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菟神

読み
うさぎがみ
ローマ字表記
Usagigami
別名

稲羽之素菟
登場箇所
上・稲羽の素兎
他の文献の登場箇所
旧 菟(地祇本紀)/稲羽素菟(地祇本紀)/菟神(地祇本紀)
梗概
 大穴牟遅神(大国主神)の兄弟の八十神が、八上比売に求婚するため、大穴牟遅神を従者にして因幡へ向かうと、裸の兎が気多之前で倒れていた。兎は、八十神の言葉に騙されて更に傷を負ってしまうが、遅れてやって来た大穴牟遅神に問われて、それまでの事情を次のように語った。
 隠岐島にいた兎は、気多之前へ渡るために海のワニを欺こうと考え、ワニにお互いの種族の数を比べようと持ちかけた。ワニを隠岐島から気多之前まで並ばせ、頭数を数えながらその上を踏んでいくことで、気多之前まで渡ることができたが、渡り終わる際、お前は私に騙されたのだ、とワニに告げると、端にいたワニに捕えられて衣服を剥がれた。そこで泣いていたところ、八十神が来て、海塩を浴びて風に当たって伏すとよいと教えられたので、それを実行したら全身が負傷した、という。
 これを聞いた大穴牟遅神は、兎に、河口の水で体を洗い、そこにある蒲黄(かまのはな。ガマのこと)を敷いて、その上で転がれば肌が元通りになる、と教えたので、兎がその通りに実行すると、体が元に戻った。
 本文には、この兎は「稲羽之素菟」で、現在(古事記編纂時)、「菟神」と呼ばれる、と記されている。そうして、大穴牟遅神が八上比売と結婚できることを予言し、果たしてその通りになった。
諸説
 「素菟」の「素」は、白色の意味に取る説と、裸の意味に取る説がある。『古事記』で白色を表す場合、「白鹿」「白猪」のように「白」字が用いられる点で疑問があるが、「素」字にはそのもの本来の白色という意味合いがあり、剥がれた体毛が治療によって元通りになったことを意識した用字と捉える見方もある。「菟」は「兎」の異体字である。
 陸の動物が水中の動物を騙して水を渡ったという説話は、外国にも広く見られる。稲羽の素菟神話もその流れを汲むものと考えられており、インド仏典由来説や、東南アジア由来説、東北アジア由来説、朝鮮半島由来説などが提唱されている。動物の組み合わせや話の展開は各地で異なるが、特に、東南アジアでは、小鹿もしくは猿がワニたちの上を数を数えながら渡るという類話が分布する。東北アジアでも、狐がアザラシたちの上を数を数えながら渡るが、狐は罠にかかって死ぬという類話があり、更には、それに大国主命の求婚譚に類似する妻問いの話を含んだ説話も報告されていて、両地域とも稲羽の素菟神話の源流の候補として論じられている。
 ただし、これらの外国の例は、単独で完結する説話であり、その内容の多くは狡猾な陸の動物が成功を収めて終わっている。これに対して『古事記』の稲羽の素菟譚は、一つの独立した説話ではなく前後の大国主命の活動に関わって語られ、内容は、兎がワニを騙すのに失敗し大国主命に助けられる展開になっている点において、趣向を大きく異にしている。韓国の梧桐島には、そうした相違を超えて稲羽の素菟神話に酷似した説話があることが報告されているが、日本植民地時代に稲羽の素菟神話が受容されて伝承されるようになった説話ではないかという疑問も呈せられている。
 大国主命の活躍を語った一連の神話の中で、兎は、大国主命が八上比売との婚姻の達成を予言する働きを担っており、あるいは、大国主命の優しさを語ることで、求婚成功者または国土の支配者としての徳性を明らかにする役目をしているとも解釈される。傷を癒やす民間療法の起源を語った民間説話的な側面も有しており、『古事記』に取り入れられる以前は、大国主命とは関係のない独立した動物神話であったとする見方もある。
 鳥取県鳥取市白兎に鎮座する白兎(はくと)神社に白兎神として祀られている。しかし、当社は戦乱による衰廃のため、慶長時代(安土桃山末~江戸初期)の再興以前の創建は明らかでないという。祭神は、元来、地域独自の白兎神を祭っていたのが、後に『古事記』と結びつけられたとする説もある。
参考文献
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西岡秀雄「「兎と鰐」説話の伝播(下)」(『史学』29巻3号、1956年12月)
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