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葛城之一言主之大神

読み
かづらきのひとことぬしのおほかみ/かずらきのひとことぬしのおおかみ
ローマ字表記
Kazurakinohitokotonushinoōkami
別名
一言主大神
一言主之大神
登場箇所
雄略記・葛城の一言主大神
他の文献の登場箇所
紀 一事主神(雄略紀四年二月)
土左風 一言主尊(逸文)
旧 葛木一言主神(地祇本紀)
霊 葛木峯一語主大神(上28)/一語主大神(上28)
神名式 葛木坐一言主神社(大和国葛上郡)
梗概
 雄略天皇が葛城山に行幸したとき、天皇の行幸の列と同じ装い・人数の一行に出会う。天皇がその無礼を咎めると、相手は「悪事も、善事も一言、言離之神、葛城之一言主之大神」と名乗る。それを聞いた天皇は、畏れ入り百官の衣服を献上した。天皇が帰るときには、一言主之大神は、山の峰を行列で満たして、天皇を長谷の山の入り口まで送った。
諸説
 一言主之大神は、『古事記』の中で「言離」の神であると述べており、この言葉の意味が一言主之大神の神名解釈に大きく関わる。「言離」は、「コトサカ」・「イヒハナツ」・「コトハナツ」などのように訓みが分かれる。「コトサカ」と訓む場合では、『日本書紀』神代上・第五段・一書第十の「泉津事解之男」(ヨモツコトサカノヲ)や孝徳天皇大化二年三月条の「事の瑕婢」(コトサカノメヤツコ)から、「言」は借字で「事」とし、悪事からも善事からも関係を絶つ(離れる)意という説がある。また、『万葉集』巻七・一四〇二や巻十三・三三四六の「こと放けば」を参考に、別に離すと解釈して「決断」の意にとり、この神の託宣が吉事か凶事か一言で決定されるところからの神名とする説もある。「イヒハナツ」と訓む場合は、言い放つ意で、決定する神とする説、言ひ離つを託宣する意とし、一言口にしたことが、必ず実現するという言霊信仰の神という説がある。そして、「コトハナツ」と訓む場合も、言離つ意で、託宣する神と説明される。
 上記の他に、雄略天皇の「恐し、我が大神。うつしおみに有れば、覚らず」という言葉の「うつしおみ」も、この神の解釈に関わる。これは、はやくには「現大身」、つまり、一言主之大神が人と同じ体をもつ現人神であることを指す言葉と論じられてきた。しかし、上代特殊仮名遣いの観点からすると、「大身」の「ミ」は乙類に分類されるが、当該の「ミ」は甲類に分類されて「大身」とは取れないため、ウツセミ・ウツソミなどと関連する語と解釈されるようになる。また、「オミ」を「臣」と捉え、『類聚名義抄』に「臣」の訓みとして「ヒト」があることをもとに、現人神と解釈する説もある。なお、「宇都志意美」は一言主之大神を指す言葉でないという見解もある。「宇都志意美」を現実の臣下の意と捉え、一言主之大神に現実の人間の臣下がいると捉える説、人間を現世において神に仕える存在と捉え、雄略天皇自身を指すという説などである。
 『古事記』中で、一言主之大神らが雄略天皇らと同じ装い・姿をしていたこと、および神が雄略天皇の言葉を繰り返したとあることには、蜃気楼や山彦に対する驚異の念が織り込まれているとも論じられている。また、同じ装い・姿は、現実の地方の豪族との関係を想定し、地方の豪族が君主として大和の君主である天皇と同等の生活をしていたことの反映という見解もある。一言主之大神と雄略天皇との関係について、神に助けられて従う『古事記』中巻の神と天皇の関係と同じであるとし、ここには中巻の天皇たちによる統治の形式が引き継がれているという説もある。
