の機能として、天上と地上の「境界」としての働きが見られるとする説がある。これは、『古事記』のうけい段では、地上より現れた須佐之男命と、高天原の天照大御神が「天の安河」を隔てて向かい合い、うけいを行うことから、天照大御神は「天の安河」を高天原と葦原中国の境界としての捉えているという指摘である。
 『古事記』のうけい段・葦原中国平定段に見えるように、「天の安河の河原」は神々が集まり、話し合うための場所として描かれている。『日本書紀』にも神々が「天の安河辺」に集ったことが見える(第七段本書)。『万葉集』、「日並皇子尊の殯宮の時に柿本朝臣人麻呂が作る歌」に、「天地の 初めの時の ひさかたの 天の河原に 八百万 千万神の 神集ひ 集ひいまして……」(巻二・167番歌)とあり、「天の河原」に八百万千万の神が集ったという『古事記』『日本書紀』と類似する内容が見える。
 「天の安河」、「天の安の河原」が『古事記』上巻において、天照大御神と須佐之男命のうけい・八百万の神々の集会の場所・天の石屋に隠れた天照大御神を呼び戻すための神事の舞台となる理由としては、『日本書紀』の神武天皇即位前紀戊午年9月条に丹生の川上にて天神地祇を祀った事、応神天皇9年4月条に武内宿禰と甘美内宿禰(うましうちのすくね)が磯城(しき)川のほとりにて探湯(くかたち)を行った事、允恭天皇4年9月条に味橿丘(あまかしのおか)の辞禍戸■【石+甲】(ことまがとのさき)にて盟神探湯(くかたち)を行った事、用明天皇2年夏4月条に磐余(いわれ)の河上にて新嘗を行った事、皇極天皇元年8月条に天皇が南淵の河上にて四方を拝した事、斉明天皇5年3月条に甘檮丘の東の川上に須弥山(しゅみせん)を作り、蝦夷を饗応した事、天武天皇7年春正月条に倉梯(くらはし)の河上に斎宮(いわいのみや)を立てて天神地祇を祀った事を挙げ、このような習俗の反映であるとする説がある。
 「天の安河」は、牽牛と織女(彦星と織姫)の伝説、いわゆる七夕伝説に見える「天の川」との関連も説かれている。『万葉集』中の七夕歌には「天の川」が多く詠い込まれているが、その七夕歌の中で、「天の川」と「天の安河」が同一視されているという説がある。この説では、「天の川 安の渡りに」(十巻・2000番歌)、「天の川 安の川原に」(十巻・2033番歌)のように詠われていることを指摘し、これらの歌において「天の川」に「安の渡り」「安の川原」が存在することになるため、2000番歌・2033番歌の中では、「天の川」を「天の安河」と同一視して詠っていると解釈するのである。
 『万葉集』のなかで、「天の川」を「天の安河」と結びつけて詠う例は、『柿本朝臣人麻呂歌集』以外では、「天地の 初めの時ゆ 天の川 い向かひ居りて 一年に 二度逢わぬ 妻恋に 物思ふ人 天の川 安の川原の あり通ふ……」(十巻・2089番歌)、「天照らす 神の御代より 安の川 中に隔てて 向かひ立ち……」(十八巻・4125番歌)、「安の川 い向かひ立ちて……」(十八巻・4127番歌)があり、2089番歌は出典不明の長歌である。また、4125番歌・4127番歌は大伴家持の歌である。大伴家持は柿本人麻呂の作風を模倣していると指摘し、「天の川」を「天の安河」と結びつけて詠うのは『柿本朝臣人麻呂歌集』に始まるとの説がある。この説をもとに、『万葉集』において、「天の川」と「天の安河」とを同一視して詠うことは、柿本人麻呂によって始められたとする説もある。
 地図上に示した地点は、「天の安河」に比定される河川の一つである飛鳥川である。奈良県中部を流れ、大和川にそそぐ。古くから歌に詠まれることが多く、『万葉集』にも詠われている。
URL
備考
吉田東伍『大日本地名辞書 上』第二版(冨山房、1907年10月)
津田左右吉「天の安の河について」(『歴史地理』23-3、1914年3月)
井口丑二『高天原は近江なり』(平凡社、1922年10月)
加藤玄智校訂『古語拾遺』(岩波書店、1929年2月)
鈴木拾五郎「萬葉集の七夕説話(二) 」(『史苑』3-4、1930年1月)
谷川士清『日本書紀通証 第一巻(国民精神文化文献第十五)』(国民精神文化研究所、1937年10月)
