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於是ここに、伊耶那岐命づ「阿那迩夜志愛袁登賣袁」と言ひ、 後に妹伊耶那美命、「阿那迩夜志愛袁登古袁」と言ふ。 如此かく言ひ竟へて、御合して生める子は、 あはわけしま 次に伊予之いよの二名ふたなの嶋を生む。 此の嶋は身一つにしておも四つ有り。面毎ごとに名有り。 故、伊予の国は比売ひめと謂ひ、 讃岐さぬきの国は飯依比古いひよりひこと謂ひ、 あはの国はおほと謂ひ、 土左とさの国は建依たけよりわけと謂ふ。 次に隠伎之三子おきのみつごの嶋を生む。 またの名は天之忍許呂別あめのおしころわけ 次に筑紫つくしの嶋を生む。 此の嶋も身一つにして面四つ有り。面毎に名有り。 故、筑紫の国は白日しらひわけと謂ひ、 とよの国はとよわけと謂ひ、 の国は建日向日豊久士比泥別たけひむかひとよくじひねわけと謂ひ、 熊曽くまその国はたけわけと謂ふ。 次にの嶋を生む。 亦の名はあめはしらと謂ふ。 次に津嶋つしまを生む。 亦の名はあめよりと謂ふ。 次に佐度さどの嶋を生む。 次に大倭おほやまととよあき津嶋づしまを生む。 亦の名はあめ御虚空みそらとよあき津根つねわけと謂ふ。 故、此の八嶋やしまを先づ生めるにりて、大八嶋おほやしまくにと謂ふ。 しかる後に、かへす時に、 吉備きび児嶋こじまを生む。 亦の名はたけ日方ひかたわけと謂ふ。 次に小豆あづきしまを生む。 亦の名はおほと謂ふ。 次に大嶋おほしまを生む。 亦の名はおほ多麻たまわけと謂ふ。 次にひめしまを生む。 亦の名は天一あめひとつと謂ふ。 次に知訶ちかの嶋を生む。 亦の名は天之あめの忍男おしをと謂ふ。 次に両児ふたごの嶋を生む。 亦の名はあめ両屋ふたやと謂ふ[吉備の児嶋より天の両屋の嶋に至る、あはせて六つの嶋]。

○御合 結婚・交合の意。「ミトノマグハヒ」「クミドニオコシテ」という特殊な表現を用いた最初の婚姻場面については、結果的に子生みに失敗しているのに対し、成功が語られるこの場面において、単に「御合」としか無い点にやや疑問が残る。『古事記』中には「合」の他「婚」「嫁」「目合」「娶」「ミトノマグハヒ」「ミトアタハシツ」などの語が結婚・交合の意で用いられる。物語展開としては「合」の後に「婚」となるというような段階を示している場合もある(ニニギの結婚の場合など)。吉井巌は、「娶」字の用法を精査し、比較的新しく作られた皇統譜の記述が「娶」で記されるのに対し、古い伝承によると考えられる神々の系譜的表現(国生み神話)には「娶」以外の表現が見られると説き、帝紀と舊辞との資料性の相違について論じた(「帝紀と舊辞―娶の用字をめぐって―」『天皇の系譜と神話一』塙書房一九六八・一一)。ただ、資料性の問題のみに還元し得るかどうかは考察の余地がある。 ○淡道之穂之狭別嶋 諸注、淡路島であると述べる。記伝に「名義は、阿波國へ渡る海道にある嶋なる由なり」とし、「始に生坐る嶋なれば、稻穗の先出そめたるによそへて、穗之早の意歟」という。講義はこれを「最初のワケ(別)」とし、亦名ではなく説明かもしれないと可能性を示した。穂之狭別の「穂」は粟に因んでいるとする説もある(新講)。なお、『日本書紀』には、少彦名命が淡嶋で粟茎に登り、弾かれて常世に渡った話がみえる。生まれる島の第一に淡路之穂狭別嶋が描かれる理由について、思想は、国生み神話の原形が淡路島に伝えられていた地方的な島造りの神話であったからではないかとする。 ○伊予之二名嶋 記伝によれば「二名」は「二並」の借字であるといい、新講は記伝説に則って東西南北どこからみても二つずつ並んでいる姿を指摘する。他方、集成は「もう一つの総称として「阿波国」ともいうから「二名」と言ったか」としている。しかし、『古事記』では粟国が二名嶋の四つある面のうちの一つとして描かれており、集成の理解には疑問が残る。 ○此嶋者身一而有面四 イザナキ・イザナミ二神が「身」をもって生んだ島々も「身」として位置づけられている。二神の身体問答から繋がる表現。 ○伊予国  愛比売  現在の愛媛県。記伝は「此國は女子の始の意にて、兄比賣か、(中略)又 宜き意か」という。 愛袁登古・愛袁登賣の愛と同じ。 ○讃岐国  飯依比古 現在の香川県。記伝は「隣の粟國を大宜都比賣といへば、飯もそれに由あるか」という。飯の精霊の依りつく男の意。 ○粟国  大冝都比売 現在の徳島県。記伝以来、粟をよく産出した国であることによる名とされる。紀伊国は木、吉備国は黍と関係するのと同じであろう。この名は後に火の神誕生の直前にも見える。別神とする意見が多いが、何故同名の神名が登場するのかは不明。スサノヲに殺害されるオホゲツヒメは後に登場する方の神か。 ○土左国  建依別 現在の高知県。全講は「雄々しい威霊のより憑いた男の意」という。集成によれば、およそ四国は男と女の名に二分され、また穀物名とそうでない名とに二分されているのが特徴だという。「建」については建速須佐之男命の項で後述。 ○隠伎之三子嶋  天之忍許呂別 隠岐は島前・島後の四島よりなるが、『古事記』では「三子嶋」とされるため、数が合わない。記伝は島前と称される三島が隠伎之三子嶋であるとする。集成によれば、これは島根県美保関から隠岐嶋に進行した時の視覚に基づくものだという。なお、四国・隠岐・九州という島生みの順番が不自然であるとの指摘がある(全注釈)。天之忍許呂別について記伝は、忍は大の約言と指摘し、その傍証として神代紀一書の「熊野忍隅命」が別の一書に「熊野大隅命」とあることを挙げる。また標註が「ものを押ふる意にて、勢あるを云」と言い、「忍」の解釈は二説に分かれる。許呂は凝り固まる意(講義)か、「子+接尾語「ろ」」という(評釈)。講義は隠岐島が島々の集まった塊であることに起因する名とする。また全註釈は、忍許呂は「押し凝」であるという。 ○亦名 『古事記』の亦名は、単なる別名をいうものではなく、全く別個の存在を結合させるための表現であるとの指摘がある(菅野雅雄『古事記系譜の研究』桜楓社一九七〇・一)。 ○筑紫嶋 九州の総名。狭義の筑紫(福岡県)が全島の政治・交通の中心であったため、「筑紫島」を九州全島の総称としたという(旧全集)。 ○筑紫国  白日別 筑前と筑後、今の福岡県にあたる。白日別の名義は未詳。「向日」説、「明るい日」説、「白縫」説あり。筑紫郡筑紫野原田に白日別を祭る筑紫神社がある。 ○豊国  豊日別 今の大分県。豊日は、記に橘豊日王(用明)、紀に天萬豐日天皇(孝徳)がみえる。注釈では、筑紫の四つの国にはみな「日」がついているが、これは「筑紫の日向の……」という神話上の決まり文句から来たものと思われるという。 ○肥国  建日向日豊久士比泥別 肥前と肥後。現在の長崎県・熊本県。佐賀県を含むとする説、また宮崎県を加える説もある。その名について評釈は建日向日と豐久士比泥という二つの名が一つになったかとする。日向は地名か、あるいは日に向かうことを指す言葉。久士比は奇日、泥は親称の接尾語と考えられる。国生みにおいて国名としての日向は現れない。注釈は、この神名は天孫降臨条の日向之高千穂之久士布流多気と関わりをもち、その変形に違いないとする。 ○熊曽国  建日別 熊本県南部から鹿児島県にかけての称。『豊後国風土記』には「球磨囎唹」とある。全註釈によれば、熊曽国は熊の国と曽の国を総括した呼び名で、九州の南半分とみるのが穏やかであり、ここに日向国がなく熊曽国がある理由は、皇威の及んでいる九州北半部(筑紫・豊・肥)に対し、皇化に浴しない西戎の跋扈している南半部の地域とみられていたからと思われる、という。 ○伊伎嶋  天比登都柱 現在の長崎県の壹岐。記伝は天比登都柱について、「海中に離て一ある嶋なればなるべし」という。 ○津嶋  天之狭手依比売 現在の長崎県にある対馬。記伝は韓半島へ渡る船の泊まる津であることによるとする。狭手は未詳だが、『万葉集』にみえる小網(巻一・三八、巻四・六六三)が参考となるか。依は依りつく意。 ○佐度嶋  現在の新潟県佐渡市。記伝は名義は狭門か、という。この嶋のみ、別名を持たない。 ○大倭豊秋津嶋 本州の総称であろうという説と、大和を中心とした畿内地域をさすとする説がある。秋津嶋については「明つ島」説・「現つ島」説などあり、また注釈によれば掖上あたりの地名(孝安天皇の宮)から出ているという。諸説あり、未詳。 天御虚空豊秋津根別 全書は、アマツミソラは後に皇孫について天津日高・虚空津日高と出てくるのなどに関聯する美称、ネは神人名にしばしばあらわれるが、宗教的性能を暗示する、と指摘する。 ○大八嶋国 思想は、八島国に「大」がつくことはその性格の変化を意味し、大は王権に関わるものにつく冠辞(大后・大膳・大舎人・大歌など)であるから、大八嶋国は政治的な天皇の支配領域を指す語であるとする。 ○還坐之時 八つの島を生み廻って淤能碁呂島へ還ったとするのが通説だが、新編は、生み廻るというのは無理があるとする。「還」とある理由は未詳。 ○吉備児嶋   建日方別  現在の岡山県児島半島。中世頃までは島を成していたという。建日方別の日方は日のさす方を指す語か。崇神紀七年八月に「奇日方天日方武茅渟祇」の名があり、『万葉集』にも「天霧らひ 日方吹くらし」(巻七・一二三一)がある。 ○小豆嶋  大野手比売 現在の香川県小豆島。吉備・紀伊・阿波などと同じく、小豆のとれた土地なのでこの名があるか。大野手比売は名義未詳だが、苗手(稲を束ねる藁)で野手比売は即ち早乙女の意となるとする意見がある(全註釈)。 ○大嶋  大多麻流別 大三島(愛媛県越智郡大三島町)とする説、また大島(山口県柳井市東にある屋代島)とする説など諸説あるが不明。大多麻流別については、水が溜まることによるとする全集の説と、船だまりの意とする全註釈の説がある。 ○女嶋  天一根 大分県国東半島東北の姫島かという。島名について記伝は女嶋を日字の脱であるとする。天一根は海中の孤島の意とされる。 ○知訶嶋  天之忍男 現在の長崎県五島列島。古くから外国交通および防衛の要所として知られる。天之忍男は天の威力ある男神の意か。 ○両児嶋  天両屋 五島列島の南の男島・女島であろうかとされる。天両屋は天の二つ並んだ屋根の意か。集成は、「海上遠く天空に見えるので「天の」を冠したもの」と述べた。天御虚空豊秋津根別以外の「天」を名に冠する島々は全て比較的小規模な島である。

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於是伊耶那岐命先言阿那①夜志愛袁登賣袁 後妹伊耶那美命言阿那迩夜志愛袁登古袁 如此言竟而御合生子 淡道之穂之②別嶋[訓別云和氣下效此] 次生伊豫之二名嶋 此嶋者身一③有面四毎⑤有名 故伊豫國謂愛比賣[此三字以音下效此也] 讃岐国謂飯依比古 粟國謂大冝都比賣[此四字以音] 土左國謂建依別 次生隠伎之三子嶋 亦名天之忍許呂別[⑥呂二字以音] 次生筑紫嶋 此嶋亦身一而有面四毎面有名 故筑紫國謂白⑦ 豊國謂豊日別 肥國謂建日向日豊久士比泥別[自久⑧泥以音] 熊曽國謂⑨日別[曽字以音] 次生伊岐嶋 亦名謂天比登都柱[自比至都以音川天如天] 次生津嶋 亦名謂天之⑩手依比賣 次生佐度嶋 次生大倭豊秋津⑪ 亦名天御虚空豊秋津根別 故因此八嶋先所生謂太八嶋國 然後還坐之時 生吉備兒嶋 亦名謂建日方別 次生小豆嶋 亦名謂大野⑫比賣 次生大嶋 亦名謂大多麻流別[自多至流以音] 次生女嶋 亦名謂天一根[訓天如天] 次生知訶嶋 亦⑬天之忍男 次生兩兒嶋 亦名謂天兩屋[自吉備兒嶋至天兩屋嶋并六嶋] 【校異】
①  真  ナシ  道果本以下による。
②  真 「使」   猪熊右傍イ本注及び寛以下による。道・祥・春は脱。春はイ本注「使」。
③  真 「面」  兼永本以下による。
④  真  ナシ。○符右傍書「有四」。真の「四」を兼永本以下によって改める。
⑤  真 「而」  道果本以下による。
