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御諸山(美和山)

読み
みもろのやま(みわやま)
ローマ字表記
Mimoronoyama(Miwayama)
登場箇所
上巻・大国主神の国作り 神武記・皇后の選定 崇神記・神々の祭祀 崇神記・三輪山伝説
住所
奈良県桜井市三輪町 地図を表示
緯度/経度
北緯 34°32'08.0"
東経 135°51'60.0"
説明
 大国主神の国作りの中で大物主神を祭った場所。神武記に「美和の大物主神」と記載され、崇神記には意富多々泥古を神主として大物主神を御諸山に祭ったとする記述がある。また、三輪山伝説において大物主神の正体を知るきっかけとなった神の社が存在する地として美和山が記される。これらのことから、大物主神は三輪山の祭神として解釈されている。
 「御諸(ミモロ)」は「御室(ミムロ)」であり、「室(ムロ)」は本来自然の岩窟のことを指すとされるが、「御」を冠した「御室」は、転じて神の鎮座する場所、または神を祭る場所の意を持つと説かれている。『万葉集』における御諸山に関しても、神を祭る聖地として解される歌がある。
 記紀等に記される御諸山は、特に「三輪山」を指している。上記のように『古事記』における御諸山(三輪山)は大物主神祭祀の場として記される。また、『日本書紀』における御諸山(三輪山)の頂上を舞台とした崇神天皇の後継者決めの夢占記事(崇神天皇四十八年正月条)や、倭迹迹日百襲姫命と大物主神の婚姻記事(崇神天皇十年九月条)から、三輪山祭祀と大和王権の深い関わりが指摘されている。
 三輪山は大神神社(大和国城上郡)の神体山であり、その山中、山麓には古代の祭祀遺跡が点在する。特に三輪山西麓一帯を避けるように纏向遺跡が造営されている点から、三輪山西麓一帯が聖地として意識されていたと指摘されている。
 なお、「三輪(美和)」については「美和」を参照。
URL
備考
西郷信綱『古事記注釈 第三巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年8月、初出1976年4月)
倉野憲司『古事記全註釈 第三巻 上巻篇(中)』(三省堂、1976年6月)
倉野憲司『古事記全註釈 第五巻 中巻篇(上)』(三省堂、1978年4月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
西郷信綱『古事記注釈 第五巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年12月、初出1988年8月)
尾畑喜一郎(編)『古事記事典』(おうふう、1988年9月)
角川文化振興財団(編)『古代地名大辞典』(角川書店、1999年3月)
加藤謙吉・関和彦・遠山美都男・仁藤敦史・前之園亮一(編)『日本古代史地名事典』(雄山閣、2007年10月)
和田萃「三輪山祭祀の再検討」(『日本古代の儀礼と祭祀・信仰 下』塙書房、1995年6月、初出1985年3月)
寺沢薫「三輪山の祭祀遺跡とそのマツリ」(和田萃編『大神と石上』筑摩書房、1988年2月)

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