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迦毛大御神

読み
かものおほみかみ/かものおおみかみ
ローマ字表記
Kamonoōmikami
別名
阿遅鉏高日子根神
阿遅志貴高日子根神
阿治志貴高日子根神
登場箇所
上・大国主神の系譜
他の文献の登場箇所
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梗概
 阿遅鉏高日子根神の別名。大国主神の系譜に「今迦毛大御神と謂ふぞ」とある。
諸説
 「迦毛」は地名で、奈良県御所市鴨神を指す。「大御神」は神に対する最上位の敬称である。この神を祭る神社は、『延喜式』神名帳・大和国葛上郡に「高鴨阿治須岐託彦根命神社四座」とみえる。
 その鎮座については、「出雲国造神賀詞」に大穴持命が皇孫の近辺を守護する神々の一柱として阿遅須伎高孫根命、すなわち迦毛大御神を葛木の鴨に鎮座させたという記述がある。この祝詞は、宮廷の神話的な藩屏体制の成立を物語ったものであり、大和の葛木鴨に棲む国つ神が擬制的に大国主神(大穴持命)の子とされるに至ったということを意味するともいわれる。他、『出雲国風土記』意宇郡・賀茂神戸の条にも、阿遅須根高日子命が葛城の賀茂の社に坐すとある。このことから、出雲の鴨氏が大和へ移住して、葛城山麓の台地穀倉地帯を開拓したことを物語っているとする見解もある。
 また、『続日本紀』天平宝字八年(764)十一月七日条には、かつて雄略天皇の怒りを買って葛城山から土佐国に流された高鴨神を、淳仁天皇の命により賀茂朝臣田守が土佐国から迎え祠ったことが記されている。ただし、これに関連する記紀の記事で、葛城山で雄略天皇と相対したのは、高鴨神ではなく一言主之大神である。鴨君の祭祀との関わりを念頭に、元来は一言主之大神が葛城の神であったが、『続日本紀』の記事にあるように罪を得て流され、空席になった神座に高鴨神(味鉏高彦根尊)が据えられたため、高鴨神(味鉏高彦根尊)と混同されることになったと解する説もある。このように、迦毛大御神(阿遅鉏高日子根神)は出雲や鴨氏との関わり、また葛城の神として一言主之大神との先後関係などの点から二神の関係性が考察されている。
 ただし、『古事記』では上記のような鎮座の由来は記されていない。これについては、もし、先述の「出雲国造神賀詞」と同様に大国主神(大穴牟遅神)が阿遅鉏高日子根神の御魂を鎮座させたと記してしまうと、大国主神が隠去する前、すなわち天神御子が大和に入る前に、大国主神が自分の子孫を大和に送り込んだことになる。そのため、『古事記』では「今」と神話の時間から切り離した記述をとることで、阿遅鉏高日子根神がカモに鎮座することを大国主神の事跡としないように記しているとも解釈されている。
 また、『古事記』の「大御神」は他に天照大御神と伊耶那岐命の二神のみであり、この神が迦毛「大御神」と称される理由について古くから様々に説かれている。「大御神」は、ある時期における迦毛大御神とこの神を祭った氏族の勢力の強大さを物語るとする説や、大国主神と多紀理毘売命(天照大御神と須佐之男命のウケヒで誕生した長女)の長子であるため、系譜上で重要視される存在だからという説などがある。また、記紀の神話の内容に基づいて考察し、阿遅志貴高日子根神(迦毛大御神)が喪屋を切り伏せることにより、天若日子の再生を阻止したと捉え、その事績を承けて「大御神」と称されるのだという説もある。『古事記』では、高天原に反逆した天若日子の弔問に訪れるが、天若日子の父や妻に天若日子と間違われ、阿遅志貴高日子根神(迦毛大御神)が喪屋を切り伏せるという神話が記されており、通説ではその天若日子の喪は再生・復活の儀式とされる。つまり、高天原の反逆者の再生・復活を意味するものであるため、再生の可能性を完全に断ち切ることで処罰を完結させたと捉え、「大御神」という最上位の待遇で称されるという。なお、阿遅鉏高日子根神(迦毛大御神)が天若日子の喪屋を切り伏せて怒って飛び去る様子は、『山城国風土記』逸文の可茂別雷神の昇天の様と近いものがあり、同等の性格をもつ神とも解されている。
 そのほか、「阿遅志貴高日子根神」の項も参照。
参考文献
川副武胤「大神考」(『古事記の研究』至文堂、1967年12月、初出1966年5月)
青木紀元「迦毛大御神の性格」(『日本神話の基礎的研究』、風間書房、1970年3月)
三谷栄一「阿遅鉏高日子根神の性格―誉津別皇子の物語との関連において―」(『日本神話の基盤』塙書房、1974年6月、初出1970年10月)
熊谷春樹「葬礼と挽歌―天若日子葬儀と夷曲―」(『国学院雑誌』77巻7号、1976年7月)
金井清一「葛城・岡田・葛野のカモ」(『神田秀夫先生喜寿記念 古事記・日本書紀論集』続群書類従完成会、1989年12月)
山根惇志「迦毛大御神と一言主神と」(『古事記年報』33、1991年1月)
松本直樹「出雲神話の構成」(『古事記神話論』新典社、2003年10月、初出1996年6月)
井手至「かもの神」(『遊文録 説話民俗篇』和泉書院、2004年5月、初出1999年1月)
松本直樹「迦毛大御神アヂスキタカヒコネ―古事記出雲神話の構想」(『国語と国文学』85巻3号、2008年3月)
堂野前彰子「雷神に象徴される父性―『山城国風土記逸文』賀茂伝承を中心に―」(『文学研究論集』30、2009年2月)
矢嶋泉「切り伏せられた喪屋―迦毛大御神の待遇表現をめぐって」(『菅野雅雄博士喜寿記念記紀・風土記論究』おうふう、2009年3月)
上田正昭「賀茂御祖神と鎮座の由来」(『古代の日本と東アジアの新研究』、2015年10月、初出2015年4月)

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