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大戸日別神

読み
おほとひわけのかみ/おおとひわけのかみ
ローマ字表記
Ōtohiwakenokami
別名
-
登場箇所
上・国生み神生み
他の文献の登場箇所
旧 大戸日別神(陰陽本紀)
梗概
 伊耶那岐・伊耶那美二神の神生みによって生まれた神。
諸説
 神生み段の始めの方に生まれた石土毘古神から風木津別之忍男神までの六神は、住居にまつわる神々とする説がある。一方、国生みが終わってすぐの神生みの冒頭に住居の神を位置付けることの妥当性を疑問視する意見もあり、これらも神生みで誕生する他の神々と同様、自然にまつわる神々と捉える説がある。
 大戸日別神の名義は、「大」は美称とされる。「戸」は、住居にまつわる神とする立場からは、処の意で住居を指し、人の安住の地を得ることの表象とする説や、戸(門)の意で家の出入口を指すとし、家屋の戸を依代とした防塞神とする説がある。「日」は神霊の意とされる。「別」は地方を分治する者の称号に由来しているとされ、男子の敬称とする説や人体化の称とする説がある。
 「別」という称号は古代の人名や姓氏名に見られ、五~六世紀には姓(かばね)の一つにもなっている。「別」のつく神名の成立については、歴史上の「別」の性格とからめて論じられており、大化改新前後までに形成されていた皇子分封の思想、すなわち、『古事記』『日本書紀』で景行天皇が諸皇子に諸国郡を封じたのが「別」の起こりとしているように、「別」が天皇や皇子の国土統治を象徴するようになっていたことに基づく命名で、七世紀以後にできたものとする説がある。また、大化以前の実在の姓や尊称という見方を否定し、ワクという分治の意味の動詞から発して、天皇統治の発展段階にふさわしい称号として採用ないし創作されて伝承上の神名や人名に対して附加されたものと見なし、『古事記』の編集理念に基づいた称号体系の一環と考える説がある。
参考文献
山田孝雄『古事記上巻講義 一』(志波彦神社・塩釜神社古事記研究会編、1940年2月)
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
神野志隆光・山口佳紀『古事記注解2』(笠間書院、1993年6月)
佐伯有清「日本古代の別(和気)とその実態」(『日本古代の政治と社会』吉川弘文館、1970年5月、初出1962年1~3月)
川副武胤「「日子」(二)「国」「倭」「別」の用法」(『古事記の研究』至文堂、1967年12月)
荻原千鶴「大八嶋生み神話の〈景行朝志向〉」(『日本古代の神話と文学』塙書房、1998年1月、初出1977年3月)

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