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天之常立神

読み
あめのとこたちのかみ
ローマ字表記
Amenotokotachinokami
別名
-
登場箇所
上・初発の神々
他の文献の登場箇所
紀 天常立尊(一段一書六)
旧 天常立尊(神代系紀)
梗概
 天地の始まりにおいて出現した、別天神の第五の神で、独神となって身を隠した。
諸説
 神名は、次に出現した国之常立神と対応するが、天之常立神が別天神に属するのに対して、国之常立神は神世七代に属している所に、両者の関係性の問題がある。その分類について、天之常立神までの別天神は天上の事柄にのみまつわる神であり、国之常立神以下の神世七代は、国生みを行う岐美二神の出現を目指して国土に関わってくる神であるという違いがあるとする説がある。
 天之常立神の名義は、「常立」を文字通りに、恒久(常)、とどまる(立)の意味にとって、高天原(天)に恒久にとどまる神とする説があるが、上代語では「常(とこ)」が動詞を修飾する用法が見いだされないという指摘がある。また、「常」を「床」と取って土台の意、「立」を現れる意に取って、土台すなわち大地の出現を表す神名とする説がある。一方、大地の形成は岐美二神の修理固成によって初めてなされるのであって、ここではまだ大地が出現する段階ではないとする批判がある。よって、トコタチとは、神々や大地・国土が生成されるための土台となる根源的空間の出現を意味し、天之常立神は、そのような観念的な場の成立を意味するという説がある。またこれに対して、上代語のトコは一般的な土台の意味ではなく、寝たり座ったりする場所のことで、なかんずく歌謡には男女同衾の場としての例が多く、それは、男女交合の場、生殖を準備する場として捉えられるという指摘がある。従って、この神名のトコは土台ではなく、生殖・誕生の場というイメージに基づく神々生成の場を意味しているとも論じられている。この場合、トコの第一義が「床」だとしても、表記に「常」の字が当てられていることには、その空間の恒久性が含意されていると考えられるという。
 なお、『日本書紀』の諸伝では、国常立尊(国底立尊)が七つの伝いずれにも登場し、古くから信仰されてきた神と認められるのに対して、天常立尊は一書第六に見えるだけで神としての事跡なども見られない。このことから、天之常立神は、国之常立神に相対する神として案出・創作された後出の神と見る説がある。
 また、『新撰姓氏録』左京神別下に、伊勢朝臣の祖神に、天日別命を孫とする「天底立命」が見えるが、これを天之常立神(天常立尊)と同一神とする説がある。
 天地初発において、この神を含む冒頭の五神は「別天神」であると示されているが、その意義は明確でない。国之常立神以下の神世七代を、岐美二神の出現とその国土の生成を見据えた、国土に関わる天上の神とし、対して、天之常立神までの別天神五神を、天上にのみまつわる神とする説や、別天神のうちの前三神を天上のみに関わる神とし、後二神を天上と国土との両方に関わる神と解する説がある。また、高御産巣日神の、天孫降臨段を中心に司令の役割を担う「天神」としての霊威を、その化成において保証する働きをしているとする説がある。
 また、この神は「独神成坐而隠身也(ひとりがみとなりまして、みをかくしき)」とも記されている。「独神」は、神世七代で出現する男女の対偶神に対する単独の神と解される。「隠身」の意味は明確でなく、「隠(かく)り身」という読み方も考えられている。「隠身」の解釈には、身体を持たない抽象神のこととする説があるが、中には身体を持つ描写のある「隠身」の神もいることから批判もある。また、顕界の神々に対してその権威を譲渡し、姿を見せずに司令や託宣などの形で関わるようになることをいうとする説がある。この説では「隠身」という記述には、天地の始まりの神々の権威を抑えることで、天照大御神の権威の絶対性を確保する意図があるという。また、「身」は生むことに関連すると捉え、身体を備えた岐美二神が、男女の身体を使って国や神を生む行為をするのに対して、「隠身」の神は、みずからの身をもって行動しない存在として位置付けられるという説がある。
参考文献
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