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天之忍許呂別

読み
あめのおしころわけ
ローマ字表記
Amenooshikorowake
別名
隠伎之三子之島
登場箇所
上・国生み神生み
他の文献の登場箇所
紀 億岐洲(四段本書・一書六・七・八)/億岐三子洲(四段一書一・九)
旧 天之忍許呂別(陰陽本紀)/隠岐州(陰陽本紀)/隠岐之三子嶋(陰陽本紀)
梗概
 伊耶那岐・伊耶那美二神の国生みによって生まれた大八島国(淡道之穂之狭別島・伊予之二名島・隠伎之三子島・筑紫島・伊岐島・津島・佐度島・大倭豊秋津島)の第三、隠伎之三子島(おきのみつごのしま)の別名。
諸説
 隠伎之三子島の「隠伎」は隠岐国(島根県隠岐郡の隠岐諸島)のこととされる。隠岐諸島は、島前(どうぜん)と島後(どうご)との二つに別れ、島前は西島・中島・知夫里島の三つの小さな島からなっている。すなわち、隠岐国の全体は四島から構成されるため、「三子島」という表現をそれとどう対応させるかが問題となる。一般的には、島前の三島が隠伎之三子島に比定されている。
 隠岐国は、『延喜式』民部式に「辺要」の国の一つとされており、新羅に対する防衛の軍事拠点として重視されていたことが歴史的に窺われる。
 隠伎之三子島の名義は、島後を親として、島前の三島がその三つ子として向かい合うような地勢をしていることによるとする説や、本土から隠岐国の玄関口となる島前の知夫里島に向かい、西島の焼火山を目指しながら漕ぎ出した時、航海中の景観において、島後は姿を遥かにして島前の印象が強く迫り、島前三島が、三つ子のように対等の量感で重なり合って海に浮かんでいる様子で見えることによる命名とする説がある。
 天之忍許呂別という別名は、他の島々の別名と同じく、島を人体化した表現と捉えられる。「忍」を押しなべて・一体にするの意、「許呂」を凝る意と取り、隠岐島の周囲の小さな島々が一体に凝った印象による、おしなべて凝る意の神名とする説や、「天之」を天上界との関係を表わす美称、「忍」を威力あるものの美称、「許呂」を凝るの意、「別」を男子として、威圧的に凝り固まった男子の意の神名とする説がある。「天之」を冠するのは、交通の要衝などの特別な島であることによるとする説もある。また、おしなべて凝る意とする説に対して、航海中の景観からは隠岐島周囲の小島が一体に凝った感は受けないという批判があり、それよりは、島前に接近した際の島前三島が寄り集まった印象、あるいは、島前三島の内に入った内海の航路から見回した景観の、三島が凝縮した印象に基づく名とする説がある。
 「別」という称号は古代の人名に見られ、岐美二神の生んだ島の名前にワケ・ヒコ・ヒメとつくのは擬人的な命名であると論じられている。国生みの伝承の中で、島に擬人名を持つ『古事記』の伝承は天武天皇朝以後の新しい形態であると論じられているが、「別」のつく神名の成立については、歴史上の「別」の性格とからめて論じられており、大化改新前後までに形成されていた皇子分封の思想、すなわち、『古事記』『日本書紀』で景行天皇が諸皇子に諸国郡を封じたのが「別」の起こりとしているように、「別」が天皇や皇子の国土統治を象徴するようになっていたことに基づく命名で、七世紀以後にできたものとする説がある。一方、大化以前の実在の姓や尊称という見方を否定し、ワクという分治の意味の動詞から発して、天皇統治の発展段階にふさわしい称号として採用、ないし創作されて伝承上の神名や人名に対して附加されたものと見なし、『古事記』の編集理念に基づいた称号体系の一環と考える説もある。
 『日本書紀』四段一書一・九には「億岐三子洲」とあるが、本書・一書六・七・八では「億岐洲」とし、うち本書・一書六・八は、佐度洲(佐渡島)と共に「双生」したとしている。「双生」の解釈は、億岐洲・佐度洲の二島を双子に生んだこととする説と、二島のそれぞれを双子の島として生んだこととする説があるが、また、もとは億岐洲や佐度洲のそれぞれの海上からの景観が、双子のように二つにわかれた地形を呈することによる、それぞれを双子の島とする観念であったのが、編纂者の地理の知識不足から、億岐洲・佐度洲の二島を双子として生んだものとして記述されてしまったものとする説もある。
 『古事記』の国生みの順序は、四国から日本海側にとんで隠岐島を生み、次に九州が来ているが、地理的に不自然である。『日本書紀』四段一書七・九でも、四国と九州の間に隠岐島・佐渡島を挟んでいるが、『日本書紀』本書・一書一・六・八では、四国の次に九州が先に来ている。これを、数の連想で、「伊予之二名島」から「隠伎之三子島」につなげただけかと見る説がある。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
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松村武雄『日本神話の研究 第二巻』(培風館、1955年1月)第三章
岡田精司「国生み神話について」(『古代王権の祭祀と神話(第5刷)』塙書房、1979年4月、初出1955年10月)
佐伯有清「日本古代の別(和気)とその実態」(『日本古代の政治と社会』吉川弘文館、1970年5月、初出1962年1~3月)
川副武胤「「日子」(二)「国」「倭」「別」の用法」(『古事記の研究』至文堂、1967年12月)
服部旦「続「国生み神話」批判―島生みの場―」(『中央大學國文』12号、1968年10月)
服部旦「隠伎之三子嶋考」(『日本神話研究2 国生み神話・高天原神話』学生社、1977年8月、初出1975年)
荻原千鶴「大八嶋生み神話の〈景行朝志向〉」(『日本古代の神話と文学』塙書房、1998年1月、初出1977年3月)
和田萃「古代の出雲・隠岐」(『海と列島文化 第2巻 日本海と出雲世界』小学館、1991年7月)
寺川眞知夫「大八嶋国―その神話的世界としての役割―」(『古事記神話の研究』塙書房、2009年3月、初出1999年7月)
服部旦「『古事記』隠伎之三子嶋の地名起源(一)―並びに「雙生億岐洲與佐度洲」(『日本書紀』)の意味―(附)『出雲国風土記』嶋根郡諸島の比定と編纂過程について」(『大妻女子大学紀要(文系)』35、2003年3月)
服部旦「『古事記』隠伎之三子嶋の地名起源(二)―並びに「雙生億岐洲與佐度洲」(『日本書紀』)の意味―」(『大妻女子大学紀要(文系)』36、2004年3月)
服部旦「『古事記』隠伎之三子嶋の地名起源(三)〔完〕―並びに「雙生億岐洲與佐度洲」(『日本書紀』)の意味―」(『大妻女子大学紀要(文系)』37、2005年3月)
虎尾俊哉『延喜式 中(訳注日本史料)』(集英社、2007年6月)

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