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隠伎之三子島

読み
おきのみつごのしま
ローマ字表記
Okinomitsugonoshima
登場箇所
上巻・国生み神生み
住所
島根県隠岐郡隠岐の島町下西701 地図を表示
緯度/経度
北緯 36°12'25.5"
東経 133°18'45.2"
説明
 伊耶那岐・伊耶那美二神の国生みによって生まれた大八島国の第三。別名を「天之忍許呂別」という。
 隠岐国(島根県隠岐郡の隠岐諸島)に比定される。隠岐諸島は、島前(どうぜん)と島後(どうご)との二つに別れ、島前は西島・中島・知夫里島の三つの小さな島からなっている。すなわち、隠岐国の全体は四島から構成されるため、「三子島」という表現をそれとどう対応させるかが問題となる。一般的には、島前の三島が隠伎之三子島に比定されている。
 隠伎之三子島の名義は、島後を親として、島前の三島がその三つ子として向かい合うような地勢をしていることによるとする説や、本土から隠岐国の玄関口となる島前の知夫里島に向かい、西島の焼火山を目指しながら漕ぎ出した時、航海中の景観において、島後は姿を遥かにして島前の印象が強く迫り、島前三島が、三つ子のように対等の量感で重なり合って海に浮かんでいる様子で見えることによる命名とする説がある。
 隠岐国は、『延喜式』民部式に「辺要」の国の一つとされており、新羅に対する防衛の軍事拠点として重視されていたことが歴史的に窺われる。
URL
しまね観光ナビ 観光スポット(玉若酢命神社)
https://www.kankou-shimane.com/ja/spot/detail/4591
備考
本居宣長『古事記伝』5(『本居宣長全集 第9巻』筑摩書房、1968年7月)
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻』(ちくま学芸文庫、筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
西宮一民(校注)『古事記』(新潮日本古典集成、新潮社、1979年6月)
松村武雄『日本神話の研究 第二巻』(培風館、1955年1月)第三章
岡田精司「国生み神話について」(『古代王権の祭祀と神話(第5刷)』塙書房、1979年4月、初出1955年10月)
服部旦「続「国生み神話」批判―島生みの場―」(『中央大學國文』12号、1968年10月)
服部旦「隠伎之三子嶋考」(『日本神話研究2 国生み神話・高天原神話』学生社、1977年8月、初出1975年)
荻原千鶴「大八嶋生み神話の〈景行朝志向〉」(『日本古代の神話と文学』塙書房、1998年1月、初出1977年3月)
和田萃「古代の出雲・隠岐」(『海と列島文化 第2巻 日本海と出雲世界』小学館、1991年7月)
角川文化振興財団(編)『古代地名大辞典』(角川書店、1999年3月)
寺川眞知夫「大八嶋国―その神話的世界としての役割―」(『古事記神話の研究』塙書房、2009年3月、初出1999年7月)
服部旦「『古事記』隠伎之三子嶋の地名起源(一)―並びに「雙生億岐洲與佐度洲」(『日本書紀』)の意味―(附)『出雲国風土記』嶋根郡諸島の比定と編纂過程について」(『大妻女子大学紀要(文系)』35、2003年3月)
服部旦「『古事記』隠伎之三子嶋の地名起源(二)―並びに「雙生億岐洲與佐度洲」(『日本書紀』)の意味―」(『大妻女子大学紀要(文系)』36、2004年3月)
服部旦「『古事記』隠伎之三子嶋の地名起源(三)〔完〕―並びに「雙生億岐洲與佐度洲」(『日本書紀』)の意味―」(『大妻女子大学紀要(文系)』37、2005年3月)
虎尾俊哉『延喜式 中』(訳注日本史料、集英社、2007年6月)

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