古事記ビューアー

古事記の最新のテキストを見ることができます。
諸分野の学知を集めた
注釈・補注解説とともに
古事記の世界へ分け入ってみましょう。

古事記ビューアー凡例
目次を開く 目次を閉じる

しま天降あもして、 あめ御柱みはしら見立みたて、八尋やひろ殿どのつ。 ここいも伊耶那美命にひてはく、 如何いかにかれる」といふ。 こたへてまをさく、「成々なりなりはざるところ一処ところあり」とまをす。 しかして、伊耶那岐命らさく、「我が成々なりなりあまれるところ一処ところあり。 かれあまれるところはざるところふたぎて、 国土くにさむと以為おもふ。むこと奈何いかに[訓生云宇牟下效此]」とのらす。 伊耶那美命こたへてはく、「しかけむ」といふ。 しかして、伊耶那岐命らさく、「しからばあめ御柱みはしらめぐひて、 美斗能麻具波比みとのまぐはひ[此七字以音]せむ」とのらす。 ちぎりて、すなはち「みぎよりめぐへ。我は左よりめぐはむ」と詔りて、 ちぎへてめぐときに、 伊耶那美命づ「阿那迩夜志愛あなにやしえ袁登古袁をとこを[此十字以音下效此]」とひ、 のちに伊耶那岐命、「阿那迩夜志愛あなにやしえ袁登賣袁をとめを」とふ。 おのおのへしのちに、いもげて「女人をみなへるはくあらず」とふ。 しかあれども、久美度くみど[此四字以音]おこしてめるは、水蛭子ひるこ 葦舩あしふねれてながつ。 つぎあはしまむ。 またかずれず。 ここに、二柱ふたはしら神議かみはかりてはく、「いまめるくあらず。 なほあまかみ御所みもとまをすべし」といひてすなはともまゐのぼりて、あまかみみことふ。 しかして、あまかみ命以みこともちて、 布斗麻迩尒ふとまにに[此五字以音]卜相うらなひてらさく、 おみなへるにりてくあらず。またかへくだりてあらたへ」とのらす。 故尒かれしかして、くだりて、さらあめはしらめぐることさきごとし。