  ※(3)〜(5)の真「(身一)面有四四毎而有名」
⑥  真 「訓」  兼永本以下による。
⑦  真 「曰」  道祥本以下による。票
⑧  真 「主」  道果本以下による。
⑨  真 「違」  道果本以下による。
⑩  真 「使」  道果〜前田本は「狭」、曼殊院本以下「狹」に作る。道以下による。
⑪  真  ナシ  道果本以下による。
⑫  真 「午上」  道果本以下「手上」。前田本「乎止」に作り、「乎」の左傍書「手イ」。寛永・春満本は「大野手比賣」に作る。道果本以下による。
⑬  真 「亦」  道果本以下による。

このようなことで二神は返り降って、もう一度天の御柱を前のときのように行き廻ったのである。今度は伊耶那岐命が、先に「ああ、なんて美しい女性なんだろう」と言い、 後から伊耶那美命が「まあ、なんと素敵な男性なんでしょう」と言った。 このように言い終わって結婚なさって、生んだ子が 淡道之穂狭別島、 次に伊予之二名島をお生みになった。 この島は体は一つで顔が四つあり、顔ごとに名がある。 伊予国を愛比売といい、 讃岐国を飯依比古といい、 粟国を大宜都比売といい、 土佐国を建依別という。 次に隠伎の三子の島をお生みになった。 別名は天忍許呂別。 次に筑紫島をお生みになった。 この島も体一つに顔四つがある。顔ごとに名がある。 筑紫国を白日別といい、 豊国を豊日別といい、 肥国を建日向日豊久士比泥別といい、 熊襲国を建日別という。 次に伊岐島をお生みになった。 別名を天比登都柱という。 次に津島をお生みになった。 別名を天之狭手依比売という。 次に佐渡島をお生みになった。 次に本州にあたる大倭豊秋津島をお生みになった。 別名を天御虚空豊秋津根別という。 そしてこの八つの島を先ずお生みになったことに因んで大八島国という。 このような国生みのことがあってからお帰りになる時に、 吉備の児島をお生みになった。 別名を建日方別という。 次に瀬戸内海の小豆島をお生みになった。 別名を大野手比売という。 次に大島をお生みになった。 別名を大多麻流別という。 次に女島をお生みになった。 別名を天一根という。 次に知訶島をお生みになった。 別名を天の忍男という。 次に両児の島をお生みになった。 別名を天両屋という。吉備の児島から天両屋の島まで合わせて六つの島である。

This time, Izanaki no mikoto first said: “Oh, what a beautiful woman!” Then Izanami no mikoto said: “Oh, what a handsome man!” Having spoken thus, they entered into conjugal union, and the first offspring they bore was the island of Awaji no honosawake 淡道之穂狭別. Next they gave birth to Iyo no futana 伊予之二名 island. This [latter] island has one body and four faces. Each face has its own name. The land of Iyo is thus called Ehime 愛比売, the land of Sanuki 讃岐 is called Iiyorihiko 飯依比古, the land of Awa 粟 is called Ōgetsuhime 大冝都比売, and the land of Tosa 土佐 is called Takeyoriwake 建依別. Then Izanaki and Izanami bore the three child-islands of Oki (Oki no mitsugo no shima 隠伎之三子嶋). These islands' other name is Ame no oshikorowake 天之忍許呂別. Next they bore the island of Tsukushi 筑紫. This island also has one body and four faces, with each face having its own name. The land of Tsukushi is thus called Shirahiwake 白日別, the land of Toyo 豊 is called Toyohiwake 豊日別, the land of Hi 肥 is called Takehimukahi toyokujihinewake 建日向日豊久士比泥別, and the land of Kumaso 熊曽 is called Takehiwake 建日別. Next they gave birth to the island of Iki 伊岐; its other name is Ame hitotsuhashira 天比登都柱. Next they gave birth to the island of Tsushima 津嶋; its other name is Ame no sadeyorihime 天之狭手依比売. Next they gave birth to the island of Sado 佐渡. Next they gave birth to the island of Ōyamato toyoakizushima 大倭豊秋津嶋; its other name is Ame misora toyoakitsunewake 天御虚空豊秋津根別. Since these eight islands were born first, this land [as a whole] is called “the Eight Great