古事記ビューアー

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是に、天神諸の命以ちて、 伊耶那岐命・伊耶那美命二柱の神に、「是の多陀用弊流国を修理ひ固め成せ」と詔して、 天の沼矛を賜ひて言依し賜ひき。 故、二柱の神、天の浮橋に立たして[訓立云多々志]、 其の沼矛を指し下して画けば、 塩許々袁々呂々迩[此七字以音]画き鳴し[訓鳴云那志也]て 引き上げし時、其の矛の末より垂り落つる塩の、累なり積りて、嶋と成りき。 是淤能碁呂嶋なり[自於以下四字以音] 。

〇天神諸  この「天神諸」がどの神を指すのかで昔から見解が分かれている。「諸」とある点から見て、単独の神とは取れない。最初に出現した五柱を殊更「別天神」と言っているので、その五柱を指す可能性は高い。次に、身を隠した神を抽象神・司令神的存在と考えるならば、別天神+クニノトコタチとトヨクモノとなる。また、ここまで出現した神は皆高天原に成った神であり、皆天神でありうるゆえ、司令を受けるキ・ミ二神を除く全ての神を指すという見方もあり得る。はじめの五柱ならば何故「別天神」の称を使用しないのかが問題となるし、トヨクモノまでを含めるというのは基準が不明瞭である。「隠身」の神であることは文脈上保証されない。「諸」という言い方は、『日本書紀』や風土記に見られる「諸神」「諸人」「人諸」などからすれば、敬意を含まない語である。従ってキ・ミ二神以前の全ての神を含むと見て良いのではなかろうか。但し、「命以」「言依」の主体であることを考えるならば、その中心にはタカミムスヒの存在があるということは言えよう。
〇命以(―言依)  「命以」は「お言葉で」、の意。『日本書紀』には使用されない、『古事記』独自の表現。基本的には後の「言依」と合わせて一つの神話文脈を形成する。『古事記』中に十三例。スサノヲの会話文の中の例と、イナバノシロウサギの会話文の中の二例を除けば、後は基本的に天照大御神、高御産巣日神(高木神)の司令の言葉に用いられる。太田善麿は、高天原の存立の根拠を支える秩序と、この「命以」の論理が深く関わると説く(『古代日本文芸思潮論』Ⅱ桜楓社一九六二・一)。コトヨサスは委任するということだが、後の三貴子分治条の三例が「事依」となっている以外はすべて「言依」であり、言葉が深く関わることが理解される。「命以―言依」とセットとなって、言葉によって委任するという文脈となる。この場合、依頼された側は、依頼した側と同じ立場・資格を持って行動する、言い替えれば、依頼した存在そのものが行動しているのと同じと見なされると捉えられる(西田長男『日本神道史研究』二、講談社一九七八・四参照)。なお、『日本書紀』(第四段)では第一の一書のみ、「天神」によって地上の統治を命じられる展開を持つが、本書並びに他の一書では、キ・ミ二神が相談して国生み・国作りを行うことになっている。
〇詔  「詔」は本来天皇の発話に際して使用される語。天皇の発言には「詔」の他に「勅」もある。律令の規定では、臨時の大事や宣命には「詔書」を使用し、尋常の小事その他には「勅旨」を用いる等の使い分けがあるようだが、六国史等の文献にみえる「詔」「勅」は両者相通じて用いられている例もあるという。『日本書紀』では「詔」字の使用は天皇の発言に限られているので、神代巻には「詔」は一例もない。その代わりに皇祖神等の神の発言には「勅」字が使われており、その使用場面は『古事記』の「詔」字使用場面と共通する場合が多い。『古事記』では「勅」字は序文の二例を除けば、下巻安康記の根臣のセリフの中で、安康天皇の命令を示す「勅命」という言い回しがあるのが唯一の例である。『古事記』では神から天皇へという繋がりの中で「詔」による発話者の流れを示している面がある故に、「詔」に一元化しているものと思われるが、その上でなお皇祖神〜天皇という直系に限らず、例えばスサノヲや、ヤマトタケル等、アマテラスや天皇と連なる神・人にも「詔」を使用するところに特質がある。『古事記』その他上代の「詔」の使用状況については、古賀精一・横田健一・谷口雅博などの論に詳しい。
〇修理固成  延佳本・西宮修訂・思想「ヲサメカタメナセ」、訂正古訓古事記「ツクリカタメナセ」、校訂古事記・全註釈「ヲサメツクリカタメナセ」、注釈「ツクリカタメヨ」、注解「ツクロヒカタメナセ」等、訓が定まっていない。「修理」二字を合わせて訓む場合、「ツクル」「ヲサム」のいずれかになるが、一方で一文字ずつ「ヲサメツクル」(または「ツクリヲサム」)と訓む立場もある。【→補注八】「国土の修理固成」
〇天沼矛  『日本書紀』に「天之瓊[瓊玉也此云努]矛」とある。玉で飾った矛。 〇天浮橋  『古事記』ではこの箇所を含めて三例見られるが、いずれも高天原から葦原中国に降る際に立つ場所として提示される。高天原から葦原中国に降る神は、伊耶那岐・伊耶那美の他、スサノヲ・アメノホヒ・アメワカヒコ・タケミカヅチ・アメノトリフネ・オシホミミ・ニニギ等がいるが、途中で天浮橋に立つのは今回の他にはオシホミミ・ニニギの場合である。皇統に列なる重要な神の降臨に限られる描写とも見られるが、それだけではなく、地上に対して何らかの働きかけをする場所として位置付けられているように見られる。この場面ではアメノヌボコで地上をかき回す。オシホミミの場合は地上の喧噪を窺う。ニニギの場合は明確ではないが、ウキジマリソリタタシテという特殊な表現からすれば、地上降臨への段階として必要な要素であったと思われる。なお、『播磨国風土記』賀古郡の「八十橋」、「丹後国風土記逸文」の「天梯立」のように、天上界と地上界とを繋ぐ通路であると取る説もあるが、『古事記』内部ではそのような機能を有しているとは考えづらい。あくまでも降る際に「立つ」場所であり、昇天の際に登場することはない。【→補注九】天の浮橋
〇立[訓立云多々志]   「立つ」の未然形に尊敬「す」の 連用形「し」が付いた形。お立ちになって。古史伝は出発の意とするが、『古事記』の出発は「発」で「立」は使わない。訓注では文脈に合わせた活用の形を示していることになる。次の「鳴[訓鳴云那志也]」も同じ。天之常立神のところには[訓立云多知]とあった。前項に記した他の二箇所では、国譲り神話の冒頭部に「天忍穂耳命於天浮橋多々志[此三字以音]而」、天孫降臨条に「於天浮橋宇岐士摩理蘓理多々斯弖[自宇以下十一字以音]」とあっていずれも訓みを明示する形をとっている。なお、注解はタツで訓むことを指示することで、天浮橋を立てたのではなく、天浮橋に立ったのだという理解を保証すると説く。そうした配慮があったことは充分に考えられる。次の「見立」に訓注がないこととも絡む問題であるかも知れない。
〇淤能碁呂嶋  日本紀私記に「自凝之嶋也」といい、自ずから凝り固まった島と理解されている。これを実在の島として、淡路島の南の沼島、紀淡海峡の友ヶ島、淡路市の絵島など複数の地が比定地とされている。しかしこれは神話世界における島として捉えるべきであろう。仁徳記の天皇の歌に、「押し照るや難波の崎よ出で立ちて我が国見れば淡島おのごろ島あじまさの島も見ゆさけつ島見ゆ」とあり、大阪湾のいずれかの島がオノゴロ島と呼ばれていた可能性も示すが、国見歌の型を持つこの歌は元来儀礼の場などで歌われたものと思われ、「淡島」も歌われていることからすれば、世界の始まり、神話のはじまりの情景を幻視し、歌っているものと考えるべきであろう(詳細は仁徳記にて)。

