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少名毘古那神

読み
すくなびこなのかみ
ローマ字表記
Sukunabikonanokami
別名
少名毘古那
須久那美迦微
登場箇所
上・大国主神の国作り
仲哀記・酒楽の歌
他の文献の登場箇所
紀 少彦名命(八段一書六)/周玖那弥伽未能(神功紀摂政十三年二月)
播磨風 大汝少日子根命(餝磨郡)
伊豆風 少彦名(逸▲)
丹後風 少彦名神(逸▲)
伊予風 宿奈毗古那命(逸)
播磨風 少日子根命(揖保郡)/小比古尼命(神前郡)
出雲風 須久奈比古命(飯石郡)
伯耆風 少日子命(逸)
万 小彦名(6・963)/少御神(7・1247)/須久奈比古奈(18・4106)
拾 少彦名神(大己貴神)
神名式 宿那彦神像石神社(能登国能登郡)
梗概
 大国主神が出雲の御大の岬に居たとき、この神が、波頭から天の羅摩(かがみ。カガイモのこと)の船に乗り、鵝を丸剥ぎにした皮を着てやってきた。名前を問うたが答えず、大国主神に従う神たちもわからなかった。正体を知る久延毘古が、神産巣日神の子の少名毘古那神だと明かしたので、それを神産巣日神に申上すると、神産巣日神はそれを肯定して、子供らの中で自分の手の股から抜け出た子だと述べ、更に、大国主神と共に葦原中国を作り堅めるよう告げた。そうして二神の共同で国を作り堅めた後、少名毘古那神は常世国に渡っていった。
 仲哀記には、息長帯日売命(神功皇后)が太子(応神天皇)に酒を奉る際に詠んだ歌に「須久那美迦微(すくなみかみ)」の名で見え、酒の神として称えられている。
諸説
 スクナは、オホ(大)に対する語で、兄弟の命名などにもオホ・スクナという対応が見られる(孝元天皇皇子「大毘古命」「少名日子建猪心命」の兄弟)。記紀神話の中で体の小さな神とされていることから、スクナを小さい意とする説もあるが、スクナという語の実際の用法にそぐわないとする批判がある。年長に対する年少の意味とする解釈が有力で、神名を「若い日の御子」の意と解する説がある。ヒコナのヒコは男性とする説と日子の意とする説があり、ナは、尊称や親愛を表す称辞とされる。スクナのナを土地の意ととり、地主神と解する説もある。
 少名毘古那の神格として、記紀万葉、風土記(出雲・播磨)といった上代の伝承に幅広く共通する点は、大穴牟遅(大国主神)と共に国作りを行っていることにあり、ときに二神の名前が合わさって「大汝少日子根命」と一神のように記された例も見られる。ただし、国作りの要素が本来の神格にあったかは疑問も呈せられていて、粟にまつわる穀霊の神格をその本質と捉える見方が有力視されている。諸国の風土記には、二神共同での国作りや農耕上の功績が多く伝えられているが、その中で少名毘古那神は特に、稲や粟の種を各地にもたらした穀物神という性格が強いことが指摘されている。また、神産巣日神の指の間から落ちた子という穀粒を連想させる記述や、粟の茎に弾かれて常世国に渡ったという伝承(『伯耆国風土記』、『日本書紀』第八段一書六)などから、粟そのものの神格化と見る説もある。他に、この神の原型を稲作以前の焼畑耕作文化における粟作りの穀物神と捉えた上で、インドネシアやアフリカに例がある、国土の開拓者で宗教的権威を帯びた「土地の主」という地位を担う神と捉える説もある。
 記紀や風土記には、この他、大穴牟遅神と共同で、医法や湯治の創始といった医療上の事跡や、また、鳥獣昆虫の災異を払い除けるまじないを定めたことが伝えられているほか、記紀の神功皇后(息長帯日売命)の歌に、少御神(すくなみかみ)の名で「この御酒は 我が御酒ならず 酒(くし)の司(かみ) 常世に坐す 石立たす 少御神の……」(記・39)と、造酒の神として讃えられている。この少御神(須久那美迦微)については、大化前代に朝廷で造酒に携わっていた息長氏との関係も指摘されている。また、石に宿る神としても観想され、能登国能登郡に「宿那彦神像石神社」(延喜式)があり、『日本文徳天皇実録』(斉衡三年十二月戊戌)で常陸国鹿島郡大洗磯に奇妙な石とともに「太奈母知少比古奈命」が現れたという事件などの記述が見出される。
 また、船に乗って海上からやってきた描写や、常世国に去っていったという記述に基づき、海のかなたの常世国からやってきた神としても考えられている。ただし、実際の登場場面では波の穂から船に乗ってやってきたと記されるのみで、常世の国から来たとは書かれていないことが指摘されており、高天原の神である神産巣日神の子と記されていることに基づいて、高天原から船に乗って波上に降り立ち大国主神のもとにやってきたと解する説もある。
 二神の国作りの発端は、『日本書紀』や風土記の伝承を始め、多くは二神が自ら始めたこととして伝えられているが、これに対して『古事記』では神産巣日神の指令によって始められるという独自性があることが指摘されており、『古事記』の国作り神話は、二神の国作りにまつわる諸伝承を統合しながら、伊耶那岐神・伊耶那美神の国土の修理固成に対応させた独自の構想のもとにまとめあげられたものだとする説がある。
参考文献
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今井昌子「古代勧酒歌に歌われたスクナヒコナの酒」(『祭祀研究と日本文化』塙書房、2016年12月)
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