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木俣神

読み
きまたのかみ
ローマ字表記
Kimatanokami
別名
御井神
登場箇所
上・根の堅州国訪問
他の文献の登場箇所
旧 木俣神(地祇本紀)
梗概
 大国主神と結婚した八上比売が、適妻の須世理毘売を畏れて、生んだ子を木の股に差し挟んで帰った。その子を木俣神といい、別名、御井神という。
諸説
 木俣という神名は、木の幹が分かれた股を指すとされる。樹木の神とされるが、事跡がほとんど記されず、母の八上比売が木の股に挟んで置いていった理由や、御井神という別名を持ち井泉の神ともされている理由など、具体的な性格は不明な点が多い。
 神名の表記の「俣」という字は中国には無い字とされ、奈良時代の木簡などに用例が見られる。『日本書紀』ではマタに「岐」「枝」「派」「跨」などの複数の字が当てられているのに対して、『古事記』では「俣」の字によって統一されていることが指摘されている。「俣」の用例や人名が、水に関わっていることから、『古事記』では「俣」に水のイメージが含まれていると捉え、樹木信仰と井泉信仰との結びつきを象徴した用字だとする説がある。
 幹が分かれて二股になった樹木を神聖視する例は、現代でも山村における民間信仰にうかがわれることが知られており、木俣神をそうした山村生活を基盤として信仰された神と捉える説がある。二股の木を豊穣や多産・生育の神木とする風習が、日本の子安信仰や、中国雲南省南部あたりに住むハニ族の地母神、インドの豊穣の女神ヤクシーなどに見いだされることが指摘されており、木俣神をそうした豊穣の樹木神と捉える説がある。特にヤクシーには水とのつながりも見いだされ、木俣神との共通性が考察されている。また、神の依り代となる神木と解し、八上比売がこの子神を木の股に挟んだことを、神の降臨を迎える実際の儀礼に基づいた行為と捉える説もある。
 生んだ子を母親が置き去るという内容は、海宮訪問譚の豊玉毘売の伝承や、垂仁天皇の后の沙本毘売の伝承にも見られる。八上比売の伝承が、これらと同一のモチーフを原型にしていると想定した上で、これらの母神を稲の女神と捉え、木俣神を含めたその子神の神格を稲種の穀霊と捉える説もある。
 このほか、木の股に挟まれたことについて、根の堅州国訪問の段で大穴牟遅神が大屋毘古神の助けによって木の俣から逃がされた、という話を受けた表現とする見解もある。
 木俣神・御井神という二つの神名は、『古事記』では同じ神の別名とされているが、元来異なる神であったのが同一の神に統合されたものとする見方もある。二股の木の神が井泉の神でもあることについては、古く、井泉のそばには樹木が植えられ、それが多く二股をなしていたことに由来するとみる説がある。また、日向神話の海神宮訪問譚において、海神の宮に着いた火遠理命が井の上の湯津香木の上にいて、井の光によって発見された話に基づいて、木俣神と御井神の結合の背景には、それと同様な降臨神話があったと想定する説もある。大穴牟遅神の分身にあたる神と見なし、国土の支配者として重要な木と水の霊力を父神から受け継いだ神格と捉える説もある。
参考文献
西郷信綱『古事記注釈 第三巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年8月、初出1976年4月)
倉野憲司『古事記全註釈 第三巻 上巻篇(中)』(三省堂、1976年6月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
菅野雅雄「上巻記載の「亦名」」(『菅野雅雄著作集 第一巻 古事記論叢1 系譜』おうふう、2004年1月、初出1969年7月)
渡部和雄「木俣神」(『野田教授退官記念 日本文学新見―研究と資料―』笠間書院、1976年3月)
服部旦「木俣神と御井神」(『同時代』(黒の会)31号、1976年11月)
上田設夫「八上比売と御井神―稲羽の素菟覚書―」(『古事記年報』21、1979年1月)
溝口睦子「ヤクシーと木俣神―大国主神話の周辺―」(『十文字国文』1号、1995年3月)
渡辺正人「木俣神―「俣」字をめぐって―」(『古事記の神々 上 古事記研究大系5-Ⅰ』高科書店、1998年6月)
越野真理子「木俣神試論―子捨ての母と穀霊の神話」(『学習院大学上代文学研究』35号、2010年3月)

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