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沫那芸神

読み
あわなぎのかみ
ローマ字表記
Awanaginokami
別名
-
登場箇所
上・国生み神生み
他の文献の登場箇所
紀 沫蕩尊(二段一書二)
旧 沫蕩(神代系紀)/沫那芸神(陰陽本紀)
梗概
 伊耶那岐・伊耶那美二神の神生み条で、水戸の神、速秋津日子神・速秋津比売神が河・海を持ち別けて誕生した八神(沫那芸神・沫那美神・頬那芸神・頬那美神・天之水分神・国之水分神・天之久比奢母智神・国之久比奢母智神)の第一。
諸説
 「沫」は水の泡の意とされ、河海の境界の神から生まれたのは、河水と海水との出会う所に泡が多く立つことによるとする説がある。「那芸」は『日本書紀』で「蕩」と表記され、「平らか」という意味に取れることから「凪」と解されている。水面の泡が平静であることと取り、次に生まれた沫那美神のナミ(波)と対になって、水面の泡の静まっているさまと波立って騒いでいるさまとを表しているとする説がある。また、ナギのナを「の」に当たる連体助詞とし、ギを男性を示す接尾語とする説もある。ナギ・ナミを伊耶那岐・伊耶那美の対偶になぞらえれば、男女の対偶神と見ることもできるが、ナキ(ナギ)・ナミの表記が異なることや、沫那美神に対して「妹」といった記載が無いことから、男女の神ではないとする説がある。
 『日本書紀』二段一書二では、国常立尊の子孫の天万尊から生まれた沫蕩(あわなぎ)尊が伊弉諾尊の親神とされているが、『古事記』の沫那芸神との関係は明確でない。この伝承について、波の泡から最初の神が生まれたという内陸アジアにある伝承と類似の伝承の存在を想定する説や、伊弉諾尊が水泡から生まれたとする海人族の伝承によるものと推測する説がある。
 同時に生まれた八神の連関は、河と海の二神の相打って生じる泡に沫那芸神・沫那美神が生じ、その水面に頬那芸神・頬那美神が生じ、水が蒸発して天に昇り雨となって国土に下り湧き出す作用を天之水分神・国之水分神が司り、天之久比奢母智神・国之久比奢母智神がそれを補助して水を分かち与える、という水の恵みを讃えたものとする説がある。
参考文献
山田孝雄『古事記上巻講義 一』(志波彦神社・塩釜神社古事記研究会編、1940年2月)
『日本書紀 上(日本古典文学大系)』(坂本太郎 他 校注、岩波書店、1967年3月)
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
野口武司「『古事記』神生みの段の左註「神參拾伍神」」(『古事記及び日本書紀の表記の研究』桜楓社、1978年3月、初出1974年6・8・10月)
青木周平「「神生み」段の表現」(『青木周平著作集 上巻 古事記の文学研究』おうふう、2015年3月、初出1991年5月)
西宮一民「「神参拾伍神」考」(『古事記の研究』おうふう、1993年10月、初出1992年4月)
春日井真英「異界への道標としての水―水のコスモロジー(3)日本書紀を中心として―」(『東海学園女子短期大学 紀要』27号、1992年8月)
毛利正守「古事記上巻、岐美二神共に生める「嶋・神参拾伍神」考」(『萬葉』144号、1992年9月)
戸谷高明「「持別而生神」」(『古事記の表現論的研究』新典社、2000年3月、初出1992年12月)

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