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気比大神

読み
けひのおほかみ/けひのおおかみ
ローマ字表記
Kehinoōkami
別名
伊奢沙和気大神之命
御食津大神
登場箇所
仲哀記・気比大神
他の文献の登場箇所
紀 笥飯大神(神功紀摂政十三年二月、応神前紀)/笥飯神(持統紀六年九月)
摂津風 気比大明神(逸文▲)
神名式 気比神社(越前国敦賀郡、但馬国城崎郡)
梗概
 高志前(こしのみちのくち=越前)の角鹿(つぬが=敦賀)の地に鎮座する神、伊奢沙和気大神之命の別名。
 仲哀記に、伊奢沙和気大神之命の御名をたたえて御食津大神と称し、そのため現在(『古事記』編纂時)、気比大神と称する、とある。
諸説
 気比大神は、『延喜式』神名帳に「気比神社七座」とある、現・気比神宮(福井県敦賀市)の主祭神である。
 大鞆和気命(後の応神天皇)に食物を賜った神で、神名のケヒは、ケを食物、ヒを霊の意ととり、食物神としての神格を表すとする説が一般的である。『日本書紀』ではケヒは「笥飯」と表記され、漢字の「笥」は食器、「飯」は食物を表す文字である。また、ケヒをカヘ(易へ)の音変化と捉え、大鞆和気命と気比大神との名易え説話は、ケヒが名易えを意味するカヘに由来することを語っていると解する説がある。
 ケヒは、角鹿(越前国敦賀郡)の地名とも見なされる。『日本書紀』仲哀天皇二年二月六日条には、仲哀天皇が角鹿に行幸して滞在した行宮を「笥飯宮」を称する、と記されている。『古事記』では、角鹿の地名由来譚として、大神が太子に捧げたイルカの鼻の血が臭かったため「血浦(ちぬら)」と呼ばれることになり、今は「都奴賀(つぬが)」と呼ばれている、とある。一方、『日本書紀』垂仁天皇二年是歳条の細注に記載された説話では、崇神天皇の治世に額に角のある人(都怒我阿羅斯等=つぬがあらしと)が船に乗って「笥飯浦」に泊ったため、その地を「角鹿」と言う、と伝えている。
 気比大神の正体について、神功皇后の外祖に当たる、新羅国王の子の天之日矛だとする説もあり、『日本書紀』で天日槍(天之日矛)の将来した神宝、胆狭浅大刀(いささのたち)を、気比大神の別名の伊奢沙和気(いざさわけ)の由来と捉え、神功皇后とのつながりや、角鹿が渡来人と関わりのある港であることなどを元に、この大刀を神体として天之日矛を祭ったのが気比神宮であるという見方がされている。
 また、ケヒという地名が、兵庫県南あわじ市の松帆の浦を指したとされる「飼飯(けひ)の海」(万3・256)や、但馬国城崎郡の「気比神社」(延喜式)などに見られ、それに基づき、ケヒという語は宮廷に海産物を朝貢する海人部がいた土地を指しているとする説もある。
 但馬国城崎郡の気比神社(兵庫県豊岡市)は、気比神宮と同じく日本海の港湾に臨む神社で、伊奢沙和気大神を祭るとされるが、両社の関係は明らかでない。
 その他、「伊奢沙和気大神之命」「御食津大神」の項も参照。
参考文献
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
倉野憲司『古事記全註釈 第六巻 中巻篇(下)』(三省堂、1979年11月)
西郷信綱『古事記注釈 第六巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2006年2月、初出1988年8月・1989年9月)
今井啓一「気比大神は天日槍命であろう」(『天日槍』綜芸舎、1966年5月、初出1963年7月)
『式内社調査報告書 第十九巻 山陰道2』(式内社研究会編、皇学館大学出版部、1984年2月)
『敦賀市史 通史編 上巻』(敦賀市史編さん委員会 編、敦賀市役所、1985年6月)
『日本の神々―神社と聖地 第八巻 北陸』(谷川健一編、白水社、1985年11月)
『式内社調査報告書 第十五巻 北陸道1』(式内社研究会編、皇学館大学出版部、1986年10月)
田村克己「気多・気比の神―海から来るものの神話―」(『海と列島文化 第1巻 日本海と北国文化』小学館、1990年7月)
『福井県史 通史編1 原始・古代』(福井県、1993年3月)
角鹿尚計「気比神宮と神功皇后」(『日本古代氏族の祭祀と文献』岩田書院、2021年8月、初出2008年4月)
稲田智宏「ケヒノオホカミ 応神天皇と名前を取りかえようとした神」(『古事記 日本書紀に出てくる謎の神々』新人物往来社、2012年7月、初出2011年11月)
堀大介「気比神の諸性格にみる古代敦賀の様相」(『古代敦賀の神々と国家―古墳の展開から神仏習合の成立まで―』雄山閣、2019年12月、初出2014年3月)

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