古事記ビューアー

古事記の最新のテキストを見ることができます。
諸分野の学知を集めた
注釈・補注解説とともに
古事記の世界へ分け入ってみましょう。

目次を開く 目次を閉じる

是に、其の妹伊耶那美命を相見むと欲ほして、黄泉国に追ひ徃きき。 尒して、殿の縢戸より出で向かへし時に、伊耶那岐命語りて詔りたまはく、 「愛しき我が那迩妹命、吾と汝と作れる国、未だ作り竟へず。故、還るべし」とのりたまふ。 尒して、伊耶那命答美へ白さく、「悔しき哉、速くは来まさずて。 吾は黄泉戸喫為つ。 然あれども、愛しき我が那勢命[那勢二字以音。下效此]、入り来坐せる事恐し。故、還らむと欲ふ。 且らく黄泉神と相論はむ。我をな視たまひそ」とまをす。 如此白して、其の殿の内に還り入る間、甚久しくして待ち難し。 故、左の御美豆良[三字以音。下效此]に刺せる湯津々間櫛の男柱一箇取り闕きて、 一つ火燭して入り見し時に、 宇士多加礼許呂々岐弖[此十字以音]、 頭には大雷居り、 胸には火雷居り、 腹には黒雷居り、 陰には析雷居り、 左手には若雷居り、 右手には土雷居り、 左足には鳴雷居り、 右足には伏雷居り、 并せて 八雷神成り居りき。

