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八上比売

読み
やかみひめ
ローマ字表記
Yakamihime
別名
-
登場箇所
上・稲羽の素兎
上・根の堅州国訪問
他の文献の登場箇所
旧 八上姫(地祇本紀)
梗概
 大穴牟遅神(大国主神)の兄弟の八十神たちが求婚した稲羽(因幡)の地にいた神。菟神が大穴牟遅神に告げたとおり、八十神からの求婚をしりぞけて大穴牟遅神の妻となった。結婚後、大穴牟遅神についていったが、正妻に迎えられた須世理毘売を畏れ、生んだ子(木俣神。別名、御井神)を木の股に差し挟んで帰った。
諸説
 「八上」は因幡国八上郡(現・鳥取県八頭郡)の地を指すとされる。「八上比売」という名前は、その地の豪族の女性を意味するとされ、因幡国の生産力の要となる千代川を治めた八上の首長一族が、その元祖として伝承した人物だとする説や、八上郡の中心地と目される土師郷(現・郡家町)の豪族の娘らが八上比売と称されたとする説がある。
 八上比売の神格については、大穴牟遅神の妻の一人である沼河比売が、沼川の地(新潟県糸魚川市)で産出する翡翠(硬玉)にまつわる女神と捉えられることと関連して、玉類の産出に関する神とする見方がある。古代の八上郡若桜郷にあたる鳥取県八頭郡若桜町が翡翠の原産地であることから、八上比売をその地の翡翠を掌る神と捉える説がある。また、八上比売の根拠地で瑪瑙が採れたとみて、瑪瑙の化身の神とする説もある。
 大穴牟遅神(大国主神)の八上比売や沼河比売への求婚説話の成立について、翡翠の原産地と出雲の玉造りの工房との交流・契約を背景としてこの説話が生まれたと捉える説がある。また、大穴牟遅神の兄弟がこぞって八上比売に求婚したことを、八上の地で翡翠が発見された際に出雲の玉造りにかかわる人々がそれを求めて集まった伝説に基づく表現と捉える説もある。
 八上比売への求婚説話の内容は、末子成功型の求婚譚の類型に当たるとされるが、この中に含まれる稲羽素兎説話の要素は、元来は、その説話の舞台となっている高草郡で伝わった八上比売とは関わりのない別の説話であったと見られている。当該説話の成立過程については、千代川周辺の地域的なつながりによって八上比売の伝承に稲羽素兎説話が結びつき、その上で、大国主神を主人公とする国造り神話が中央で編纂される際、その中に吸収されて『古事記』所載の形になったとする説がある。
 八上比売を祭ってきたとされる神社に、『延喜式』所載の因幡国八上郡「売沼神社」がある。現在の売沼神社(鳥取県鳥取市)は、中世以来「西の日天王」と称されていたのを江戸時代の元禄年間に復称し再建された社であるが、その元来の祭神が八上比売であるかについては異論もある。
参考文献
西郷信綱『古事記注釈 第三巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年8月、初出1976年4月)
倉野憲司『古事記全註釈 第三巻 上巻篇(中)』(三省堂、1976年6月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
三谷栄一「出雲神話の生成―記紀と『出雲国風土記』との関連について―」(『日本神話の基盤』塙書房、1974年6月、初出1969年10月)
吉井巌「大蛇退治、劔、玉」(『鑑賞日本古典文学 第1巻 古事記』角川書店、1978年2月)
上田設夫「八上比売と御井神―稲羽の素菟覚書―」(『古事記年報』21、1979年1月)
『式内社調査報告書 第十九巻 山陰道2』(式内社研究会編、皇学館大学出版部、1984年2月)
石破洋「八上比売考」(『イナバノシロウサギの総合研究』牧野出版、2000年6月、初出1997年3月)
古賀登「稲羽の素菟考」(『神話と古代文化』雄山閣、2004年9月)
寺川眞知夫「大穴牟遅神と稲羽の素菟」(『古事記神話の研究』塙書房、2009年3月、初出2006年11月)

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