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高市県主

読み
たけちのあがたぬし
ローマ字表記
Takechinoagatanushi
登場箇所
上巻・うけい
他文献の登場箇所
紀   天武元年(672)7月壬子(23日)条
    天武12年10月己未(5日)条
続紀  天平20年(748)2月己未(19日)条
    天平20年8月辛丑(3日)条
    天平勝宝元年(749)4月丁未(14日)条
    天平勝宝元年12月丁亥(27日)条
    天平勝宝2年(750)12月癸亥(9日)条
    神護景雲3年(769)3月戊寅(10日)条
    宝亀6年(775)正月庚戌(16日)条
    宝亀7年3月癸巳(6日)条
    宝亀7年3月辛亥(24日)条
三代格 5・加減諸国官員并廃置事・貞観13年(871)8月16日付太政官符
万   1・32-33
    1・58
    1・70
    3・270-277
    3・279-280
    3・281
    3・283
    3・305
    9・1718
    17・4017
姓   右京神別下
    和泉国神別
始祖
天津日子根命
彦伊賀都命(姓)
建許呂命(姓)
後裔氏族
高市連
説明
 「倭国六県」のひとつである高市県(大和国高市郡)を本拠とした氏族。『古事記』においては、天照大御神と建速須佐之男命とのうけいに際して、天照大御神の珠より生じた五柱のうち、天津日子根命の後裔氏族として名がみえる。天武12年(683)10月に連姓を賜った。『万葉集』に旅の歌18首が収められた黒人が著名。のちの高市郡域には神武・綏靖・安寧・懿徳という連続する四代の天皇陵が集中しており、高市県が四代の祖廟の地として設定・公認されていたと指摘される。壬申の乱に際して神懸りした氏人の許梅は、神託として神武天皇陵に馬と種々の兵器を奉るように告げている。また、上記四代の天皇はいずれも事代主神の子孫との婚姻関係を有しており、高市郡と事代主神との関係性も注目される。許梅も神託の主として、高市社の事代主神と身狭社の生霊神を挙げている。ただし、高市社は『延喜式』では「高市御県坐鴨事代主神社」と称されていることから、その奉斎氏族は高市県主ではなく賀茂氏であったと考えられる。8世紀には中央官司として叙爵した氏人が複数みえており、なかでも東大寺大仏の大鋳師を勤めた大国(真国)は従四位下まで昇った。しかし、9世紀以降には衰退したと考えられ、その活動形跡はほとんど確認できなくなっている。
参考文献
吉井巌「倭の六の御県」(『天皇の系譜と神話』2、塙書房、1976年6月、初出1968年11月)
小林敏男「県・県主制の再検討(二)―ヤマト六県を通じて」(『古代王権と県・県主制の研究』吉川弘文館、1994年7月、初出1976年10月・12月)

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