小島憲之「萬葉集七夕歌の世界」(『萬葉集大成 第九巻 作家研究編上』平凡社、1953年6月)
御所市史編纂委員会編『御所市史』(御所市役所、1965年3月)
本居宣長『古事記伝』七之巻(大野晋編『本居宣長全集 第9巻』筑摩書房、1968年7月)
高千穂町編『高千穂町史』(高千穂町、1973年3月)
倉野憲司『古事記全註釈 第三巻 上巻篇(中)』(三省堂、1976年6月)
安田尚道・秋本吉徳校注『古語拾遺』(現代思潮社、1976年7月)
武田祐吉訳注・中村啓信補訂・解説『新訂 古事記』(角川書店、1977年8月)
稲岡耕二「人麻呂歌集と七夕歌の性格」(五味智英・小島憲之編『万葉集研究 第八巻』塙書房、1979年11月)
宮崎県内務部『宮崎縣史蹟調査(復刻版)』(西日本図書館コンサルタント協会、1980年7月)
尾崎暢殃「天の安の河(一)」(『学苑』509、1982年5月)
尾崎暢殃「天の安の河(二)」(『学苑』510、1982年6月)
澤瀉久孝『萬葉集注釈 巻第十』(中央公論社、1983年9月、初出1962年1月)
澤瀉久孝『萬葉集注釋 巻第十八』(中央公論社、1984年5月、初出1967年7月)
安田尚道・秋本吉徳校注『古語拾遺』(現代思潮社、1976年7月)
大久保正「人麻呂歌集七夕歌の位相」(『万葉集の諸相』明治書院、1980年4月、初出1975年7月)
西宮一民校注『古語拾遺』(岩波書店、1985年3月)
飯田瑞穂校注『古語拾遺附註釈(神道大系 古典編五)』(1986年3月)
藤原芳男「天の川 安の川原に」(『神戸女子大学紀要』20-1、1987年3月)
小島憲之他校注『日本書紀①(新編日本古典文学全集)』(小学館、1994年4月)
小島憲之他校注『萬葉集③(新編日本古典文学全集)』(小学館、1995年12月)
山口佳紀・神野志隆光校注・訳『古事記(新編日本古典文学全集)』(小学館、1997年6月)
小島憲之他校注『萬葉集④(新編日本古典文学全集)』(小学館、1996年8月)
渡瀬昌忠「神婚神話と水神の祭り」(『渡良昌忠著作集 第四集』おうふう、2002年12月、初出1992年2月)
西郷信綱『古事記注釈 第二巻』(筑摩書房、2005年6月)
勝俣隆「七夕伝説の発生と変容」(『上代日本の神話・伝説・万葉集の解釈』おうふう、2017年3月、初出2006年1月)

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天安河(その2)

読み
あめのやすのかは/あめのやすのかわ
ローマ字表記
Amenoyasunokawa
登場箇所
上巻・うけい、上巻・天の石屋、上巻・葦原中国の平定、上巻・天若日子の派遣、上巻・建御雷神の派遣
住所
奈良県飛鳥川 地図を表示
緯度/経度
北緯 34°27'18.7"
東経 135°49'19.3"
説明
 高天原にある河の名。うけい段にて、天照大御神と須佐之男命は、「天の安河」を中に置いて(挟んで)うけいを行った。天の石屋段では、天の石屋に隠れた天照大御神を外へと出すために八百万の神が集った場所として「天の安の河原」が登場する。加えて、同段の天照大御神を石屋から呼び出す祭祀を行う場面では、「天の安の河上」にある天の堅石を取り、天の金山の鉄を取って鏡を作ったことが見える。葦原中国平定段では、葦原中国の平定に派遣する神に関して、八百万の神が協議を行った場所が「天の安の河原」である。また同段において、建御雷神の親神である伊都之尾羽張神(いつのおはばりのかみ)が坐す場所として「天の安の河の河上の天の石屋」が見える。『日本書紀』では、『古事記』同様「天安河」(第五段一書第七、第六段一書第三、第七段本書、第九段一書第二)と表記される他、「天八十河(あめのやそのかわ)」(第五段一書第七)とも表記され、『古語拾遺』では「天八湍河(あめのやすのかわ/あめのやせのかわ)」(天石窟段)と表記される。
 名義について、「天」は高天原・天上世界に所在することを示し、高天原に流れる川という意味になる。「安河」は、「安(ヤス)」を「八洲(ヤス)」の借字と解釈し、多くの洲のある河とする説がある。ヤスを「八瀬(ヤセ)」とし、多くの瀬を持つ河と解釈する説もある。この二者の説においては、「天安河」はいくつもの流れを持つ河として解釈されることとなる。対して、「天安河」の「安」と、『日本書紀』に見える天照大神の「天安田」(第七段一書第三)の「安」とを同じものとし、「安」を借字ではなく正訓字と捉え、よい河・平安な河という意味に解する説もある
