器物データベース 凡例
死したイザナミを追ってイザナキは黄泉国を訪れる。するとイザナミは「殿(との)」から出て迎え黄泉の食事〔戸喫(へぐい)〕をしている。また、イザナミは腐敗した遺体と一体の形で語られる。そこからは、遺体となった死者は「殿」(家)に住み、食事をするとの認識が読み取れる。これと対応するように、遺体と「殿・家」との密接な関係は四世紀以来、古墳時代を通じて見ることができる。まず、四世紀後半には古墳で遺体を埋葬した上に家形埴輪が置かれ始め、古墳に家形埴輪を置く伝統は六世紀まで継承された。五世紀になると、遺体そのものを家に納める家形石棺が成立する。六世紀後半の藤ノ木古墳(奈良県)では、家形石棺には豪華な副葬品とともに二体の男性遺体を納め、同じ石室内には食事を供えた多数の食器が置かれていた。家と遺体の関係は、近畿地方の大古墳に限らず東国の横穴墓でも認められる。遺体を納める玄室を寄棟(よせむね)屋根の家形に作る例が存在する。六世紀には殿・家に住む遺体・死者の認識は、広く列島内に展開していたと考えられる。
イザナキの黄泉国訪問 (古事記学センター蔵『古事記絵伝』より)
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