Islands” (Ōyashima 大八嶋). After this, Izanaki and Izanami returned [to Onogoro island], where they bore the island of Kibi no kojima 吉備児嶋. Its other name is Takehikatawake 建日方別. Next they gave birth to the island of Azukishima 小豆嶋; its other name is Ōnodehime 大野手比売. Then they gave birth to the island of Ōshima 大嶋; its other name is Ōtamaruwake 大多麻流別. Then they gave birth to the island of Himeshima 女嶋; its other name is Ame hitotsune 天一根. Then they gave birth to the island of Chika 知訶; its other name is Ame no oshio 天之忍男. Then they gave birth to the island of Futago 両児; its other name is Ame no futaya 天両屋. Note [included in the original text]: Kibi no kojima to Ame no futaya make up six islands altogether.

“Entered into conjugal union” (miai shite 御合)  This term means “to take as a spouse” or “have sexual intercourse.” Questions remain as to why this passage that describes success in bearing children uses the simple term miai 御合, whereas the passage describing the two deities' initial union, which failed to produce proper children, uses more elaborate expressions such as mito no maguwai (“celebrate conjugal intercourse”) and kumido ni okoshite (“went into a place to seclude themselves and began procreation”;see notes ’Celebrate Conjugal intercourse’, ’Aplace to seclude them selves’,and ’Began[procreation]’ to chapter 4). Elsewhere in the Kojiki, other terms apart from 合, such as the characters 婚, 嫁, 目合, and 娶, as well as the phonetic transcriptions mito no maguwai and mito atawashitsu, are used to mean “conjugal union” or “intercourse.” As the narrative progresses, in some passages “marriage” (婚) follows “meeting” or “union” (合), such as with the marriage of Ninigi.
 Having examined use of the character 娶 (“to take a wife”) in the Kojiki, Yoshii Iwao 吉井巌 argues that the graphic variety described above must correspond to differences in usage in the sources upon which the Kojiki is supposed to be based, the Teiki 帝紀 (records of the emperors) and the Kyūji 旧辞 (old matters). Yoshii holds that passages chronicling the genealogy of the emperors (presumably derived from the Teiki), which were written at a relatively late date, adopt the graph 娶, whereas passages presumably derived from older legends included in the Kyūji that describe kinship relations among the deities (such as the “giving birth to the land” chapter) use other characters.(1) Further consideration is needed, however, whether the reason for this graphic variation can be reduced to a hypothetical difference in sources.
