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恵我藻伏崗陵【参考地】

読み
えがのもふしのおかのみささぎ【参考地】
ローマ字表記
Eganomofushinookanomisasagi
被葬者名
応神天皇
代数
第15代
陵墓の所在地
御陵は川内の恵賀の裳伏岡に在り
住所
大阪府堺市北区百舌鳥本町一丁 地図を表示
緯度/経度
北緯 34°33'17.7"
東経 135°29'25.6"
古墳名
御廟山古墳
墳形
前方後円
被葬者の事績
仲哀天皇の御子。軽島の明宮(現在の橿原市大軽町)で天下を治めた。神功皇后が新羅を征討した後、筑紫国において出産したとされる。建内宿禰に連れられて角鹿(現在の福井県敦賀市)を訪れた際、夢告によって気比大神と御名を交換している。天皇は三人の御子に天下を分担させようとして、大山守命が山海の政を、大雀命(のちの仁明天皇)が食国の政を執り、弟王の宇遅能和紀郎子が皇位を継承するように命じた。しかし、大山守命は反意を抱いて殺され、宇遅能和紀郎子と大雀命は皇位を互い譲り合ったが、宇遅能和紀郎子が夭折してしまったため、皇位は大雀命が継承している。また、その治世には阿知吉師・和邇吉師・仁番(須々許理)ら渡来人の来朝が相次ぎ、あわせて様々な技術や漢籍が将来されている。
URL
備考
宮内庁により「百舌鳥陵墓参考地」として治定されている。

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