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沼河比売

読み
ぬなかはひめ/ぬなかわひめ
ローマ字表記
Nunakawahime
別名
沼河日売
登場箇所
上・八千矛の神
他の文献の登場箇所
出雲風 奴奈宜波比売命(嶋根郡)
旧 沼河姫(地祇本紀)
神名式 奴奈川神社(越後国頸城郡)
梗概
 高志国にいた神で、八千矛神(大国主神)に求婚され、その妻となった。八千矛神がその家に到って求婚の歌を贈ると、戸の内から返歌をして、翌日の夜に結婚した。
諸説
 沼河比売が居た「高志国」(越国)は、北陸地方の広域にわたる、越前・越中・越後の分割前の国名である。神名の「沼河」は、越後国頸城郡の沼川郷にあたり、その所在は、現在の糸魚川市のおおよそ全体(合併前の糸魚川市・能生町・青海町)に比定されている。読みは平安時代中期の『和名類聚抄』(二十巻本)には「奴乃加波(ぬのかは)」とある。川としての沼河は、現在の姫川に比定する説や、田海川に比定する説、姫川と田海川の間を流れる布川に比定する説がある。姫川の支流、小滝川・青海川の流域は翡翠(硬玉)の原産地で、付近には縄文時代や古墳時代の翡翠の工房の遺跡が見つかっている。ヌナカハのヌは玉の意とされ、『万葉集』に「沼名河の 底なる玉 求めて 得し玉かも 拾ひて 得し玉かも……」(13・3247)などあるように、ヌナカハとは、玉を産出する川の意と考えられている(ナは連体助詞)。その他、ヌナカハを沼の川の意として、沼のように水がよどんで深い川、もしくは沼にある川と解する説もある。なお、万葉歌に見える「沼名河」の実態については、沼川郷の沼川を指すとする説、神話的な天上の川とする説、特定の川ではない普通名詞とする説などがあり、定かでない。
 ヌナカハとつく人名として、『古事記』には、神沼河耳命(綏靖天皇の和風諡号)、建沼河別命(阿倍臣らの祖)が見える。これらを沼川郷に由来すると見て、王権と越国(高志)との密接な関係を背景に想定する説がある。一方で、ヌナカハの語を川の美称と捉え、沼河比売を含め、必ずしも沼川郷に結び付ける必然性はないとする見解もある。
 翡翠の原産地という沼川郷の地理的な特質から、沼河比売の性格は、その地の玉作り集団の首長とする説や、越国の翡翠を支配する女王と捉える説がある。現・糸魚川市あたりには、ヌナカハとつく神社や沼河比売を祭る神社が随所に分布し、沼河比売にまつわる伝承も今日まで様々伝わっている。その神社の分布と古墳時代以前の翡翠の遺跡の分布との間には重なりが見いだされ、沼河比売の信仰と翡翠の玉作りとの間に関連性があることが指摘されている。ただし、翡翠の生産は縄文時代中期が最盛期で、『古事記』編纂の時代には既に衰退していたとされる。また、『古事記』の沼河比売は、出雲の神話中に組み込まれている上に、『古事記』の編纂者による内容の編集を経ているため、沼川在地の伝承を直接反映したものではないことが指摘されており、『古事記』の記述によってどこまで沼河比売の原像に迫れるかは問題が残る。
 『延喜式』越後国頸城郡には「奴奈川神社」が見えるが、糸魚川市内でこれに比定される古社は諸説あり、①天津神社(一の宮鎮座)境内の奴奈川神社、②能生白山神社(大字能生鎮座)、③奴奈川神社(田伏鎮座)が候補に挙がる。現在は①が最も有力視されており、奴奈川姫とされる平安時代後期製作の木造の神像も伝わっている。当社は数度の遷座を経て現在の鎮座地に到っているが、また、本源社を布川のほとりに鎮座する山添社(大字田海鎮座)とする説もあり、布川の付近に、縄文時代中期から古墳時代の翡翠の工房跡もあることが注意される。
 なお、『古事記』には子孫の記述がないが、時代の降る『先代旧事本紀』には、沼河比売が大国主神との間に、諏訪神社の祭神、建御名方神を生んだという異伝が記されている。