 「天安河」を天上世界の川とする説の他、実在する河川に比定、あるいは地上の河川をモデルとして神話の中に天上世界の川として登場させたとの考察も古くから行われている。『日本書紀』天武天皇元年7月条に、近江の「安河の浜」での大海人皇子の軍と近江軍との戦闘記事があり、この「安河」は近江の野洲川とされており、これを「天安河」に比定する、あるいは野洲川をモデルとして天上に「天の安河」を登場させたとする説がある。大和の地の河川に比定する説もあり、飛鳥川の古名とする説、大和川の支流の一つである「曽我川」に比定する説がある。また、特定の河に比定するのではなく、広く大和地方に数多くある河の状態を天上に反映したものとする説もある。大和の地の河川の古名、あるいは河川をモデルとしたとする説では、高天原に「天香山」や「天の高市」(『日本書紀』第七段一書第一などに見える)という大和に存在する地名を元にしたと考えられる場所が登場することが根拠とされる。
 宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸に、天照大御神が隠れた天の岩戸とされる洞窟を神体とする天岩戸神社があり、この社の傍を流れる岩戸川の500メートル川北の場所に「天安河原」とされる洞窟が存在する。現在、この「天安河原」には「天安河原宮」が鎮座する。なお、高千穂町岩戸地区には「天香具山」や「天浮橋」などの高天原の神話に由来する地名が存在する。
 「天の安河」の神話上の機能として、天上と地上の「境界」としての働きが見られるとする説がある。これは、『古事記』のうけい段では、地上より現れた須佐之男命と、高天原の天照大御神が「天の安河」を隔てて向かい合い、うけいを行うことから、天照大御神は「天の安河」を高天原と葦原中国の境界としての捉えているという指摘である。
 『古事記』のうけい段・葦原中国平定段に見えるように、「天の安河の河原」は神々が集まり、話し合うための場所として描かれている。『日本書紀』にも神々が「天の安河辺」に集ったことが見える(第七段本書)。『万葉集』、「日並皇子尊の殯宮の時に柿本朝臣人麻呂が作る歌」に、「天地の 初めの時の ひさかたの 天の河原に 八百万 千万神の 神集ひ 集ひいまして……」(巻二・167番歌)とあり、「天の河原」に八百万千万の神が集ったという『古事記』『日本書紀』と類似する内容が見える。
 「天の安河」、「天の安の河原」が『古事記』上巻において、天照大御神と須佐之男命のうけい・八百万の神々の集会の場所・天の石屋に隠れた天照大御神を呼び戻すための神事の舞台となる理由としては、『日本書紀』の神武天皇即位前紀戊午年9月条に丹生の川上にて天神地祇を祀った事、応神天皇9年4月条に武内宿禰と甘美内宿禰(うましうちのすくね)が磯城(しき)川のほとりにて探湯(くかたち)を行った事、允恭天皇4年9月条に味橿丘(あまかしのおか)の辞禍戸■【石+甲】(ことまがとのさき)にて盟神探湯(くかたち)を行った事、用明天皇2年夏4月条に磐余(いわれ)の河上にて新嘗を行った事、皇極天皇元年8月条に天皇が南淵の河上にて四方を拝した事、斉明天皇5年3月条に甘檮丘の東の川上に須弥山(しゅみせん)を作り、蝦夷を饗応した事、天武天皇7年春正月条に倉梯(くらはし)の河上に斎宮(いわいのみや)を立てて天神地祇を祀った事を挙げ、このような習俗の反映であるとする説がある。
 「天の安河」は、牽牛と織女(彦星と織姫)の伝説、いわゆる七夕伝説に見える「天の川」との関連も説かれている。『万葉集』中の七夕歌には「天の川」が多く詠い込まれているが、その七夕歌の中で、「天の川」と「天の安河」が同一視されているという説がある。この説では、「天の川 安の渡りに」(十巻・2000番歌)、「天の川 安の川原に」(十巻・2033番歌)のように詠われていることを指摘し、これらの歌において「天の川」に「安の渡り」「安の川原」が存在することになるため、2000番歌・2033番歌の中では、「天の川」を「天の安河」と同一視して詠っていると解釈するのである。