○黄泉国 『古事記』神話における異界として最初に登場する場所。訓み方としては「ヨミノクニ」と「ヨモツクニ」があり、いずれとも確定しがたい。一字一音で「予母都志許売」の例はあるが、確実に「ヨミ」と訓める例はない。「ヨミ」を露出形、「ヨモ」を被覆形と考えるならば、下の語との結合の度合いによって訓みが変わってくることになるが、『古事記』の場合には「ヨミ」という単独の例がないということと、一字一音の例があることから、ひととおり「ヨモツ・・」で訓むのが妥当か。「ヨミ」「ヨモ」の語源については、「夜見」「闇」「数み」「四方」「世霊」「ヤマ」などの諸説あって、確定していない。上代特殊仮名遣いの関係で、「夜見」「闇」は否定されている。宣長と、その弟子の服部中庸は、黄泉国と月読命のいる世界とを重ね合わせて考えているので、ヨミも「夜見」で理解している節があるが、従いがたい。有力なのは、山中他界観とも関わる「ヤマ」説であるが、仮にそうだとした場合に、一般的なヤマの語がそのまま使用されて現代に到るのに対し、異界を示す語として特別に音韻変化をした語(ヨミ)の方が分離して残るという現象があり得るのかどうか、明確ではないように思われる。語源の検討は「黄泉国」の位置付けとも関わる問題であるが、漢語「黄泉」が使用されている以上、「黄泉」の語義を無視することは出来ない故に、地下世界を志向しているということは言える。しかしもし「ヨミ」「ヨモ」の語源がヤマだとした場合には、漢語の「黄泉」が死者に会える場であるということを意味する故にこの語が選ばれ、それがこの国では「ヤマ(ヨモ)」に該当する故に漢語「黄泉」の訓にあてたということも考えられる。イザナミが「比婆山」に葬られているという点も気になるところであり、山と「黄泉」との関わりは浅くはない。ただ、「比婆山」が出雲国と伯伎国との堺にあるということを考えれば、ヨミが「四方」、つまり周辺の僻遠の地であるという捉え方も出来なくはない。丹後国風土記の浦嶋子伝説の「トコヨ」もそうであるが、様々なレベルの異界が複合的に示されているということも考え得る。なお、後出の「黄泉比良坂」がどちらの世界に属するのか、「黄泉比良坂の坂本」をどう捉えるか、「攻(坂・逃)返也」の本文はどう認定するべきか等が黄泉国の位置づけや語義と関わってくる。【→補注四】 ○縢戸 「縢」は、卜部系諸本には「騰」。訓については、「騰」をとるものは、判断保留として単に「トノドヨリ」(記伝)と訓むか、「騰」の字義より「トノノアゲドヨリ」(新講・評釈)若しくは「トノヨリトヲアゲテ」(全注)などと訓む。「縢」をとるものは、「トノノトザシドヨリ」(大成・大系・全講・旧全集)「シリツト」(全書・新注)「トノノサシドヨリ」(全註釈)「トノノサシトヨリ」(神道・集成・修訂)「トノノトヂトヨリ」(新版)、若しくは「トノヨリトヲトヂテ」(注解・新全集)など、「サス」「トザス」で訓む。倉野憲司・小島憲之が『玉篇』(糸部)に、「縢、緘也」とあるのを指摘し、「縢」「緘」が閉じる、しばるの意であることを指摘した。それ以降「縢戸」はとざした戸の意、若しくは戸を閉じる意で理解されている。一方、思想は「縢」を「榺」の誤写かとし、「チキリト」と訓んだ(チキリは織機の部品で、たて糸を巻く円筒形の棒。チキリジメで門戸の合わせ目を継ぎ合わせる鎹をいうか、とする)。しかし、「縢」で解釈できるのであれば、誤写説をとる必然性はない。なお、この戸の形状をどう理解するかということと、黄泉国を実態的にどう捉えるかということとが関わって説かれる場合がある。新講は、「騰戸」の方を取って、陵墓の石槨の入口の押上戸の意であると説いた。