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衝立船戸神

読み
つきたつふなとのかみ
ローマ字表記
Tsukitatsufunatonokami
別名
船戸神(計数注)
登場箇所
上・みそぎ
他の文献の登場箇所
紀 岐神(五段一書六・九、九段一書二)/来名戸之祖神(五段一書九)
旧 岐神(陰陽本紀)/来名戸神(陰陽本紀)/衝立船戸神(陰陽本紀)
祝 久那斗(道饗祭)
梗概
 伊耶那岐神が黄泉国から帰還して禊をする際に、身に着けたものを脱いで化成した十二神(衝立船戸神・道之長乳歯神・時量師神・和豆良比能宇斯能神・道俣神・奥疎神・奥津那芸佐毘古神・奥津甲斐弁羅神・辺疎神・辺津那芸佐毘古神・辺津甲斐弁羅神)の内、投げ捨てた杖に成った神。
諸説
 同時に化生した十二神全体の意義としては、主な説として、(1)旅に関わる神々とする説、(2)黄泉国からの脱出に呼応する神々とする説、(3)邪悪なものを防塞し疫病を鎮める習俗の反映とする説、(4)禊ぎと関連して、流し遣った災厄や穢れ、あるいはそれを移した人形の神格化とする説、といったものがある。神話上の位置付けとして、この禊の段は、至高神天照大御神の出現の聖性の保証となる聖なる空間を作り出す叙述であり、これらの十二神もその役割を担ったものとする説がある。この神の位置付けについても、十二神全体の共通性や文脈に即して解釈されている。
 衝立船戸神は、境界にあって邪悪なものを侵入を防ぐ道祖神に当たる神であることが指摘されており、『日本書紀』五段一書六には杖から成った神は「岐神」とあって訓注に「布那斗能加微(フナトノカミ)」と読むが、一書九では「此の本の号は来名戸之祖神(クナトノサヘノカミ)と曰す」と説明される。道饗祭の祝詞にも道祖神として「八衢比古・八衢比売」と並んで「久那斗」が見え、根の国・底の国から来る悪いものの防塞が祈られている。
 名義については、「船戸」は「船門」、港の事で、交通の要衝として人の出入りが頻繁なため、そこで邪悪なものの侵入を防塞する道の神のこととする説がある。『日本書紀』の別名のクナトは、フナトとの音の交替とする説、「来な門」とする説、また、フナトが「船門」であるのに対して、曲がりくねった場所「曲門」の事とする説がある。
 杖は、『古事記』仲哀記に「其の御杖を以て、新羅の国主の門に衝き立てて、即ち墨江大神の荒御魂を以て、国守の神として、祭り鎮めて、還り渡りき。」とあるように、古代、境界などにこれを突き立てて占有を表すものとされた。そこから境界の標示ともなり、『常陸国風土記』行方郡条には「標の梲」を堀にたてて神に告げ、神の地と人の農地との境界を示したことが見える。よって、この神と杖との関連は、境界に杖を立てることで悪霊邪気を防塞することにあるとする説がある。また、この場面の「杖」とは、歩行用や武器ではなく、サヒ(くじり)を指していると考えて、男女の愛を象徴するとし、それをなげうったことが伊耶那美神との離別を象徴していると捉える説もある。
参考文献
森重敏「阿波岐原―古事記上巻について(5)―」(『国語国文』44巻2号、1975年2月)
菅野雅雄「禊祓条の化生神」(『菅野雅雄著作集 第三巻 古事記論叢3 成立』おうふう、2004年5月、初出1975年3月)
井手至「上代における道祖の神々」(『遊文録 説話民俗篇』和泉書院、2004年5月、初出1977年8月)
井手至「古事記禊祓の神々」(『遊文録 説話民俗篇』和泉書院、2004年5月、初出1980年3月)
吉井巖「箇男三神について」(『天皇の系譜と神話 三』塙書房、1992年10月、初出1992年1月)
水谷瞭「岐神と蘇塗」(『東アジアの古代文化』98号、1999年11月)
井手至「船門の神」(『遊文録 説話民俗篇』和泉書院、2004年5月、初出1994年11月)
神野志隆光・山口佳紀「『古事記』注解の試み(七)―伊耶那岐命の禊祓―」(『論集上代文学 第二十一冊』笠間書院、1996年2月)
吉野政治「禊ぎの前に化成する神々」(『古事記年報』42号、2000年1月)
坂元宗和「伊邪那岐命の杖」(『國學院雜誌』102巻9号、2001年9月)
平川南「古代における道の祭祀」(『古代の信仰と社会』六一書房、2006年10月)

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