Awaji no honosawake no shima 淡道之穂狭別嶋  Commentators are united in affirming that this name refers to Awaji island. Motoori Norinaga postulates that “the name [Awaji, lit. ‘Awa route’] derives from the fact that it is an island located along the sea route to the province of Awa.”(2) Regarding the meaning of honosawakethe, he adds, “Given that this was the first island to be born, honosa may mean “early ear” (穂之早) as in the sense of the first rice ear to emerge and begin to ripen.”(3) Yamada Yoshio understands this word to mean “first separation” (saisho no wake 最初のワケ(別)), and introduces the possibility that it is not an alternative name for the island but an explanation of its nature.(4) Concerning the element ho 穂 of honosawake 穂之狭別, commentators such as Tsugita Uruu propose a connection to millet (awa 粟).(5) In the Nihon shoki there is in fact a passage where the deity Sukunahikona no mikoto 少彦名命 climbs a millet stalk in the island of Awa (Awashima 淡嶋) and is sprung off from it into the Eternal Land (tokoyo 常世).(6) As to why this island is described as the first to be borne by Izanaki and Izanami, Aoki Kazuo hypothesizes that it was probably because the “giving birth to the land” myth was, in its original form, a local myth about the creation of the island transmitted in Awaji island.(7) Iyo no futana no shima 伊予之二名嶋  The toponyms appearing in this sentence all concern the island of Shikoku. Motoori Norinaga holds that the element futana (“two names”) is an alternative transcription for futanarabi 二並 (“two rows”).(8) Tsugita Uruu adopts Norinaga's view, stating that Shikoku will appear to be two islands standing side by side, regardless of the direction―south, north, east, or west―from which it is viewed.(9) On the other hand, Nishimiya Kazutami posits that futana (“two names”) was used because the island as a whole was also referred to as the land of Awa (阿波国).(10) A problem with this thesis is that the Kojiki describes the land of Awa (粟国) as one of the four “faces” of Iyo no futana shima. “ This island has one body and four faces” (kono shima wa mi hitotsu ni shite omo yotsu ari 此嶋者身一而有面四)  The islands that Izanaki and Izanami bore by means of their bodies are also treated as “bodies.” This mode of expression is related to these two deities' dialogue about their bodies. Iyo no kuni 伊予国 / Ehime 愛比売  This name designates an area corresponding to present-day Ehime 愛媛 Prefecture. Motoori Norinaga argues that “perhaps this land was called ‘eldest daughter’ (ehime 兄比賣) because it was the first female child.... E 愛 might also mean ‘good.’” This, he points out, would be the same e 愛 meaning “good” seen in the exclamations uttered by Izanaki and Izanami when they met after circling the heavenly pillar: e-otoko 愛遠登古 (a handsome man) and e-otome 愛遠登賣 (a beautiful woman).(11) Sanuki no kuni 讃岐国 / Iiyorihiko 飯依比古  This name designates an area corresponding to present-day Kagawa 香川 Prefecture. Motoori Norinaga states, “In the same way as the neighboring land of Awa is also called Ōgetsuhime, [suggesting a link with grain], ii 飯 (‘rice’) may have been chosen for similar reasons.”(12) The name Iiyorihiko carries the meaning of a male upon whom descends the spirit of rice. Awa no kuni 粟国 / Ōgetsuhime 大冝都比売  This name designates an area corresponding to the present Tokushima 徳島 Prefecture. Commentators from Motoori Norinaga on have held that this toponym derives from the fact that this region produced a lot of millet (awa 粟), in the same way as the name of the land of Ki 紀伊国 (later read as kii) may come from “tree”(ki 木), and that of the land of Kibi 吉備国 from “common millet” (kibi 黍). The name Ōgetsuhime 大冝都比売 also reappears in the next chapter of the Kojiki, just before the birth of the fire deity (see the translation of chapter 6 below). Many commentators consider these to be two different deities, but the reason why the same theonym appears twice is unclear. The Ōgetsuhime who is subsequently killed by Susanoo is perhaps the second of these two deities (see chapter 20).(13) Tosa no kuni 土佐国 / Takeyoriwake 建依別  This name designates an area corresponding to present-day Kōchi 高知 Prefecture. Ozaki Nobuo holds that the name Takeyoriwake means a man possessed by a spirit full of vigor and virility.(14) Nishimiya Kazutami points out that the four “lands” of Shikoku are divided on the one hand into male and female names and on the other into names associated with grains and those that are not.(15) We will take up the implications of the element take 建 in more detail in chapter 11, in connection with analysis of the name Takehaya susanoo no mikoto 建速須佐之男命. Oki no mitsugo no shima 隠伎之三子嶋 / Ame no oshikorowake 天之忍許呂別  The Oki 隠岐 archipelago consists of four islands divided in two groupings: Dōzen 島前 (three small islands) and Dōgo 島後 (one larger island). This number does not fit the Kojiki's description of the archipelago as consisting of “the three child-islands of Oki.” Norinaga holds that this name thus was meant to apply only to the Dōzen grouping.(16) Nishimiya Kazutami, however, believes that it reflects the way the archipelago is perceived when one travels to it from the cape of Mihonoseki 美保関 in Shimane 島根 Prefecture.(17) As a further anomaly, Kurano Kenji considers the sequence of the birth of the land to be unnatural, with Shikoku being described as the first to be born, Oki as the second, and Kyushu as the third.(18)
