國學院大学 「古典文化学」事業
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熊野山之荒神
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熊野山之荒神
読み
くまののやまのあらぶるかみ
ローマ字表記
Kumanonoyamanoaraburukami
別名
化熊
登場箇所
序・古代の回想
神武記・熊野の高倉下
他の文献の登場箇所
紀 神(神武前紀戊午年六月)
旧 神(皇孫本紀)
梗概
熊野に上陸した神倭伊波礼毘古命の軍勢のもとに大熊と化して現われ、その毒気によって正気を失わせた土地神。高倉下が横刀(佐士布都神)を献上すると、神倭伊波礼毘古命はたちまち正気をとり戻した。また横刀の威力で熊野山之荒神は自然とすべて斬り倒され、軍勢も正気に戻って起き上がった。
諸説
荒ぶる神とは、王権によって王化・平定されるべき対象であり、また人間の生活に不都合な一切の存在ともされる。熊野山の荒ぶる神は神倭伊波礼毘古命の行軍を妨害し、天より降された霊剣の神威によって鎮撫された。『古事記』では「髪」に出現したとされるが、この「髪」の字は「髣」や「髴」、あるいは「髣髴」「髪髴」の誤りとされる。いずれの字を採る説でも「ほのかに」と訓読され、幻のように現れて消えたこと、はっきりとしない存在であったことなどを表現したものと理解されている。熊野山之荒神が大熊と化して現れたのは、そこが熊野村であったことからの連想とするのが一般的である。ただし東アジアには熊を水神とする観念があり、豊玉毘売(神倭伊波礼毘古命の祖母)が「大熊鰐」と化したという所伝があることからも、水神である大熊と遭遇したことを瑞兆と理解する説もある。すなわち熊野山之荒神が出現して以降、神倭伊波礼毘古命の国土平定は容易に進展するようになっており、そこにオヤの鯀が黄熊と化したのちに治水事業を完成させた禹や、夢に黄熊が現れたことをきっかけに周の郊祀を継承した晋平公との関係性が指摘されている。また熊野村に比定される和歌山県新宮市には熊野速玉大社が鎮座し、速玉は「勢い烈しい霊」の意であることから、『古事記』の荒ぶる神という特徴と照応するとの説もある。
熊野村での物語全体は、神倭伊波礼毘古命の死と再生を表したものとされ、鎮魂祭と関係するとの説が有力である。また『古事記』においては、熊野村で横刀を献上される場面から、神倭伊波礼毘古命は「天つ神御子」と呼ばれるようになる。この直前に記される五瀬命の死と併せて、ここで神倭伊波礼毘古命の即位が明確となり、横刀とともに葦原中国の統治権も獲得したとの指摘がある。なお『日本書紀』で熊野山之荒神に対応する「神」は、熊野の荒坂津で丹敷戸畔を討った直後に毒を吐いていることから、この「神」を丹敷戸畔が奉斎していた神と捉える説もある。ただし丹敷戸畔に相当する人物は『古事記』にみえず、熊野村の物語やそこに登場する神は、記紀で異なる性格を付されていたとも考えられている。
参考文献
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
西郷信綱『古事記注釈 第五巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年12月、初出1988年8月)
三品彰英「クマナリ考―建国伝説における「水の熊神」の研究―」((『三品彰英論文集第2巻 建国神話の諸問題』平凡社、1971年2月、初出1935年2月・5月)
武田祐吉『古事記説話群の研究』(明治書院、1954年10月)
松前健「鎮魂祭の原像と形成」(『松前健著作集第6巻 王権祭式論』おうふう、1988年3月、初出1973年6月)
神野志隆光「「荒神」」(『古事記の達成』東京大学出版会、1983年9月、初出1975年1月)
大久間喜一郎「神武天皇記の構成と東征伝承」(『古事記の比較説話学―古事記の解釈と原伝承―』雄山閣出版、1995年10月、初出1990年3月・1991年3月)
井上隼人「「国を平らげし横刀」授受の意義―『古事記』高倉下の献剣段の考察―」(『古代文学』52、2013年3月)
髙橋俊之「神武記東征条「大熊髪出入」考―「髣髴」と「ほのかに」を中心として―」(『國學院大學研究開発推進機構紀要』12、2020年3月)
熊野久須毘命
闇淤加美神
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