また「騰戸」「縢戸」いずれの場合でも、古墳の羨道の入口を塞いだ蓋石とする説や、殯の喪屋の入口とする説などがある。黄泉国神話成立の背景にあるものを考えるのは重要であるが、『古事記』の黄泉国神話そのものをあまり実態的に説こうとすると、神話内容の理解に対する妨げになる危険があるように思われる。 ○那迩妹・那勢 「ナニモ」は「汝妹」で、男性から女性へ親愛の情を込めて呼びかける語。「ナセ」は「汝夫」で、女性から男性へ親愛の情を込めて呼びかける語。「汝(ナ)」はもと一人称の古い代名詞であった名残と見る説がある。その場合「我がナセノミコト」などの言い方は、「我が」の意が重なったものということになるがどうか。 ○吾と汝と作れる国、いまだ作り竟へず これまでの展開でイザナキとイザナミが行ってきたのは国や神を「生む」行為であったので、ここで「作れる」と言っているのは神話展開とは矛盾するという見方がある(全註釈など)。しかし、キミ二神は天神からの国土の「修理(ツクル・ヲサム)固成」という命令を果たしてきたのであり、命令を果たす方法が「生む」ということであったと思われる。従って、行為としては「生む」だが、あくまでも国土を「作る」ことを目的として行った故に、「作れる国」と言ったものではあるまいか。「生む」と「作る」とは、例えば「子どもを作る」というなど、同じ意味で用いられる場合もあるが、『古事記』の場合には「作る」の範疇に「生む」が含まれるように見える。また、「いまだ作り竟へず」という言葉を根拠として、この段階では天神の「命以」=「修理固成」がまだ完成しておらず、その未完の内容は後の大国主神の国作りに引き継がれるとする見方がある。だとすると国土の修理固成は天神の命令から逸脱したところで成り立つということになる。結果的にキミ二神によっては完成せず、大国主神の登場までそれが引き継がれたとしても、それは天神の命令の範囲に含める訳には行くまい。天神の命以があくまでもキミ二神に対してなされたことを考慮するならば、キミ二神の神話の範囲で考えなければならない。そして、「修理固成」の命令を「生む」ことによって果たしてきたということを考えるならば、黄泉国神話の後のイザナキの禊において、「子を生みて生みの終に」得た三貴子の誕生を以て完成すると見るべきではなかろうか(谷口雅博「国の生成―「生」「作」の意義―」『古事記の表現と文脈』二〇〇八年参照)。 ○黄泉戸喫 「ヨモツ」は黄泉国の、「戸」はへっつい=竈の意で、「ヨモツヘグヒ」は黄泉国の竈で煮炊きしたものを食することを言うと説かれている。その世界のものを食すれば、その世界の存在となるという「共食」の信仰に基づくとされるが、恐らく重要なのはその世界の「火」を用いて調理したものを食する点にあるものと思われる。話の展開上は、「ヨモツヘグヒ」をしてしまったが、黄泉神に相談してくるとイザナミが言っているので、それほどの拘束力がないかのようにも読めるが、結果的にはこの「ヨモツヘグヒ」によってイザナミは後に描かれるような黄泉国における姿を持つに至ったということなのであろう。なお、竈を「戸」で表す点については、大年神の系譜中に、「大戸比賣神。此者諸人以拝竈神者也」とあるのが参考となる。『日本書紀』神代上第五段一書六に「飡泉之竈」とあり、同一書七に「誉母都俳遇比(よもつへぐひ)」と記す。【→補注五】 ○黄泉神 この時点での黄泉国の主神であるかのように記されているが、後にはイザナミ自身が黄泉津大神となっている。話の展開上、便宜的に名前が登場したに過ぎない神とされるが、文脈から見れば、後の八雷神のことだと考えられなくもない。 ○我をな視たまひそ 所謂〈禁室型〉の神話・説話・昔話に見られる「見るなの禁」の形。