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恵我藻伏崗陵

読み
えがのもふしのおかのみささぎ
ローマ字表記
Eganomofushinookanomisasagi
被葬者名
応神天皇
代数
第15代
陵墓の所在地
御陵は川内の恵賀の裳伏岡に在り
住所
大阪府羽曳野市誉田六丁目 地図を表示
緯度/経度
北緯 34°33'43.3"
東経 135°36'34.8"
古墳名
誉田山御廟古墳
墳形
前方後円
被葬者の事績
仲哀天皇の御子。軽島の明宮(現在の橿原市大軽町)で天下を治めた。神功皇后が新羅を征討した後、筑紫国において出産したとされる。建内宿禰に連れられて角鹿(現在の福井県敦賀市)を訪れた際、夢告によって気比大神と御名を交換している。天皇は三人の御子に天下を分担させようとして、大山守命が山海の政を、大雀命(のちの仁明天皇)が食国の政を執り、弟王の宇遅能和紀郎子が皇位を継承するように命じた。しかし、大山守命は反意を抱いて殺され、宇遅能和紀郎子と大雀命は皇位を互い譲り合ったが、宇遅能和紀郎子が夭折してしまったため、皇位は大雀命が継承している。また、その治世には阿知吉師・和邇吉師・仁番(須々許理)ら渡来人の来朝が相次ぎ、あわせて様々な技術や漢籍が将来されている。
URL
羽曳野市観光協会(応神天皇陵古墳)
http://www.habikino-kk.net/post_story/%E5%BF%9C%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87%E9%99%B5%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E5%A4%96%E6%BF%A0%E5%A4%96%E5%A0%A4
備考
宮内庁により治定されている。

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