國學院大学 「古典文化学」事業
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天津日高日子穂々手見命
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天津日高日子穂々手見命
読み
あまつひたかひこほほでみのみこと
ローマ字表記
Amatsuhitakahikohohodeminomikoto
別名
火遠理命
登場箇所
上・邇々芸命の結婚
上・海神の国訪問
上・鵜葺草葺不合命の誕生
他の文献の登場箇所
紀 彦火火出見尊(九段本書・一書二・五・六・七・八、十段本書・一書一・二・三・四)/火折彦火火出見尊(九段一書三)/火火出見尊(十段一書一・三)/虚空彦(十段一書一)
旧 彦火々出見尊(皇孫本紀、国造本紀)/天津彦々火瓊々杵尊(皇孫本紀)/火出見尊(皇孫本紀)
拾 彦火尊(彦火尊と彦瀲尊)
梗概
火遠理命の別名。邇々芸命の子で、木花之佐久夜毘売との間に生まれた三柱の神の第三。木花之佐久夜毘売が火をつけた殿の中に入って出産し、火の盛んに燃える時に産まれた。
豊玉毘売を妻とし、その間に生まれた子が、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命である。
高千穂の宮に居ること五百八十年、御陵は高千穂の山の西にある、とされる。
諸説
「火遠理命」「天津日高日子穂々手見命」という二つの神名は、それぞれこの神の異なる神格を象徴しているとされる。「火遠理命」という神名は兄弟神との共通性が強く、兄の火照命と争う海幸山幸神話の中でもこの神名で呼ばれているため、海幸山幸神話の主人公としての神名と考えられる。一方、「(天津日高)日子穂々手見命」という神名は、誕生時の記述と治世・陵所の記述の箇所にのみ使われており、その名称の特徴も、兄弟神との共通性が無く、父の「天津日高日子番能邇々芸命」や子の「天津日高日子波限建鵜葺草不合命」に通じていることから、天神の正統な系譜の継承者であることを表した呼称と考えられる。また、各神名は本来、異なる伝承を持つ、互いに無関係な別個の神を指していたのが、王権神話の成立過程で一つの神話に統合されたことで同じ神の別名にされたとも考えられている。
「天津日高」は、天皇の尊称と考えられている。また、海幸山幸神話の中で火遠理命は、塩椎神から「虚空津日高」、海神から「天津日高の御子、虚空津日高」とも称されている。「虚空(そら)」は天と地の間のこととされるが、「天津日高」が天子を指し、「虚空津日高」はその太子を指すとする説がある。なお、「日高」は、ヒタカと読む説とヒコと読む説がある。「高」を音読みでコと読むのは国名の「高志(こし=越)」などの例があり、邇々芸命が冠する「天津日高日子」が『日本書紀』で「天津彦彦」と書かれていることに基づくと、「日高」はヒコと読める。これに対して、この神名の「高」以外の字は全て訓読みの仮名(訓仮名)であり、一文字だけ音読みの仮名(音仮名)が混ざるのは不自然であることから、「高」も訓読みして、ヒタカと読むべきという見解がある。ただし、音仮名と訓仮名を混ぜて表記される神名・人名も少数ながら記紀に見られることが指摘されており、ヒコの読みを採る立場からは、コと読ませる音仮名「高」は、古来の慣用によって音仮名という意識が薄れ、訓仮名とも一緒に使われる仮名になっていたため、この位置に現れ得たと捉える説もある。また、ヒコに「日高」という特殊な表記が採用された理由について、普通の「日子」とは異なる、天孫を意味する特別な呼称であることを示す意図があるとする説もある。
「日子穂々手見」の「日子」は男子の意とされるが、日神である天照大御神の嫡流男子としての意味を持つと捉える説もある。「穂々」は、多くの稲穂の意とされ、「手(で)」は出る、「見(み)」は神霊の意ととって、「穂々手見」を、多くの稲穂が出る神霊の意とする説がある。稲穂に因むのは、父「番能邇々芸命」の「番(ほ)」同様、瑞穂の国の君主たる資格を表しているとする説もある。一方、『日本書紀』では、「彦火火出見尊」と、「火」の字が使われていることから、火が盛んに出る意を原義とする説や、火と稲穂との意味が重なった神名と捉える説もある。
神武紀には、神日本磐余彦天皇(神武天皇)の諱が、この神と同じく「彦火火出見」となっており、このことから、本来はこの神が初代天皇とされていたのが、その事跡の大和奠都以前・以後もしくは神代・人代を境として二代に分化し、その間に鵜葺草葺不合命が挿入されたとする説もある。
その他、神格や事跡等については、「火遠理命」の項も参照されたい。
参考文献
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梅田徹「日向三代におけるヒコホホデミ―ワタツミの宮訪問条の主題と構想」(『古事記の現在』笠間書院、1999年10月)
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山﨑かおり「古事記の「虚空津日高」」(『日本文學論究』66、2007年3月)
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勝俣隆「古事記における穂穂手見命の高千穂宮在世五百八十年の意味」(『上代日本の神話・伝説・万葉歌の解釈』おうふう、2017年3月、初出2015年2月)
折原佑実「『古事記』におけるホヲリ―『日本書紀』との比較を通して―」(『早稲田大学大学院教育学研究科紀要 別冊』22号-2、2015年3月)
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