この神話では禁を犯したイザナキは、イザナミのこの世界での正体を見てしまい、結果的に別離を余儀なくされるという点に於いて、他の〈禁室型〉と共通する。イザナミにとっての黄泉国は「本郷」ではないかも知れないが、恐らくは「黄泉戸喫」によって既にこの国の存在となってしまったことにより、その本性が変質したということなのであろう。それぞれが属する世界が相違していることを決定的に認識させられる点に、別離(若しくは死別)という結果を招く要因があるものと思われる。 ○湯津〃間櫛の男柱 「ユツ」は神聖な、「ツマクシ」は 「目の詰まった櫛」か「爪型の櫛」。櫛の両端の太い歯。思想に、古墳時代の櫛は竹製の堅櫛であるから男柱も長いとする。『日本書紀』に「湯津爪櫛」(神代上第五段一書六)。 ○宇士多加礼許呂〃岐弖 うじがいっぱい群がって異様な音をたてている様子。「タカレ」とある点について、「タカル」は古くは下二段活用であったのであろうと諸注に指摘している。「許呂〃岐弖」については、延佳本「斗斗呂岐弖」、記伝「斗呂呂岐弖」に改めたが、『和名抄』に「嘶咽[古路々久]」(箋注本・元和本)とあるのにより、現在は「コロロク」で落ちついている。「嘶」は声が嗄れる意、「咽」は声がむせびふさがる意であるところから、全註釈は、「(女神の体には)蛆が寄り集まり、(女神の)声は嗄れてむせびふさがっての意」に解すべきとするが、「コロロク」の主語はやはり蛆であると見られる。注釈は、蛆などがワーンとむせび泣く様をいうとし、新全集は、「コロロク」は、鳴き声ではなく、蛆がころころと転がりうごめいている様子をいうととっている。なお、この姿をイザナミの腐乱した死体の様子を言うとみる見方もあるが、あくまでも黄泉国におけるイザナミの本性を示しているに過ぎないのであって、死体と取るのは正確ではない。〈見るなの禁〉の話形として見るならば、その世界における本当の姿を見てしまうことによって別離が訪れるという展開として把握することが出来る。 ○八雷神 「イカヅチ」の原義は「厳ツ霊」であると説かれる。この場合、恐ろしい、威力ある霊的存在、若しくは魔物のようなものとして「イカヅチ」を理解するか、若しくは「雷=カミナリ」として捉えるか、判断し難い面がある。福島秋穂の指摘によるが、『華陽国志』に「雷二月出地・・・八月入地」などとあって雷は地中にあるものとする認識があるという(「記紀に登場する八雷神(八色雷公)をめぐって」『記紀神話伝説の研究』一九八八年)。角川新版は、八種の雷は黄泉に発生したと日本神話は伝えるとするが、すでに出現している「建御雷神」との関係をどう考えるかも問題となろう。しかし「雷」の字を用いている以上、単に魔物のようなものを指しているとも考えづらい。また、それぞれの雷には「神」が付いていないが、まとめの箇所に「八雷神」とあるのによって、これらを「神」として捉えて良いものかどうかも問題がある(次項参照)。『日本書紀』神代上第五段一書九には「八色雷公」「八雷」とある。 ○成居りき イザナミの各所には「居」とのみ表現されているが、ここもまとめの箇所にのみ「成居りき」となっている。単に「居」であるならば、これらの「雷」とイザナミとの関係は不明瞭であるが、すべてに「成」を及ぼして考えるならば、「雷」はイザナミの体から出現したものということになる。判断は難しいが、こうしたまとめの箇所の内容は、それ以前の内容理解に及ぼして考えるべきものと思われる。若しくはそう理解するように期待して記されているものと思われるゆえ、イザナミの身体に「成った」存在として捉えたい。この問題(「上件~」などで説明される部分・説明注・注的本文など)は『古事記』全体に関わってくる問題でもある。なお、『日本書紀』では「在」とする(神代上第五段一書九)。

