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櫛名田比売

読み
くしなだひめ
ローマ字表記
Kushinadahime
別名
-
登場箇所
上・八俣の大蛇退治
上・須賀の宮
他の文献の登場箇所
紀 奇稲田姫(八段本書)/稲田媛(八段一書一)/真髪触奇稲田媛(八段一書二)
出雲風 久志伊奈太美等与麻奴良比売命(飯石郡熊谷郷)
伯耆風 稲田姫(逸文▲)
旧 奇稲田姫(地祇本紀)
神名式 綺原坐健伊那大比売神社(山城国相楽郡)/久志伊奈太伎比咩神社(能登国能登郡)/多祁伊奈太伎佐耶布都神社(備後国安那郡)
梗概
 高天原を追放されて地上に降りた須佐之男命が、出雲国の肥の川の鳥髪から上流を行くと、足名椎・手名椎が櫛名田比売を中に据えて泣いていた。夫婦には八人の娘があったが、毎年、八俣の大蛇に食われ、今度は、最後に残った櫛名田比売が犠牲になる番であった。その事情を聞いた須佐之男命は、櫛名田比売をもらうことを約束して、八俣の大蛇の退治を請け負った。須佐之男命は櫛名田比売を湯津爪櫛に為し髪に刺して、ついに八俣の大蛇を退治し、結婚した。
 二神の子に八島士奴美神がいる。
諸説
 神名のクシナダはクシイナダの約とされ、『日本書紀』第八段に「奇稲田姫」と見えるのがその意義を表しているとされる。『日本書紀』の一書一には、単に「稲田媛」ともあり、櫛名田比売の神格は、稲田の祭りを行う巫女、もしくは稲田の守護神といったように捉えられている。クシ(奇し)は、霊妙なことを意味する語とされ、『古事記』の「櫛」の字は、櫛名田比売が櫛に変身したことを踏まえた借字と考えられるが、文字の通りの櫛を指すとする見方もある。『日本書紀』の一書での神名に「真髪触奇稲田媛」ともあって「真髪触(まかみふる)」という語が、髪に挿す「櫛」との関係を示唆する。祭祀のための斎串(いぐし)の意とする説もある。また、クシが酒の美称でもあることから、大蛇を酔わせた酒を含めて、「奇」「櫛」「酒」という連想が神話の展開上に働いているとする見方もある。
 記紀の大蛇退治神話は、比較神話学の見地からは、人身御供を要求する怪物を英雄が倒し、犠牲に差し出された娘を救うという類型を持つペルセウス・アンドロメダ型に分類される。英雄ペルセウスが怪蛇を退治してアンドロメダを救ったというギリシャ神話など、同類の説話が世界各地に分布している。中国大陸の南方に記紀の大蛇神話に類似する説話が多くあり、その地域から日本に伝播してきたとする説もある。怪物に娘が差し出されるという内容は、太古の農耕祭祀において人身御供が行われたことの反映ともいわれるが、しかし、必ずしもこうした説話の伝わる地方で実際に人身御供が行われていたことの徴証は得られず、実際には、異形の神を祭る現実の農耕祭祀の起源を説明する縁起譚として、人身御供の要素が後から付加されて成立したものとする説もある。また、大蛇の襲来を季節的な洪水の表象と解する説もあり、櫛名田比売を洪水によって流出する稲田の人格化と捉えている。
 大蛇退治神話の起源については、二神の婚姻だけが語られ大蛇退治を含まない『日本書紀』一書一を最も初期的な原型と捉え、本来は、巫女の櫛名田比売が須佐之男命を祭るという、出雲地方で伝承された農耕儀礼の神話であったのが、記紀神話の編纂された中央において大蛇退治の要素が付加されたものとする説がある。これに対し、一書一が大蛇退治を語らないのは、本書との相違点だけを書き抜いたため省かれたに過ぎないとする意見もある。
 櫛の神話的な意義については、魔除けの道具、あるいは神霊の依り代とする説がある。世界のペルセウス・アンドロメダ型説話の中には、娘が櫛や玉、羽根、虫などの物に変身し、英雄がそれを身につけて怪物と戦うという内容の話も散見され、その娘の霊魂が英雄に力を与える呪的な働きをしていると捉えられる。このことから、当該の神話においても、櫛名田比売が櫛となることで須佐之男命を助ける働きをしていると考えられている。
 記紀以外の文献では、『出雲国風土記』飯石郡熊谷郷の条の地名起源譚に「久志伊奈太美等与麻奴良比売命」という神名が見え、「久志伊奈太(くしいなだ)」という語に櫛名田比売との関係が想定される。伝承の内容は記紀との関連が薄いが、これを同神と捉えた上で、神名の「美等与」をミトアタフもしくはミトアタハスと読み、婚姻を意味するミトアタハスという語に解して、須佐之男命との婚姻を表しているとする説がある。
 関連が推測される神社として、『延喜式』神名帳には、山城国相楽郡「綺原坐健伊那大比売神社」、能登国能登郡「久志伊奈太伎比咩神社」、備後国安那郡「多祁伊奈太伎佐耶布都神社」が見える。イナダキヒメのイナダキは、「髻」(頭頂の結髪)の意と解され、須佐之男命が櫛名田比売を櫛に化して髻(みづら)に挿したという話に関連すると推測されている。
参考文献
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津田左右吉「ヤマタヲロチの物語」(『日本古典の研究 上』岩波書店、1948年8月、初出1923年12月)
松村武雄『日本神話の研究 第三巻』(培風館、1955年11月)第十一章
大林太良「出雲の大蛇と小人」(『日本神話の起源』角川書店、1973年3月、初出1961年7月)
三谷栄一「出雲神話の生成―記紀と『出雲国風土記』との関連について―」(『日本神話の基盤』塙書房、1974年6月、初出1969年10月)
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『式内社調査報告書 第十六巻 北陸道2』(式内社研究会編、皇学館大学出版部、1985年2月)
山田永「櫛の古代的意味」(『古事記スサノヲの研究』新典社、2001年10月、初出1988年3月)
阿部真司「ヤマタノヲロチ神話―その「記定」と原態―」(『日本文学研究』29号、1996年4月)
奥田俊博「『古事記』の神名と文字表現」(『古事記論集』おうふう、2003年5月)
浅見沙織「『古事記』におけるクシナダヒメの造型」(『国文目白』47号、2008年2月)
『古典基礎語辞典』(大野晋編、角川学芸出版、2011年10月)
長野邦彦「『古事記』スサノヲ神話におけるクシナダヒメの位置」(『倫理学紀要』22輯、2019年3月)

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