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意富加牟豆美命

読み
おほかむづみのみこと/おおかむずみのみこと
ローマ字表記
Ōkamuzuminomikoto
別名
-
登場箇所
上・黄泉の国
他の文献の登場箇所
旧 意富迦牟都美命(陰陽本紀)
梗概
 火の神を生んだことで伊耶那美神が神避りすると、伊耶那岐神はこれを追って黄泉国へ赴くが、禁忌を犯してその姿を見たことで、黄泉国の神々に追われることとなる。黄泉比良坂の坂本に到って、そこにあった桃の実を三つ取って迎え撃つと、追手は退散し、逃れることができた。そこで、伊耶那岐神は桃の実に、我を助けたように葦原中国の人々を苦しみにある時に救えと命じ、この功を讃えて意富加牟豆美命という名を与えた。
諸説
 名義は、「大神之実」の意とする説があるが、この神名表記の「美」の字が、上代特殊仮名遣いでミ甲類の仮名にあたるのに対して、果実のミは乙類であるから不可であると批判されている。また、ミを神霊と解して、鬼をはらう威力を持つ大いなる神霊の意とする説がある。
 伊耶那岐神が追手の黄泉国の神から逃げる話は、『日本書紀』五段では、十二種の伝承のうち一書六と九にあるが、一書六では、桃の実は登場せず、伊耶那岐神が放尿したところ巨川となって追手から免れたとしている。一書九では、神名は無いが桃の実を投げて雷神を退散させており、「此、桃を用ちて鬼を避ふ縁なり」と説明されている。この話は、説話の類型としては呪的逃走譚と見なされる。縵を投げ棄てると蒲子が生じ、櫛を投げ棄てると笋が生じて、追手がそれに食いついている間に逃げるという逃走の手段は、物を投げて死霊の追従を阻止する呪的逃走の世界的な類型にも符合する。しかし最後に投げた桃は、投げ捨てた物から生じた食物によって足止めをするのではなく、桃そのものの呪力によって退散させているので、呪的逃走とは異なる他の要素の混入とも見られている。
 桃が鬼をはらう呪力を持つとする思想は、中国伝来の信仰習俗の影響とされている。『礼記』『春秋左氏伝』また六朝時代の『荆楚歳時記』など、古来、様々な文献に桃の呪力についての記述が認められ、桃は、鬼がこれを嫌い、不祥を掃うことができるものとされている。また、後漢の『論衡』所引『山海経』に見える度朔山伝説では、度朔山に生えた広大な大桃木の北東の枝の間に、万鬼の出入りする「鬼門」があって、神荼・鬱塁という神人が害をなす鬼を葦の綱で捕まえて虎に食わせていたので、黄帝はそれを模して、桃の木でできた像を立て、門戸に神荼・鬱塁・虎を画き、葦の綱を懸けて、鬼を防ぐようにした、という故事を伝えている。民間でも門戸に桃の木でできた祭具(桃梗・桃符・桃板)などを飾って防塞をする風習が伝わっている。日本においても、古来、陰陽道との関わりから独特の鬼門除けの風習が根づいているが、『古事記』で桃の木の生えていた黄泉比良坂を、そうした一種の「鬼門」と捉える説がある。宮中の年末の追儺(鬼やらい)でも、疫鬼をはらうのに桃の木の弓や杖を使ったが(『延喜式』中務省、大舎人寮)、やはり中国の儺に由来し、『漢旧儀』『後漢書』『文選』などにその祭儀が記されている。『今昔物語集』にも、陰陽師が鬼の侵入を防ぐのに桃の木を使っている話が載っている(巻第27第24話)。いずれにせよ、桃が鬼を払うという思想は、中国における信仰習俗がその根底にあることが窺われ、その渡来は中国思想の文献的な受容以前に遡ると考えられる。ただし、中国の例では辟邪の呪力を桃の木に求めているが、記紀では桃の実が呪力を持っているとされていることに独自性がうかがわれ、この点は中国思想の受容だけでは説明しがたい。
 また、道教では、桃の実は不老長寿の仙果として貴ばれており、神仙思想・道教の日本神話への影響も考察されている。日本では、一方、桃が雷除けの効能を持つともされており、中国や朝鮮半島には見いだされない独特の信仰であると指摘されている。その起源を陰陽五行説の介在によるものと考える説があり、記紀神話で桃によって雷神を退散したというのも、その影響ではないかと論じられている。
 日本で桃の栽培は弥生時代頃にはなされていたようである。奈良県桜井市の纏向遺跡からは、大型の建物の土抗から、2~3世紀頃の、栽培種と判断される桃核(種)が2800個近く出土している。古墳の横穴式石室からもしばしば桃核が見つかっており、その事例は6世紀末~7世紀初頭の推古朝前後に集中し、特に、当時の有力者がその被葬者に推定される第一級の首長墓に多いことが指摘されている。これは単なる食物供献とは考えにくく、辟邪や神仙思想にまつわる呪物としての意味があるとも考えられているが、推古朝前後に事例が集中するのは、朝鮮や隋の儀礼が意識されるようになった結果、儺や桃果の投擲のような桃を用いた儀礼が行われたものではないかとする説がある。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
折口信夫「桃の伝説」(『折口信夫全集 第三巻』中央公論社、1975年11月、初出1924年3月)
松村武雄『日本神話の研究 第二巻』(培風館、1955年1月)第六章第四節
桃崎祐輔「桃呪術の比較民族学(1)―日本の事例を中心として―」(『比較民族研究』2、1990年9月)
濱中尋吉「『古事記』における逃走譚の意義」(『國學院大學大学院文学研究科論集』24号、1997年3月)
王秀文「桃の民俗誌―そのシンボリズム(その一)」(『日本研究』17集、1998年2月)
王秀文「桃の民俗誌―そのシンボリズム(その二)」(『日本研究』19集、1999年6月)
王秀文「桃の民俗誌―そのシンボリズム(その三)」(『日本研究』20集、2000年2月)
王秀文『桃の民俗誌』(朋友書店、2003年)
桃崎祐輔「横穴式石室から出土する桃核と黄泉国神話」(『古文化談叢』65、2011年2月)
岡部隆志「オホカムヅミ 桃太郎のルーツともいわれる「桃の実」伝承」(『歴史読本』56巻11号、2011年11月)
雨宮久美「桃の文化的表象―日中比較の視点から―」(『国際関係研究』37巻2号、2017年2月)

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