本文に戻る

黄泉国と古墳・横穴式石室

『古事記』の黄泉国説話を、古墳時代後期、古墳に築かれた横穴式石室に対比させる解釈は、考古学研究で多く説かれてきた。小林行雄は、横穴式石室から出土する土器と「黄泉つ竈喰い」との関係を指摘し、白石太一郎氏は横穴式石室の閉塞儀礼と黄泉国説話の「事戸(ことど)わたし」とを対応させた。また、土生田純之氏は「黄泉国」の成立と横穴式石室の導入とを関連づけた。さらに、広瀬和雄氏・和田晴吾氏は、横穴式石室の導入と、日本列島における大陸的な霊魂観の導入とを関連づけて説明する。黄泉国と古墳の横穴式石室とを結びつける解釈は、現在においても一定の位置を占めているといってよいだろう。しかし、古墳における死者・遺体の取り扱い方、儀礼の実態を確認すると、単純にそうとは断言できない点が認められる。これについて、改めて確認してみよう。
 まず、古墳時代を通じて、遺体は一貫して木棺・石棺、もしくは石室に密閉され、飲食の供献が行われていた。これは、五世紀後半から六世紀にかけて横穴式石室を導入しても基本的に変化しなかった。
 放置すれば腐敗する遺体。これに生物的な危険性と嫌悪を感じるのは、人間としては自然な認知の反応である(ボイヤー、二〇〇八)。遺体を密閉・遮蔽する行為の背景には、このような脳の認知システムがある。日本列島では、三世紀、特別な人物の遺体を、長大な木棺に納め、鏡・武器・玉類等の品々(副葬品)を副えて竪穴式石室に密閉、外界から区画・遮蔽する形が確立する。また、遺体・墓へと飲食を供えることは、弥生時代後期には確認でき、古墳時代へとつながっていく。この二つの要素が一体となり、前方後円墳という墳丘の成立とともに、三世紀代、古墳の葬法=遺体への儀礼(特別な死者への祭祀)の形が成立する。この古墳の儀礼は、四世紀後半から五世紀代、副葬品の一部の変化、形象埴輪群の導入、横穴式石室の導入を経ながらも、六世紀代まで維持されていく。
 古墳における遺体の扱い方は、五世紀代の横穴式石室の導入など以上に、七世紀代に大きく変化した。七世紀中頃以降、遺体を納めた棺のみを安置するスペースしかない横口式石槨が普及する。その結果、副葬品や飲食の供献は行われなくなり、「古墳の遺体に対する儀礼」=「特別な死者に対する祭祀」は消滅する(笹生、二〇一五)。
 このような古墳の変化の後に、『古事記』の編纂は行われていた事実に留意しなければならない。古墳の横穴式石室が主に機能していた時代と『古事記』の編纂の時期とは一致しない。『古事記』編纂段階で横穴式石室は、すでに過去のものとなっていたのである。そして、横穴式石室の遺体は、三世紀以来の伝統を受け継ぐ儀礼・祭祀の対象であった。ところが、『古事記』の黄泉国は極めて穢れた場所であり、伊耶那美命は腐敗し穢れた恐ろしい存在として描かれている。そこからは、儀礼・祭祀を行う場、祭祀の対象としての性格は読みとりにくい。
 これと関連するのが、『古事記』における黄泉国の描き方である。黄泉国は、あくまで穢れた場所、伊耶那美命は腐敗した恐ろしい存在としての側面が強調されている。黄泉国の穢れは、後段の「三貴子誕生」につながる不可欠な要素である。三貴子は、伊耶那岐命が禊で穢れを除く過程で誕生するからだ。つまり、『古事記』では黄泉国説話は、単独で意味をもつのではなく、前後の文脈の中に位置づけなければならない。
 類似した状況は、『古事記』で「事戸を度す」舞台の「黄泉比良坂」を、「出雲国の伊賦夜坂」とすることでもうかがえる。この記述は、伊耶那美神を「出雲国と伯伎国との堺の比婆の山」に葬ったとの前段をうけ、比婆山と出雲国との地理的な位置関係を反映させていたと考えられる。そう考えると、黄泉比良坂を横穴式石室の羨道に対応させ、「事戸わたし」を羨道の閉塞儀礼に結びつけるのは難しくなる。
 『古事記』は、一定の編纂作業を経て一つの物語として成立している以上、その一部分を切り取り単独で意味を考えるのは正しい分析方法ではない。黄泉国の分析にも、これは当てはまる。黄泉国は、やはり前後の文脈の中で意味を考えるべきで、これだけを取り出して横穴式石室と結びつけることには慎重でなければならないだろう。  〔笹生衛 考古学・日本古代史〕
 