 一言主之大神は他の文献でも登場している。『日本書紀』では、顔や姿が天皇によく似ていると記されるのみであり、『古事記』のように山彦や蜃気楼の要素は見られない。また、『日本書紀』では雄略天皇と一言主神とを対等に取扱うだけでなく、一人称の代名詞を天皇は「朕」、一言主神は卑称の「僕」と記すことから、天皇が上位の関係にあると指摘される。これついて、国神たちをほぼ完全に従属し終えた律令制的な王権と、国神たちの協力をまだ、必要とせざるをえなかったそれ以前の王権との差だという説もある。また、『日本霊異記』(上巻・二十八縁)や『今昔物語集』(巻十一・三) 等では、一言主神が人に憑き、役の優婆塞が陰謀を企てて天皇を滅ぼそうとしていることを告げたことから、この神は宮廷を守る役の神でもあり、事代主神と一体または同格ともいわれる。これには、一言主之大神も事代主神も、呪言・託宣の性格を有しており、言霊信仰に基づくとされる点も関係している。『先代旧事本紀』地祇本紀では、素盞鳴の命の御子神であるとし、『延喜式』神名帳には大和国葛上郡葛木に坐す神との記載がある。このことから、もとは神祭政事の時期に地方の豪族が祭祀した神であったが、大和朝廷の勢力が伸張するに従い、各地の豪族が服せられ、その神も大和朝廷で祭祀する神々の中に加入されたのであり、雄略天皇の時代にはじめて大和朝廷に認められたという見解がある。他にも、「土左国風土記」逸文では、土左の高賀茂大社(都佐坐神社)の祭神として一言主尊が記される。その記事の一説(あるつたへ)には味鉏高彦根尊の名が見え、二神に関連があるのが窺える。『続日本紀』天平宝字八年(764)十一月七日条に土佐国から高鴨神を迎え祠ったとあり、鴨君の祭祀との関わりを念頭に、元来は一言主之大神が葛城の神であったが、『続日本紀』の記事にあるように罪を得て流され、空席になった神座に味鉏高彦根尊(高鴨神)が据えられたため、味鉏高彦根尊と混同されることになったという説もある。このような関わりから、一言主之大神は出雲系の神であるともみられる。また、奉斎した氏族には葛城氏の他、上記で触れたように賀茂氏との関わりがあるため、賀茂氏が奉斎したとする見解もある。以上、『古事記』の一言主之大神は、他の神々および氏族との関連性からも考察していく必要があろう。
参考文献
本居宣長『古事記伝』(大野晋編『本居宣長全集 第十二巻』筑摩書房、1974年3月)
中島悦次『古事記評釋』(山海堂出版部、1944年9月)
次田潤『古事記新講』(改修版、明治書院、1956年7月)
倉野憲司編『古事記大成 本文篇』(平凡社、1957年6月)
尾崎暢夫『古事記全講』(加藤中道館、1966年6月)
『古事記新注』(神田秀夫校注、大修館書店、1972年3月)
倉野憲司『古事記全注釈 第七巻 下巻篇』(三省堂、1980年12月)
『古事記(日本思想大系)』(青木和夫・石母田正・小林芳規・佐伯有清校注、岩波書店、1982年2月)
西郷信綱『古事記注釈 第八巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2006年6月、初出1989年9月)
中村啓信「雄略天皇と葛城の神」(『神田秀夫先生喜寿記念 古事記・日本書紀論集』続群書類従完成会、1989年12月)
金井清一「葛城・岡田・葛野のカモ」(『神田秀夫先生喜寿記念 古事記・日本書紀論集』続群書類従完成会、1989年12月)
山根惇志「迦毛大御神と一言主神と」(『古事記年報』33、1991年1月)
飯村高宏「顕現するヒトコトヌシ―雄略記に於ける表現の方法―」(『日本文学論究』第51冊、1992年3月)
丸山顕徳「『記紀』一言主神と神仙譚―説話と儀礼―」(『花園大学研究紀要』25、1993年3月)
遠山一郎「雄略の描きかた」(『『古事記』成立の背景と構想』笠間書院、2003年11月、初出1993年9月)
及川智早「雄略天皇条に載る一言主物語」(『国文学 解釈と教材の研究』51-1、2006年1月)
金井清一「雄略天皇と一言主大神―あらひと神とは何か―」(『史聚』39・40、2007年3月)
藤澤友祥「葛城の一言主之大神―『古事記』下巻の神―」(『古事記構造論―大和王権の〈歴史〉―』、2016年5月、初出2011年4月)
井上さやか「ヒトコトヌシ 「言」と「事」を司る神は、なぜ記紀で扱いが変わる?」(『古事記 日本書紀に出てくる謎の神々』新人物往来社、2012年7月、初出2011年11月)
中嶋真也「古代文学の葛城」(『駒澤国文』57、2020年2月)

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