國學院大学 「古典文化学」事業
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大山津見神
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神名データベース凡例
大山津見神
読み
おほやまつみのかみ/おおやまつみのかみ
ローマ字表記
Ōyamatsuminokami
別名
-
登場箇所
上・国生み神生み
上・八俣の大蛇退治
上・須賀の宮
上・邇々芸命の結婚
他の文献の登場箇所
紀 大山祇神(五段一書七、九段本書・一書二・五・六・八)/大山祇(五段一書八)
伊予風 大山積神(逸文)
旧 大山津見神(陰陽本紀)/大山祇神(陰陽本紀、地祇本紀、皇孫本紀)/大山祇(陰陽本紀、皇孫本紀)
神名式 大山積神社(伊予国越智郡)
梗概
伊耶那岐・伊耶那美二神の神生みによって、風の神・木の神・野の神と共に生まれた山の神。野の神の野椎神と共に山・野に因って分担して、八神(天之狭土神・国之狭土神・天之狭霧神・国之狭霧神・天之闇戸神・国之闇戸神・大戸或子神・大戸或女神)を誕生させた。
須佐之男命の八俣の大蛇退治の段では、櫛名田比売の父の足名椎が、大山津見神の子を名乗る。また、須佐之男命の系譜においては、須佐之男命の妻となった神大市比売や、八嶋士奴美神の妻となった木花知流比売の親神として記されている。また邇々芸命の結婚の段では、石長比売・木花之佐久夜毘売の姉妹の父として登場し、邇々芸命の求婚に応じて姉妹を送った。
諸説
「大」は美称、「山津見」は、山つ霊(み)、すなわち山の神霊の意とされる。
『古事記』では他に「山津見」とつく八種の山の神が、伊耶那岐神の斬り殺した火神の死体から生まれている。それらは死体の各部位に成った神々で、山の特定の部位に関する名称を持つことから、山一般に関わる神格ではなく、山の一部や限定的な信仰の様態にまつわる山の神であると考えられる。一方の大山津見神は、そうした限定がなく、「大」という美称がついていることから、ひろく山一般に関わる、山津見の中の代表格のような存在として捉えられている。
ヤマツミの神格は、山の神といっても、山に住まう精霊のたぐいではなく、山を掌る支配者のような性格と考えられている。ミは、神名や古代の人名に見られる称で、カミという称よりも古い概念と考えられるが、その意味については、神秘な力を持った存在のこととする説や、「見」の字を借字でなく意味を持たせた表記と捉えて、見守る主宰者の意とする説などがある。
山の神に対する民俗的な信仰は、全国各地に普遍的に認められるが、その信仰の様態は様々で、生活形態や地域により、そこから見出される性格も甚だ多岐にわたっている。大山津見神は、それに対して、より普遍的・総合的な性格を持った山の神と考えられることから、そうした特定の民俗的な信仰からは隔絶した神格であるとする見解がある。一方で、民俗的な山の神に共通する性格があることも指摘されていて、山の神が持つことのある、農耕の神、出産の神、海の神といった側面が、大山津見神にも見出し得ることが論じられている。
大山津見神には、子である足名椎、神大市比売、木花知流比売、石長比売、木花之佐久夜毘売をはじめ、その系譜を引く子孫が数多くいる。中でも、足名椎の子の櫛名田比売や神大市比売は須佐之男命と結ばれて出雲の神々の系譜をなしており、木花之佐久夜毘売は邇々芸命と結ばれて天皇の系譜をなしている。大山津見神自身は目立った活躍を見せていないが、その系譜上に占める位置づけの大きさは、この神が『古事記』の中で担う役割の重要な要素であると考えられる。「山の神」と称されてはいるが、実際には、山を掌るという性格に留まらず、ひろく地上を代表する神としての特別な立場を与えられていることが、ここからうかがわれる。
大山津見神が国つ神たちの祖神となっている理由については、『古事記』が、元々系譜的なつながりのなかった国つ神たちを、岐美二神の子であり、かつ、国土の代表的な地形の山の神である大山津見神に結びつけることで、天上の神の子孫である天皇が地上を統治することの正当性を示しているとする説がある。また、その系譜が天皇の祖神に結びついていくことについては、大山津見神の持つ、国土の支配や農耕を掌る権能といった統治の権威が、天皇に継承されるのを示すことで、天皇の支配の正当性を担保しているとする説もある。
また、この神が邇々芸命に娘の二柱の神を献上する話は、海を支配する綿津見大神が邇々芸命の子、火遠理命に娘の二柱の神を献上する話と対応しており、この二つの神話は、山(地上)と海との両者の呪力あるいは統治の権威が、天孫に併合されることを示す構想に基づくものと解されている。
伊予国越智郡の大三島には、この神を祭る大山積神社が鎮座する(現・大山祇神社、愛媛県今治市)。全国の大山積神を祭る神社の総本社でもあるが、瀬戸内海の要衝にあって、航海の守護神としても古来篤く信仰されてきた。山は航海をする人々にとっての目印であるため、しばしば航海守護の信仰の対象となることがある。『伊予国風土記』逸文には、その祭神「大山積神」を一名「和多志大神」と称し、百済国から来て摂津国の御島に鎮座したことが由緒だと伝えている。「和多志」はすなわち「渡し」であり、航海神としての信仰が古くから篤かったことを示している。『古事記』の大山津見神との関係ははっきりしないが、元来は別の神であったのを、大三島の祭祀を司った越智氏が、自己の祖神を中央の神話の大山津見神に結合させたことで、大三島の神を大山積神と称するようになったとする説もある。
『古事記』で初めてこの神が登場する場面では、岐美二神の子神らが河・海、また山・野に因って分担して、自然にまつわる神々を誕生させている。「因る」という表現は、物実による化生を表しているという説がある。「山・野(河・海)に因りて持ち別けて」神々を生んだ、という文の解釈について、生んだ主体を、岐美二神とみるか、持ち別けた主体と同じ大山津見神・野椎神とみるかによって、生まれた神々が岐美二神の生んだ「参拾伍神」に含まれるかどうか扱いが分かれる。この話は『日本書紀』には見られず、『古事記』独自の展開としてその意義が問われるが、自然神を神統譜の中に系譜化することによって、三貴子の分治を頂点とした伊耶那岐神の子神の統治領域の確立の過程として、自然界が掌握されることを意味しているのではないかという説がある。
参考文献
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加藤義成「「津見」の考」(『古事記年報』20号、1978年1月)
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『式内社調査報告書 第二十三巻 南海道』(式内社研究会編、皇学館大学出版部、1987年10月)
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西宮一民「「神参拾伍神」考」(『古事記の研究』おうふう、1993年10月、初出1992年4月)
毛利正守「古事記上巻、岐美二神共に生める「嶋・神参拾伍神」考」(『萬葉』144号、1992年9月)
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三浦佑之「記紀神話のなかの山の神」(『東北学』10、2004年4月)
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三浦忠也「古事記における大山津見神の役割」(『武蔵野日本文学』25号、2016年3月)
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