 『万葉集』のなかで、「天の川」を「天の安河」と結びつけて詠う例は、『柿本朝臣人麻呂歌集』以外では、「天地の 初めの時ゆ 天の川 い向かひ居りて 一年に 二度逢わぬ 妻恋に 物思ふ人 天の川 安の川原の あり通ふ……」(十巻・2089番歌)、「天照らす 神の御代より 安の川 中に隔てて 向かひ立ち……」(十八巻・4125番歌)、「安の川 い向かひ立ちて……」(十八巻・4127番歌)があり、2089番歌は出典不明の長歌である。また、4125番歌・4127番歌は大伴家持の歌である。大伴家持は柿本人麻呂の作風を模倣していると指摘し、「天の川」を「天の安河」と結びつけて詠うのは『柿本朝臣人麻呂歌集』に始まるとの説がある。この説をもとに、『万葉集』において、「天の川」と「天の安河」とを同一視して詠うことは、柿本人麻呂によって始められたとする説もある。
 地図上に示した地点は、「天の安河」に比定される河川の一つである飛鳥川である。奈良県中部を流れ、大和川にそそぐ。古くから歌に詠まれることが多く、『万葉集』にも詠われている。
URL
備考
吉田東伍『大日本地名辞書 上』第二版(冨山房、1907年10月)
津田左右吉「天の安の河について」(『歴史地理』23-3、1914年3月)
井口丑二『高天原は近江なり』(平凡社、1922年10月)
加藤玄智校訂『古語拾遺』(岩波書店、1929年2月)
鈴木拾五郎「萬葉集の七夕説話(二) 」(『史苑』3-4、1930年1月)
谷川士清『日本書紀通証 第一巻(国民精神文化文献第十五)』(国民精神文化研究所、1937年10月)
小島憲之「萬葉集七夕歌の世界」(『萬葉集大成 第九巻 作家研究編上』平凡社、1953年6月)
御所市史編纂委員会編『御所市史』(御所市役所、1965年3月)
本居宣長『古事記伝』七之巻(大野晋編『本居宣長全集 第9巻』筑摩書房、1968年7月)
高千穂町編『高千穂町史』(高千穂町、1973年3月)
倉野憲司『古事記全註釈 第三巻 上巻篇(中)』(三省堂、1976年6月)
安田尚道・秋本吉徳校注『古語拾遺』(現代思潮社、1976年7月)
武田祐吉訳注・中村啓信補訂・解説『新訂 古事記』(角川書店、1977年8月)
稲岡耕二「人麻呂歌集と七夕歌の性格」(五味智英・小島憲之編『万葉集研究 第八巻』塙書房、1979年11月)
宮崎県内務部『宮崎縣史蹟調査(復刻版)』(西日本図書館コンサルタント協会、1980年7月)
尾崎暢殃「天の安の河(一)」(『学苑』509、1982年5月)
尾崎暢殃「天の安の河(二)」(『学苑』510、1982年6月)
澤瀉久孝『萬葉集注釈 巻第十』(中央公論社、1983年9月、初出1962年1月)
澤瀉久孝『萬葉集注釋 巻第十八』(中央公論社、1984年5月、初出1967年7月)
安田尚道・秋本吉徳校注『古語拾遺』(現代思潮社、1976年7月)
大久保正「人麻呂歌集七夕歌の位相」(『万葉集の諸相』明治書院、1980年4月、初出1975年7月)
西宮一民校注『古語拾遺』(岩波書店、1985年3月)
飯田瑞穂校注『古語拾遺附註釈(神道大系 古典編五)』(1986年3月)
藤原芳男「天の川 安の川原に」(『神戸女子大学紀要』20-1、1987年3月)
小島憲之他校注『日本書紀①(新編日本古典文学全集)』(小学館、1994年4月)
小島憲之他校注『萬葉集③(新編日本古典文学全集)』(小学館、1995年12月)
山口佳紀・神野志隆光校注・訳『古事記(新編日本古典文学全集)』(小学館、1997年6月)
小島憲之他校注『萬葉集④(新編日本古典文学全集)』(小学館、1996年8月)
渡瀬昌忠「神婚神話と水神の祭り」(『渡良昌忠著作集 第四集』おうふう、2002年12月、初出1992年2月)
西郷信綱『古事記注釈 第二巻』(筑摩書房、2005年6月)
勝俣隆「七夕伝説の発生と変容」(『上代日本の神話・伝説・万葉集の解釈』おうふう、2017年3月、初出2006年1月)

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