 As for the name Ame no oshikorowake 天之忍許呂別, two different interpretations exist regarding the morpheme oshi 忍. Motoori Norinaga interprets it as a contraction of ōshi 大 (big). As evidence he points out that the deity Kumano ōkuma no mikoto 熊野大隅命, who appears in one variant of the Age of the Gods volume of the Nihon shoki, is named in a second variant as Kumano oshikuma no mikoto 熊野忍隅命.(19) Shikida Toshiharu, on the other hand, takes oshi to mean the act of pressing something down with force.(20)
 Regarding koro 許呂, Yamada Yoshio takes it to allude to the phenomenon of coagulation. He points out that here such coagulation may refer to the Oki archipelago being made up of a cluster of islands.(21) Nakajima Etsuji understands it as the word “child” (ko 子) plus the suffix ro.(22) Kurano Kenji argues that oshikoro should be interpreted as meaning “press and coagulate” (押し凝).(23)
“Other name” (mata no na 亦名)  Sugano Masao 菅野雅雄 has pointed out that the expression “other name” (mata no na) in the Kojiki does not mean simply an alternative name, but serves to conjoin two utterly different entities.(24) Tsukushi no shima 筑紫嶋  This name serves to indicate the island of Kyushu as a whole. Ogihara Asao holds that as Tsukushi in a narrow sense (i.e., Fukuoka 福岡 Prefecture) was the political and transportation center of the entire island, “Tsukushi no shima” came to serve as a general name for the whole of Kyushu.(25) Tsukushi no kuni 筑紫国 / Shirahiwake 白日別  This name designates an area comprising the two provinces of Chikuzen 筑前 and Chikugo 筑後 and equivalent to present-day Fukuoka Prefecture. The meaning of the alternative name of Shirahiwake 白日別 remains uncertain. Some connect it to the term himuka 日向 (“sun-facing”), others interpret it to mean “bright day,” and yet others link it to the word shiranui 白縫, a pillow-word (makura kotoba 枕詞) associated with the land of Tsukushi. The Chikushi 筑紫 Shrine in Haruda 原田 in the present city of Chikushino 筑紫野 enshrines the deity Shirahiwake. Toyo no kuni 豊国 / Toyohiwake 豊日別  This name designates an area corresponding to the present-day Ōita 大分 Prefecture. The alternative name of Toyohi 豊日 subsequently occurs in the Kojiki in the proper name Tachibana no toyohi 橘豊日, the name of Emperor Yōmei 用明. In the Nihon shoki, this element appears in the name of Emperor Kōtoku 孝徳, Ameyorozu toyohi 天万豊日. Saigō Nobutsuna points out that the graph 日 (“sun”) is included in the names of all four lands of Tsukushi, and that this may derive from the epithet “sun-facing Tsukushi” 筑紫の日向の, found frequently in the myths.(26) Hi no kuni 肥国 / Takehimukahi toyokujihinewake 建日向日豊久士比泥別  The land of Hi designates an area comprising Hizen 肥前 and Higo 肥後 Provinces, equivalent to the present-day prefectures of Nagasaki 長崎 and Kumamoto 熊本 respectively. Some argue that Hi also included the area of present-day Saga 佐賀 Prefecture, and others hold that it further embraced Miyazaki 宮崎 Prefecture as well. In regard to the alternative name, Nakajima Etsuji argues that Takehimukahi 建日向日 and Toyokujihinewake 豊久士比泥別 were originally two separate names that became conjoined.(27) Himuka may be a place-name or a term meaning to face the sun. Kujihi 久士比 can be thought to be the same as kushihi 奇日 (mysterious spiritual power), while hine 泥 may be a suffix connoting familiarity. Himuka does not appear in the “birth of the land” myths as the name of a “land.” However, Saigō Nobutsuna postulates that this deity name is related to Himuka no takachiho no kujifurutake 日向之高千穂之久士布流多気, the name of the peak to which Ninigi descends in the subsequent “descent of the heavenly grandson” (tenson kōrin 天孫降臨) chapter. Saigō asserts that the deity name Takehimukahi toyokujihinewake must surely be a variant of this toponym.(28) Kumaso no kuni 熊曽国 / Takehiwake 建日別  This name designates an area extending from the southern part of present-day Kumamoto Prefecture to Kagoshima 鹿児島 Prefecture. In the Gazetteer for Bungo Province (Bungo no kuni fudoki 豊後国風土記), the name is written as Kumaso 球磨囎唹. According to Kurano Kenji, the name must have been a combined appellation intended to encompass two areas, the land of kuma 熊の国 and the land of so 曽の国; it likely designated the southern half of Kyushu. Kurano presumes that there is no reference here to the land of Himuka [located in the eastern part of this region] because in contrast to the lands of the northern half of the island (the abovementioned Tsukushi, Toyo, and Hi) over which imperial authority extended, the southern lands were regarded as barbarous areas yet to be brought fully within the compass of imperial rule.(29) Iki no shima 伊岐嶋 / Ame hitotsuhashira 天比登都柱  This name designates an area corresponding to the island of Iki 壱岐, incorporated today in Nagasaki Prefecture. Motoori Norinaga argues that the alternative name Ame hitotsuhashira (“the single heavenly pillar”) “presumably derived from the fact that it is a solitary island situated in the middle of the sea.”(30) Tsushima 津嶋 / Ame no sadeyorihime 天之狭手依比売  This name designates the island of Tsushima 対馬, incorporated today in Nagasaki Prefecture. Motoori Norinaga interprets the name as meaning a harbor (tsu 津) where ships traveling to the Korean peninsula could anchor.(31) The meaning of sade 狭手 is uncertain, but the term sade 小網 (probably meaning “a four-armed scoop net”) found in poem 38 of the Man'yōshū, and the term sate 佐堤・左手 (probably meaning “such a thing happened”) in poem 662 may be relevant.