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櫛石窓神

読み
くしいはまとのかみ/くしいわまとのかみ
ローマ字表記
Kushiiwamatonokami
別名
天石門別神
豊石窓神
登場箇所
上・天孫降臨
他の文献の登場箇所
拾 櫛磐間戸命(日神の出現)/櫛磐間戸神(神籬を建て神々を祭る)
祝 櫛磐間門命(祈年祭、六月月次)/櫛磐牖(御門祭)/櫛磐牖命(御門祭)
神名式 櫛石窓神社(丹波国多紀郡)
梗概
 天孫降臨の段に見える天石戸別神の別名。豊石窓神ともいう。
諸説
 神名の意味は、クシは「奇し」で美称、イハは堅固の意、マトは「真門」の意とされている。
 櫛石窓神・豊石窓神は『古事記』では同神の別名であるが、『古語拾遺』(平安初期成立)や『延喜式』(平安中期成立)では、それぞれ別々の神と見なされている。
 忌部氏の伝承を記した『古語拾遺』の天の石屋の段では、石屋から引き出した天照大神を新殿に遷し、「豊磐間戸命」と「櫛磐間戸命」がその殿門の守衛を務めたとあり、ともに、忌部氏の祖神である太玉命の子神とされている。
 『延喜式』には、「神祇官の西院に坐す御巫らの祭る神二十三座」のうち「御門の巫の祭る神八座」として「櫛石窓神」「豊石窓神」がそれぞれ皇居の四面の門ごとに一座ずつ祭られているのが見える。同書所載の祈年祭祝詞にも、御門の御巫が「櫛磐間門命・豊磐間門命」を祭ることが見え、御門祭祝詞では、「櫛磐牖・豊磐牖と御名を申す事は」と始まり、その神が、四方の内外の御門に堅く塞がり、天のまがつひという邪悪な神の言葉をしりぞけたり侵入を防ぎ、門の開閉とともに出入りする人を見守るといった働きをするため、この御名を持つのだと讃えられている。御門祭は大殿祭と一連のもので、その祝詞は忌部氏が掌ることとなっていた。
 こうしたことから、平安時代には、櫛石窓神・豊石窓神が、門の守護をする二柱の神として忌部氏によって祭られていたことが知られるが、『古事記』においてはこの二つの神名がともに天石戸別神の別名となっている点が疑問となる。
 それについては、同神の別名とする『古事記』の内容を伝承の原型と見なし、忌部氏の作為によって、別々の二柱の神とする伝が生じたと捉える説がある。一方で、古来別々の神として伝承されてきたのを、忌部氏が、天石門別神の別名に組み込んだことで『古事記』の内容が成立したとする説もあり、天武天皇十年三月十七日に帝紀・上古の諸事の記定事業が始められた際、その一人に任命された忌部連首(忌部首子人)の手によるものとも推測されている。
 また、『延喜式』に、丹波国多紀郡「櫛石窓神社」二座が見え、名神大社に列している(現・兵庫県丹波篠山市鎮座)。祭神の二座は古来、櫛石窓神・豊石窓神とされ、宮中の御門神の本社とも考えられている。
参考文献
西郷信綱『古事記注釈 第四巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年10月、初出1976年4月)
倉野憲司『古事記全註釈 第四巻 上巻篇(下)』(三省堂、1977年2月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
大場磐雄「櫛岩窓神社小攷」(『神道学』12号、1957年2月)
菅野雅雄「上巻記載の「亦名」」(『菅野雅雄著作集 第一巻 古事記論叢1 系譜』おうふう、2004年1月、初出1969年7月)
井上辰雄「忌部の研究」(『古代王権と宗教的部民』柏書房、1980年6月)
森重敏「天孫降臨―古事記上巻について(一六)―」(『國語國文』50巻2号、1981年2月)
『式内社調査報告書 第十八巻 山陰道1』(式内社研究会編、皇学館大学出版部、1984年2月)
河合章「天孫降臨神話における天石門別神」(『中京国文学』18号、1999年3月)
青木紀元『祝詞全評釈』(右文書院、2000年6月)

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