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「国土の修理固成」

「修」「理」をそれぞれに「作る」「治める」という二つの内容を示すと見るのか、「修理」でひとまとまりの意味を示すと取るのかで理解が異なる。「修理」は『古事記』中では他に二例見られる。垂仁記「修理我宮如天皇之御舎者」、仁徳記「悉雖雨漏都勿脩理」の二例で、いずれも建物の修繕を意味する文脈で使われている。この場面では、新たに国の生成を命じているのであるから、すでにあるものを修繕する意味用法であるならばそぐわないということで問題とされる。注解は、天神が思い描く(天神の思惟の中に存在する)「あるべき姿」に整え正す意味であるとし、他の「修理」の用例との整合をはかるが、むしろこの場合、「クラゲナスタダヨヘル」という状態の「国」を「修理」するように命じているのであるから、「タダヨヘルクニ」を修理せよという理解で良いのではないかと思われる。そうすると、意味的には「ツクロフ」が最も妥当か。「固」「成」のうち、「固」については同じ文字が『古事記』中になく、また真福寺本には「因」となっていることから、朝日古典全書のように「修理して・・・成すに因りて」と訓むものもあるが、後文との繋がりが悪い点と、真福寺本には「因」と他の字(「固」の他、「曰」など)との異同が多く、誤字の可能性が高いので、「固」を取る。「固」「成」の意味は明らかではないが、既に宣長も指摘しているように、大国主神の国作りの場面に「作堅此国」「相作成・国難成」とあるのを参考とするならば、「固」→「成」という流れがあって、「成」は完成を意味するものと思われる。
 この「修理固成」が具体的にどの行為に繋がるのか、またこの命令がどの段階で果たされたのかについては諸説がある。「命以」ちて天沼矛を授けて「言依」したこと、「固」という語との関連などから、オノゴロ島生成までを指すとするのが一番文脈上短い把握の仕方である。後は「修理」の「ツクル」という意味から、キ・ミ二神の国作りがその内容にあたるとする見方(この場合、島生みのみとするか、神生みをも含むかで見解が分かれよう)。その見方の延長線上で、黄泉国神話冒頭の伊耶那岐命の言葉「吾と汝と作れる国、未だ作り竟へず」との関わりから、「修理」(ツクル)ことは終了しておらず、国作りは大国主神へと受け継がれると考え、スクナビコナとの国作り(作堅)、御諸山神の祭祀(国成)を経て「修理」「固」「成」が終了するという説もある(注解)。一方「修理」の「ヲサム」の語義を重視する説では、この天神の命以が歴代天皇の統治にまで及んでいるとする(講義)。『古事記』の神話文脈で捉えた場合に、歴代天皇にまで及んでいるとする説は取りがたい。またここでも命以はあくまでキ・ミ二神になされたものであるのだから、キ・ミ二神の活動の範囲内で考えるべきであろう。この二神は「生む」ことで「修理固成」の命以を果たして行くのだから、「生む」行為が終わるところと考えるべきではないか。「生む」行為は伊耶那美命の神避りによって終わったように見受けられるが、実は伊耶那岐命が三貴子を出現させた場面において、「我は子を生み生みて生みの終に三貴子を得たり」と宣言しており、ここを「修理固成」の及ぶ範囲として考えたい(谷口雅博「古事記神話における国の生成―「国生」「国作」の意義―」『古事記年報』40、一九九八・一参照)。〔谷口雅博〕