(32) The morpheme yori 依 carries the meaning yoritsuku 依りつく (“to come near; to attach to something”). Sado no shima 佐度嶋  This name designates Sado 佐渡 island, presently incorporated administratively in Niigata 新潟 Prefecture as the city of Sado. Motoori Norinaga suggests that the name may have the same meaning as the graphs 狭門 (“narrow [port] entrance”), also read sado.(33) This island is the only entity mentioned in this passage for which no alternative name is given. Ōyamato toyoakizushima 大倭豊秋津嶋  While some authors think this is a general name designating Honshu, the main island of Japan, others take it as a denomination for the Kinai 畿内 region centered on the Yamato area.(34) Some understand akitsushima 秋津島 to mean “manifest island” (現つ島), and others to mean “bright island” (明つ島). Saigō Nobutsuna holds that this name may come from a toponym in the vicinity of the city of Wakigami 掖上 (the site of the sanctuary of Emperor Kōan 孝安).(35) Although various theories have been proposed, this name's meaning remains uncertain. Ame misora toyoakitsunewake 天御虚空豊秋津根別  Kanda Hideo and Ōta Yoshimaro read the first part of the name as amatsu misora and hold that it is an expression of praise (bishō 美称) related to the epithets Amatsu hitaka 天津日高 (“one who dwells high in the heavens”) and Soratsuhitaka 虚空津日高 (“one who dwells high in the sky”). The former is used below to describe Amaterasu's grandson Ninigi and the latter Ninigi's son. Kanda and Ōta point out that the morpheme ne appears often in theonyms and anthroponyms and argue that it suggests a religious power.(36) Ōyashima no kuni 大八嶋国  Aoki Kazuo holds that the prefix ō 大 (“great”) serves to convey the transformation of the character of the land of Yashima. He argues that the prefix ō is associated with sovereignty, as in the words ōkisaki 太后 (empress), ōkashiwade 大膳 (the office in charge of imperial banquets), ōtoneri 大舎人 (imperial attendant), or ōuta 大歌 (court song). Adding it to Yashima 八嶋 thus indicates that this was the region under the emperor's political authority.(37) “Returned” (kaerimasu toki 還坐之時)  It is commonly accepted that the graph 還 kaeru (“go back”) conveys that Izanaki and Izanami returned to Onogoro island after going around giving birth to the eight islands one after another. However, Yamaguchi Yoshinori and Kōnoshi Takamitsu argue that this “going-around-giving-birth” theory is strained. For them, the meaning of the graph 還 remains uncertain.(38) Kibi no kojima 吉備児嶋 / Takehikatawake 建日方別  This name designates an area corresponding to what is today known as the Kojima 児島 peninsula in Okayama 岡山 Prefecture. It is said that until the middle ages, this area was an island. The element hikata 日方 included in the alternative name Takehikatawake 建日方別 may mean “the direction of the sun.” This digraph occurs in the Nihon shoki, in the chronicle of Emperor Sujin 崇神 (seventh year, eighth month), in the name of a woman identified as Kushi hikata amatsu hikata takechinutsumi 奇日方天日方武茅渟祗.(39) It also occurs in poem 1231 of the Man'yōshū: amagirai hikata fukurashi 天霧らひ 日方吹くらし (Mist fills the heavens / a wind blows from the direction of the sun). Azukishima 小豆嶋 / Ōnodehime 大野手比売  This name designated an area corresponding to Shōdoshima island 小豆島, located in present-day Kagawa Prefecture on the eastern shore of the Inland Sea. In the same way as the abovementioned names of Kibi, Ki, and Awa evidently derive from a product associated with the region, this name may indicate a place where azuki beans (Vigna angularis) were grown. The meaning of the name Ōnodehime 大野手比売 is not clear, but Kurano Kenji thinks that node 野手 may be a loan word for naede 苗手 (straw used for binding bunches of young rice plants together), in which case nodehime 野手比売 would mean a young woman who plants rice.(40) Ōshima 大嶋 / Ōtamaruwake 大多麻流別  Ōshima has been identified variously as corresponding to Ōmishima 大三島(in present-day Ehime Prefecture, city of Imabari 今治), or to Ōshima 大島 island (an alternative name for the island of Yashirojima 屋代島, situated in present-day Yamaguchi 山口 Prefecture, town of Suō-Ōshima 周防大島). However, the identification remains uncertain. Yamaguchi and Kōnoshi interpret the alternative name Ōtamaruwake as deriving from the phenomenon of water accumulating (tamaru 溜まる).(41) Kurano Kenji takes it to mean a harbor (funadamari 船だまり).(42) Himeshima 女嶋 / Ame hitotsune 天一根  This name is generally held to correspond to the island of Himeshima 姫島, located northeast of the Kunisaki 国東 peninsula, in the present-day Ōita Prefecture. Motoori Norinaga hypothesizes that the graph hi 日 has been dropped from what would usually be transcribed 日女嶋. He interprets the alternative name Ame hitotsune 天一根 to designate a solitary island lying in the middle of the sea.(43) Chika no shima 知訶嶋 / Ame no oshio 天之忍男  This name designates the Gotō 五島 islands, presently part of Nagasaki Prefecture. From antiquity they have been known as a strategic base for both foreign trade and defense. Ame no oshio may perhaps indicate a male deity endowed with a heavenly mighty power. Futago no shima 両児嶋 / Ame no futaya 天両屋  This name is considered to probably indicate the islands of Oshima 男島 and Meshima 女島, in the southern part of the Gotō islands. The name Ame no futaya may mean two roofs standing side by side in the heavens. Nishimiya Kazutami holds that the prefix ame no 天の was added because in the distance the sea looks like the sky.(44) Apart from Ame misora toyoakitsunewake, all the islands with the prefix ame 天 (“heaven”) are relatively small in size.

