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科野之坂神

読み
しなののさかのかみ
ローマ字表記
Shinanonosakanokami
別名
-
登場箇所
景行記・美夜受比売
他の文献の登場箇所
紀 山神(景行紀四十年是歳)
梗概
 科野の坂にいた神で、倭建命が東征の帰路、甲斐国から科野国(信濃国)へ越え来て尾張国へ帰る際に服従させた。
諸説
 科野之坂は、現在の長野県下伊那郡阿智村智里と岐阜県中津川市神坂の間の神坂峠にあたる。この峠は東山道の美濃国から信濃国に入る境の難所で、古代の祭祀の遺跡も見つかっている。
 倭建命の東征において平定の対象とされた、尾張国以東の東国、すなわち「アヅマ」の地の境界に位置する神とも捉えることができる。
 『古事記』では、甲斐国から科野国に越えて、科野の坂の神を言向けて(服従させて)尾張国に帰還したとしか記されていないが、『日本書紀』(景行天皇四十年是歳条)では、その坂で山の神が白鹿に化して日本武尊(倭建命)の前に現れたが、尊が奇妙に思い蒜を弾いたところ、眼に当ってその白鹿は殺されたとあり、そうして、以前はこの坂を越える者の多くが神の邪気によって病み臥したが、白鹿を殺して以降は、蒜を噛んで人や牛馬に塗れば邪気にあてられなくなった、と詳細に記されている。
 白鹿に化けた山の神を蒜によって退治するという内容は『古事記』の倭建命の足柄坂の神の討伐と酷似することが指摘されている。
参考文献
倉野憲司『古事記全註釈 第六巻 中巻篇(下)』(三省堂、1979年11月)
西郷信綱『古事記注釈 第六巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2006年2月、初出1988年8月・1989年9月)
青木周平「倭建命東征伝承と「言擧」」(『青木周平著作集 上巻 古事記の文学研究』おうふう、2015年3月、初出1989年1月)
三浦佑之「境界としての〈坂〉」(『神話と歴史叙述』若草書房、1998年6月、初出1996年5月)
市澤英利『東山道の峠の祭祀・神坂峠遺跡(シリーズ「遺跡を学ぶ」044)』(新泉社、2008年3月)

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