 また、『出雲国風土記』島根郡美保郷の条には、天の下造らしし大神の命が、高志の国に坐す神「意支都久辰為(おきつくしゐ)命」の子「俾都久辰為(へつくしゐ)命」の子「奴奈宜波比売(ぬながはひめ)命」と婚して「御穂須々美(みほすすみ)命」を生んだとある。奴奈宜波比売命の祖神の神名のオキツ・ヘツは「沖の」「海辺の」の意で、海神と考えられ、これによって沼河比売を海神の娘と捉える説もある。
 『古事記』『出雲国風土記』の沼河比売の神話で、出雲の神が越の沼河比売と結婚するという内容は、古代の出雲と越との間に地域的な結びつきがあったことが基盤になっているとされる。これに歴史的な背景を想定して、かつて出雲が越を服属させた歴史を示していると捉える説や、出雲が翡翠やその加工技術を越に求めた事情を反映しているとする説などがある。ただし、神話の中に史実がどの程度反映されているかは定かでなく、確証を得るのは難しい。
 また、高志国にまつわる神話として、『古事記』には八岐大蛇退治の神話があるが、この内容が沼河比売求婚の神話と構造的に対応しているとする捉え方もある。
参考文献
西郷信綱『古事記注釈 第三巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年8月、初出1976年4月)
倉野憲司『古事記全註釈 第三巻 上巻篇(中)』(三省堂、1976年6月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
『青海―その生活と発展―』(青海町役場、1966年5月)
市村宏「瑪瑙と翡翠―出雲と越―」(『続万葉集新論』桜楓社、1972年5月、初出1967年4月)
米沢康「沼河比売神婚伝承の史的背景」(『日本古代の神話と歴史』吉川弘文館、1992年5月、初出1971年1月)
米沢康「ヤチホコノ神について」(『日本古代の神話と歴史』吉川弘文館、1992年5月、初出1972年2月)
次田真幸「八千矛神の神語歌の形成と大倭直」(『日本神話の構成』明治書院、1973年8月)
荻原浅男「越のヌナカワヒメ(沼河比売)探訪記―古事記神話の風土性―」(『上代文学論攷―記紀神話と風土―』風間書房、1989年11月、初出1974年12月)
亀井千歩子『奴奈川姫とヒスイの古代史―高志路物語―』(国書刊行会、1977年9月)
土田孝雄『翠の古代史―ヒスイ文化の源流をさぐる―』(奴奈川郷土文化研究会、1982年5月)
黒岩重吾「古代王家とヌナカワの光る玉」(『シンポジウム 古代翡翠文化の謎』新人物往来社、1988年3月)
青木重孝「ヒスイの再発見史」(『シンポジウム 古代翡翠文化の謎』新人物往来社、1988年3月)
門脇禎二「越と出雲―ヌナカワヒメ伝承をめぐって―」(『シンポジウム 古代翡翠道の謎』新人物往来社、1990年4月)
大林太良「日本海文化と沼河比売伝説」(『シンポジウム 古代翡翠道の謎』新人物往来社、1990年4月)
寺村光晴「ヌナカワ伝承とヒスイ文化」(『古代王権と玉の謎』新人物往来社、1991年8月)
寺村光晴『日本の翡翠―その謎を探る―』(吉川弘文館、1995年12月)
内田正俊「『記紀』編纂時の越から見た奴奈川姫―ヒスイの女神は記憶されていたか―」(『日本書紀研究 第二十六冊』、2005年10月)
三浦佑之「沼河比売と翡翠」(『古事記・再発見。』KADOKAWA、2016年7月、初出2015年3月)
三浦佑之「ヌナガハビメとミホススミ」(『古事記・再発見。』KADOKAWA、2016年7月、初出2015年4月)
土田孝雄「奴奈川姫伝説とヒスイ文化について」(『地学教育と科学運動』76巻、2016年6月)
三浦佑之「オホクニヌシの国作り」(『出雲神話論』講談社、2019年11月)

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