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牟耶臣

読み
むざのおみ
ローマ字表記
Muginoomi
登場箇所
孝昭記
他文献の登場箇所
続   神護景雲3年(769)3月辛巳(13日)条
三実  元慶3年(879)11月25日庚辰条
始祖
天押帯日子命
後裔氏族
-
説明
 ワニ系氏族のひとつ。牟耶は武射・牟射・牟佐・武社とも書き、上総国武射郡を本拠地としたと考えられる。『古事記』では、天押帯日子命(孝昭天皇の御子)の後裔氏族として、春日臣らとともに名があげられている。『正倉院文書』によれば、カバネは明記されていないものの、天平勝宝年間に武射田笠が東大寺写経所の校生として活動している。また天平宝字2年(758)には右兵衛として牟佐人成なる人物が確認できるが、牟佐と表記する氏族には渡来系の牟佐村主もいるため、どちらの出身であったかは判断できない。元慶3年(879)には右近衛将監の助守が牟耶臣として最高位の外従五位下を授かっているが、神護景雲3年(769)に牡鹿郡人の春日部奥麻呂ら3人が武射臣を賜っていることから、助守が旧春日部であった可能性は否定できない。奥麻呂らは春日臣を筆頭とするワニ系氏族に列なっていたのだろうが、なぜワニ系氏族のなかでも比較的活動が低調な牟耶臣へと改賜姓したのかは判然としない。なお『先代旧事本紀』巻10国造本紀には「武社国造」の項があり、ワニ臣と同祖とされることから、おそらく牟耶臣が武社国造の地位にあったものと推測される。
参考文献
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