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津島県直

読み
つしまのあがたのあたひ/つしまのあがたのあたい
ローマ字表記
Tsushimanoagatanoatai
登場箇所
上巻・うけい
他文献の登場箇所
紀   顕宗3年春4月庚申(5日)条
続紀  慶雲3年(706)11月癸卯(3日)条
    慶雲4年12月辛卯(27日)条
    和銅元年(708)正月乙巳(11日)条
    和銅7年正月甲子(5日)条
    和銅7年(714)10月丁卯(13日)条
    神亀五年(728)5月丙辰(21日)条
    天平元年(729)2月辛未(10日)条
    天平3年正月丙子(27日)条
    天平20年2月己未(19日)条
    天平勝宝元年(749)11月己未(29日)条
    天平勝宝5年(753)2月甲午(22日)条
    宝亀6年(775)正月庚寅条
文実  天安元年(857)6月庚寅(25日)条
三実  天安2年(858)12月8日乙未条
式   臨時祭式42宮地卜部条
姓   摂津国神別
    未定雑姓摂津国
旧   国造本紀
始祖
建比良鳥命
天児屋根命(姓)
雷大臣命(姓)
建弥己々命(旧)
押瞻命(新撰亀相記)
後裔氏族
対馬下県直/対馬連/津島朝臣/津島直/直宿禰
説明
 対馬国を本拠とした氏族。対馬における前方後円墳の分布から、とくに雞知(対馬市美津島町)を本拠としたとの説もある。津島は対馬とも書く。『古事記』においては、天照大御神と建速須佐之男命とのうけいに際して天照大御神の珠より生じた五柱のうち、天之菩卑能命の子・建比良鳥命の後裔氏族として名がみえる。『日本書紀』には「対馬下県直」とみえ、これは津島県直と同族と推測される。他方、それと対応する対馬上県直については、後裔氏族を含めて史料から確認できない。『令集解』職員令1神祇官条古記の引く「官員令別記」に「津島上県国造」「津島下県国造」とあるため、上県郡にも有力な氏族がいたことは間違いないが、津島県直との関係は不明である。
 6世紀より対馬は伊勢・壱岐とともに卜部を輩出する国とされ、律令制下においても国造が主体となり「京卜部」を貢上していた。『新撰亀相記』によれば、下県郡からは直・卜部・夜良直各5人が中央に出仕しており、このうち直が津島直県の後裔氏族にあたると考えられ、従来はカバネであった「直」がウヂ名として扱われている。なお、『古事記』では天津日子根命とされていた始祖が、『新撰姓氏録』では天児日子根命の系統に変化している。天児日子根命は卜部を統轄する中臣氏の始祖であり、中央への進出を有利とするため系譜を操作したのだろう。また律令制下において、直氏は下県郡の郡領を務めており、天安元年(857)には下県郡擬大領・直浦主が上県郡擬主帳・卜部川知麻呂や党類300人とともに島司館を攻め、島守・立野正岑やその従者を射殺している。なお、その罪科を定める上表文には、上県郡擬少領・直仁徳の名も挙げられており、これを下県郡の直氏と同族とみなしてよいならば、その勢力は上県郡にも及んでいたことになろう。
参考文献
平野邦雄「「氏」の成立とその構造」第3章(『大化前代社会組織の研究』吉川弘文館、1969年5月、初出1965年5月)
平野博之「対馬・壱岐卜部について―その成立期についての二、三の問題点―」(『古代文化』17-3、1966年9月)
永留久恵『古代史の鍵・対馬―日本と朝鮮を結ぶ島―』第4章(大和書房、1975年5月)
羽床正明「卜部と中臣氏についての一試論―特に考古学上の成果を中心として―」(『東アジアの古代文化』41、1984年10月)
浅岡悦子「古代卜部氏の研究―『新撰亀相記』からみる祭祀氏族の系譜―」(『名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究』27、2017年1月)

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