天の浮橋

『古事記』、『日本書紀』の天の浮橋については、比較神話学、比較宗教学の立場に立つ海外の研究者から、虹を意味するという解釈がなされてきた。古くはカール・フローレンツが『日本書紀』のドイツ語訳の注で、天の浮橋について虹を意味する可能性を指摘し、ゲルマン神話のビフレストを想起すると述べた(Karl Florenz, Japanische Mythologie. 1901)。
 ビフレスト(ビルレストとも)とは、神々が地上から天上へとかけたもので、ぐらつく道で、虹であるとされる(「グリームニルの歌」、「ギュルヴィたぶらかし」谷口幸男訳『エッダ―古代北欧歌謡集』新潮社一九七三・八)。
その後、アストンも天の浮橋は、「虹であることは疑いない」(W.G. Aston, Shinto, 1905 )と述べている。宗教史学者のペッタツォーニは、天の浮橋を考えるにあたって、ビフレストのほかにゾロアスター教の聖典アヴェスタにみられるチンヴァットという生者の国と死者の国にかかる橋にも触れ、それが明らかに虹からきた古い神話的な観念であるとし、日本神話の基層にも見られるものだと述べた(Raffaele Pettazzoni, La Mitologioa Giapponese secondo il I libro del Kojiki, N. Zanichelli, 1929.)。大林太良は、これらの説にさらに後世の伝説や文学の例を加え、虹は橋であるという考えが日本に存在することを論じ、天の浮橋を「虹の橋」の観念の現れとした。また、ドイツの民族学者エーレンライヒが、始祖伝説の傾向として、天から英雄が橋や虹を通って地上に下ることがあるとしたことを挙げ、天の浮橋も天孫降臨の始祖ともいえるホノニニギに利用されていることに注目した(大林太良『銀河の道 虹の架け橋』小学館一九九九・六)。天から降る神のなかで、天の浮橋を利用するのは、イザナキ・イザナミのほか、オシホミミ、ホノニニギである。いずれも始祖と位置づけられる存在であることから、エーレンライヒのいう始祖伝説の一般的傾向を日本神話も持つということもできるだろう。〔平藤喜久子〕

於是天神諸命以 詔伊耶那岐命伊耶那美命二柱神修理①固成是多②陀用弊流之国 賜天③沼矛而言依賜也 故二柱神立[訓④立云多々志]天浮橋而 ⑤指下其⑥沼矛以⑦畫者 塩許々袁々呂々迩[此七字以音]畫鳴[訓鳴云那志々]而 引上時自其矛⑧末垂落塩之累積成嶋 是淤能碁呂嶋[自於以下四字以音] 【校異】
①  真「因」  兼永本以下による。
②  真「院」  道果本以下による。
③  真「治弟」  道果本以下による。
④  真「並」  道果本以下による。
⑤  真「杇」  道祥本・春瑜本右傍書、兼永本による。
⑥  真「治弟」  ②に同じ。
⑦  真「盡」   道果本以下による。
⑧  真「未」  道果本以下による。

天つ神諸々のご命令で、 伊耶那岐命・伊耶那美命の二柱の神に、「この漂っている国を整え固めて完成させなさい」と仰って、 天の玉矛をお与えになってご委任なさった。 それで、二柱の神は、天の浮橋にお立ちになって、 その玉矛を指し下ろしてかき回しなさって、 海水をコオロコオロとかき鳴らして引き上げなさった時に、 その矛の先から滴り落ちた海水が重なり積もって島となった。 これがオノゴロ島である。

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