Endnotes
(1) Yoshii,Tennō no keifu to shinwa, vol.1, pp.99–124.
(2) Motoori Norinaga,Kojiki den, MNZ 9, p.186.
(3) Motoori Norinaga,Kojiki den, MNZ 9, p.186.
(4) Yamada,Kojiki jōkan kōgi, p.210.
(5) Tsugita,Kojiki shinkō, p.35.
(6) The commentators of the SNKBZ edition read the name Awashima as Awanoshima. Kojima et al.,Nihon shoki, SNKBZ 2, pp.102–103.
(7) Aoki,Kojiki, NST 1, p.321n16.
(8) Motoori Norinaga,Kojiki den, MNZ 9, p.186.
(9) Tsugita,Kojiki shinkō, p. 35.
(10) Nishimiya,Kojiki, p.30n4.
(11) Motoori Norinaga,Kojiki den, MNZ 9, p.187.
(12) Motoori Norinaga,Kojiki den, MNZ 9, p.188.
(13) See Kojiki gaku 4 (2018), pp.30–34.
(14) Ozaki,Kojiki zenkō, p.44.
(15) Nishimiya,Kojiki, p.31n5.
(16) Motoori Norinaga,Kojiki den, MNZ 9, p.189.
(17) Nishimiya,Kojiki, p.31n6.
(18) Kurano,Kojiki zenchūshaku, vol.2, p.129.
(19) Motoori Norinaga,Kojiki den, MNZ 9, p.189; Kojima et al.,Nihon shoki, SNKBZ 2, pp.88–89.
(20) Shikida,Kojiki hyōchū, p.314.
(21) Yamada,Kojiki jōkan kōgi, p.223.
(22) Nakajima,Kojiki hyōshaku, p.42.
(23) Kurano,Kojiki zenchūshaku,vol.2, p.133.
(24) Sugano,Kojiki keifu no kenkyū, p.268.
(25) Ogihara,Kojiki, Jōdai kayō, NKBZ 1, p.55n12.
(26) Saigō,Kojiki chūshaku, vol.1, pp.123–24.
(27) Nakajima,Kojiki hyōshaku, pp.42–43.
(28) Saigō,Kojiki chūshaku, vol.1, p.124. For the descent of the heavenly grandson, see Yamaguchi and Kōnoshi, Kojiki, SNKBZ 1, pp.113–19.
(29) Kurano,Kojiki zenchūshaku, vol.2, p.139. Himuka (Hyuga), on the other hand, although located in the southern part of Kyushu, was generally associated with imperial authority (TN).
(30) Motoori Norinaga,Kojiki den, MNZ 9, p.196.
(31) Motoori Norinaga,Kojiki den, MNZ 9, p.196.
(32) Kojima et al.,Man'yōshū, SNKBZ 6, pp.48,337.
(33) Motoori Norinaga,Kojiki den, MNZ 9, p.196.
(34) The Kinai (or “home provinces”) were the five provinces centered on the imperial seat. (TN).
(35) Saigō,Kojiki chūshaku, vol.1, p.127.
(36) Kanda and Ōta,Kojiki, vol.1, p.182n31.
(37) Aoki,Kojiki, NST 1, p.322n18.
(38) Yamaguchi and Kōnoshi,Kojiki, SNKBZ 1, p.37n13.
(39) Kojima et al.,Nihon shoki, SNKBZ 2, p.274.
(40) Kurano,Kojiki zenchūshaku, vol.2, p.153.
(41) Yamaguchi and Kōnoshi,Kojiki, SNKBZ 1, p.37n19.
(42) Kurano,Kojiki zenchūshaku, vol.2, p.153.
(43) Motoori Norinaga,Kojiki den, MNZ 9, p.200.
(44) Nishimiya,Kojiki (appendix), p.332n37.

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