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都祁直

読み
つけのあたひ/つけのあたい
ローマ字表記
Tsukenoatai
登場箇所
神武記・当芸志美々命の反逆
他文献の登場箇所
紀   仁徳62年是歳条
    允恭2年春2月己酉(14日)条
    雄略12年冬10月壬午(10日)条
始祖
神八井耳命
後裔氏族
闘鶏稲置
説明
 大和国山辺郡を本拠とした氏族。都祁は闘鶏・都下・都介とも書く。『古事記』においては、神沼河耳命(のちの綏靖天皇)に皇位を譲った神八井耳命の後裔氏族として、意富臣・阿蘇君らとともに名がみえる。国造の多くは直姓を称していることから、『日本書紀』に登場する闘鶏国造は都祁直と同族の可能性が高い。ただし、かつて允恭天皇の皇后・忍坂大中姫に無礼を働いたことを咎められ、闘鶏国造は稲置姓に貶められたという伝承が問題となる。允恭天皇の時代(5世紀前半)に稲置がカバネとして成立していたとは考えにくいが、『日本書紀』が編纂された8世紀初頭の実態を表している可能性は残る。額田大中彦皇子(応神天皇の皇子)に氷室の氷を献上した闘鶏大山主も、遡及して稲置姓が用いられている。
 都祁直と闘鶏国造を同族と考えてよいならば、雄略天皇の時代に楼閣を築いた木工・闘鶏御田の記事が、都祁直に関する最後の記録ということになる。ただし、都祁の氷室は8世紀以降も存続しており、『延喜式』にも「都介氷室」に関する規定が確認できる。
参考文献
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