参考文献
  ・小林行雄「黄泉戸喫」『考古学集刊』第2冊 東京考古学会 一九四九年
  ・白石太一郎「ことどわたし考」『橿原考古学研究所論集 創立三十五周年記念』 吉川弘文館 一九七五年
  ・土生田純之『黄泉国の成立』学生社 一九九八年
  ・広瀬和雄「装飾古墳の変遷と意義」『国立歴史民俗博物館研究報告』第152集 二〇〇九年
  ・和田晴吾『古墳時代の葬制と他界観』吉川弘文館 二〇一四年
  ・パスカル・ボイヤー(鈴木光太郎・中村潔訳)『神はなぜいるのか?』NTT出版 二〇〇八年
  ・笹生 衛「古墳の儀礼と死者・死後観―古墳と祖先祭祀・黄泉国との関係―」『古事記學』第一号 二〇一五年

「黄泉戸喫」の訓および解釈

荷田春満は、春満訓書入れ古事記で、「戸」を寛永版本の傍訓のまま、「ヒ」として「ヨモツヒクヒ」と訓んでいる(度会延佳『鼈頭古事記』の訓も同様に「ヒ」)。また、『日本書紀』神代巻の「飡泉之竈」の箇所の解釈で、
  ヨモツヒクヒトアルハ、ヨモツヒヲ被聞食也、天ノ日ハ到テ清々アキラカナルモノナリ、人ノ身ニモテラストアルニ二ツアリ、善化ニ照ハ霊ノ明、情欲思ノ火ハ国津ノ火也、此ノ冉尊ノ被仰タルハ地中ノ火トナリ玉フトノ義也、本朝ニテ火ヲ忌理至テ分アルコト也 (東丸神社蔵、荷田信名筆『日本書紀神代巻箚記』)
と、黄泉の火であり、邪悪な情慾の火であることを主張し、日本では古来、火を忌む習慣があることは道理にかなっているとする。
 賀茂真淵も「戸」を「ヒ」と訓み、『古事記頭書』では「四国にては穢火をくへハ必狼の家の門まてもしたひ来るなり」と注を加えており、火のことと理解している(『古事記頭書』『賀茂真淵全集』第十七巻一一頁)。『仮名書古事記』でも同様に「ひ」と訓じている。また、自筆の書入れ本古事記の頭注には、古代、火を忌むことは律令等の記録からはみられないとする荷田在満の意見に対し、「真淵云火必忌之因諸書多」と反論している。
 宣長は『古事記伝』で「戸」を「ヘ」と読み、竃と解釈し、従来「ヒ」と訓じてきたことの非を説いてはいるが、同時に火を忌むことも強く主張しているように、「ヨモツヘクヒ」全体に火を含意すること自体は否定していない。
 このように、この個所を火を忌む風習の起源とする見解は、春満・真淵・宣長共に共通している。 〔松本久史 近世国学・神道学〕

於是欲相見其妹伊耶那美命追徃黄泉國 尒自殿縢戸出向之時伊耶那岐命語詔之 愛我那迩妹命吾与汝所作之國未作竟故可還 尒伊耶那美命答①白悔哉不速来 吾者為黄泉戸②喫 然愛我那勢命[那勢二字以音下效此]入来坐之事恐故欲還 且與黄泉神相論莫視我 如此白而還入其殿内之間甚久難待 故刺左之御美豆良[三字以音下效此]湯津〃間櫛之男柱一箇取闕而 ③燭一火入見之時 宇士多加礼許呂〃岐弖[此十字以音] 於頭者大雷居 於胸者火雷居 於腹者黒雷④居 於陰者析雷居 於左手者若雷居 於右手者土雷居 於左足者⑤鳴雷居 於右足者伏雷居 并八雷神成居 【校異】
① 真「曰」 兼以下卜部系「白」  下文の「如此白而」により改める。
② 真「■(口+丄+人+ハ)」 果・祥・春「■(口+人+大)」 兼以下卜部系による。
③ 真・果・祥・春「■(火+日+句)」 兼以下卜部系による。
④ 真 ナシ 道以下による。
⑤ 真・果・祥・春「嶋」 兼以下卜部系による。

さて、(伊耶那岐命は)妻の伊耶那美命に会おうと思い、黄泉国に追って行った。 そうして、伊耶那美命が御殿の閉じられた戸から出て(伊耶那岐命を)迎えた時、伊耶那岐命が語りかけておっしゃることには、 「愛しいわが妻の命よ、私とお前が作った国は、まだ作りおわっていない。だから、帰ってほしい」とおっしゃった。 伊耶那美命は答え申し上げて、「残念なことです。あなたが早くいらっしゃらなくて。 私は黄泉国のかまどで煮炊きしたものを食べてしまいました。 そうではあっても、愛しいわが夫の命がこの国にいらっしゃったのは恐れ多いことです。だから帰ろうと思います。 しばらくの間、黄泉神と相談してきます。その間、決して私をご覧にならないでください」と申した。 このように申し上げて、その御殿の内に帰って行った。その間がたいへん長くて、(伊耶那岐命は)待ちきれなくなってしまった。 それで、左の御みずらに刺していた神聖な爪櫛の端の太い歯を一本折り取って、 一つ火をともして御殿の内に入って見たところ、 伊耶那美命の身体には蛆がたかってころころところがりうごめき、 頭には大雷がおり、 胸には火雷がおり、 腹には黒雷がおり、 女陰には析雷がおり、 左手には若雷がおり、 右手には土雷がおり、 左足には鳴雷がおり、 右足には伏雷がおり、 あわせて八種の雷神が、(伊耶那美命の体から)出現して居た。

先頭