○天降坐而 「天降」は、『万葉集』の「マシ」(巻二)、「」(巻三)、「」(巻十八)などの例によれば、「アモリ」「アマクダリ」両方の訓があり得る。「アモリ」は「アマオリ」の略。本澤雅史は『万葉集』の用例を調査し、オルは結果的、クダルは経過的という傾向があると指摘し、『古事記』の「天降」は経過的な「アマクダル」「アマクダス」で訓んだほうが良いとした(「古事記における『降』『向』の訓読について」『古事記年報』26 、一九八四・一)。自動詞「アマクダル」に対して他動詞「アマクダス」という訓みはあり得るが、「アモル」に対する「アモロス」という訓は存在しない点からも、「アマクダル」が妥当。兼方本日本書紀の訓点に「アマクタシマツラム」の訓もある。なお、毛利正守は、キミ二神・オシホミミ・ニニギ等の場合には「天降」と記されるのに対し、スサノヲやアメワカヒコが降臨する場合には「自天降」と記されるというように、皇統に連なる神とそれ以外の場合とで使い分けがあると説いている(「古事記の表記をめぐって―「自天降」と「天降」と―古事記研究大系 10 『古事記の言葉』高科書店一九九五・七)。 ○天之御柱 この「天之御柱」を、次の「八尋殿」の柱とする見方と、「八尋殿」とは別に立てられたものとする見方とに分かれている。『日本書紀』の一書に「八尋之殿を化作し、又天柱を化堅す」とある。この場合は別物と捉えられる。「天の御柱」を廻るという言い方からするならば、別々のものと考えるべきか。八尋殿は後に「ミト(聖所)ノマグハヒ」をするその「ミト」に該当する場所、若しくは「クミ(クム=籠もる)ド(所)」に該当する場所か。【→補注十】天の御柱 ○見立 諸説あって定説を見ない。天なる御柱になぞらえて立てる(古史伝・注釈)。よく見とどけて立てる意(新講・評釈・標註)。現実に立てて。「見」は「現」の略(全書・新注)。「見」は「御」の借字(校注)。確かに見定めて立てる意か(全注・全註釈)。(紀の「化作」「化竪」を参考に)無から現実に存在させるように立てる意(旧全集)。何もないところにぱっと出現させて立てること(角川新訂・新版)。適当な木を前もってよく見選んでおいて、それを立てる意(集成)。発見する・見出すの意(注解・新編)。諸説を見ると、折口信夫は、現実に柱を建てたのではなく、あるものを柱と見立てて祝福したとし、昔の日本人は物事を連想的に見、譬喩的にものを見させていた、というように、民族の思想として「見立て」を説く(「神道に現れた民族論理」『折口信夫全集』三巻、中央公論社一九六六・一)。西田長男は折口説を受けた上で『日本書紀』一書の「化作」「化堅」を参考とし、漢訳仏典において「化作」と翻訳された原語は無いものを有るとみたり考えたりすること、逆にあるものをないものと見たり考えたりすることという意味をもつ、とする(「『見立て』の民族論理―折口信夫博士の偉大さ―」『國學院雑誌』 69 ― 11 、一九六八・十一)。次に毛利正守は、建立の場合、「見」を冠することはないため、見は御であって、「御立て」と考えられると説く(「古事記の『見立て』について」『古事記年報』 13 、一九六九・十二)。また中村啓信は、記紀は同一内容の記事であるから原史料が一つである可能性が高いとし、漢語「化作・化竪」を国語として表現したものが「見立」であり、なにもないところに柱や御殿をぱっと出現させたと見る(「ミタテ(化作・化竪)」『國文學 解釈と教材の研究』 32―2、一九八七・二)。更に矢嶋泉は、諸説整理ののち、注解の「発見」説を否定。「見る」行為には事物を出現させる呪力があり、「見立つ」の場合も同様に、見ることを通じて天之御柱と八尋殿を出現させたとする(「古事記『見立』小考」『青山学院大学・文学部紀要』 40 、一九九九・一)。『古事記』中の「見」は「見る」、「立」は人や物が立つ、若しくは「現れる」であるゆえ、「見たところに立っている」即ち注解が説くように「発見する」意、または矢嶋説の説くような「見ることで顕し出す(見る力で出現させる)」などといったニュアンスか。
○八尋殿  広い・大きな御殿(家屋)の意。八は実数ではなく、広さ・大きさを示す観念的数字であろう。ただし『古事記』の八をすべてそのように見る必要はあるまい。「尋」は両手を広げた長さといわれる。「千尋縄」「一尋和迩」「八尋和迩」「比比羅木之八尋矛」「八尋白智鳥」など。先述の通り、「クミド」「ミト」などの結婚のための籠もりの場と見られる。
○汝身 「汝」は、「ナ・ナレ・イマシ」などの訓があり得る。注解は、平安初期の訓点資料ではナムヂが中心で、他にイマシ・キミが用いられるが、ナ・ナレは用いられない(小林芳規「古代の文法Ⅱ」『講座国語史4文法史』大修館書店一九八二・一二)との指摘を受け、ナ・ナレは上代でも訓読系の言語としては用いられなかった可能性があるのでナムチがよいとするが、「ア・アレ」「ワ・ワレ」との対応を考え、ここでは「ナ」若しくは「ナレ」で訓むことにする。 ○国土を生み成さむ 記伝は「國土は久邇と訓べし」と指摘する。「国土」の語は当該箇所以外に、「議安河而平天下、論小浜而清国土」(序文)、「山川悉動、国土皆震」(上巻)、「登高地見西方者、不見国土」(中巻)以上の三例がある。この国土生成神話が大地の創世神話とは言えず、国土の範囲が天皇の支配領域であるということは、既に津田左右吉に指摘があり、肯われる(津田左右吉『日本古典の研究』上、岩波書店一九四八・八)。「生成」については記伝が「唯生ことなり」といい、諸注釈書に大きな見解のゆれはない。 ○行廻逢是天之御柱而 柱を巡る行為について、松本信広は、『貴州通史』に春の野に木を立てて男女が躍り廻り、配偶者を選ぶ風俗があると指摘。高くそびえるもののまわりを廻ることが結婚の重要な儀式だったと説く(「我が国の天地開闢神話にたいする一管見」『日本神話の研究』平凡社、一九三一年初出。東洋文庫 180 、一九七一・二による)。松村武雄も、『苗族史』に『貴州通史』と類似の記述があると指摘し、天御柱は神霊(特に祖霊)を降ろすものあるいは象徴であり、廻ることは神霊招降(あわせて婚姻への加護を授かる)ための行為とした。さらに天御柱には性的標徴の意味もあると述べている(「國生み神話」『日本神話の研究』二、培風館一九五五・一)。津田左右吉は、メイポールに比す。この柱もしくは木は万物の生成繁殖の力を象徴し、柱を廻って唱和する行為がおこなわれ、男女の結合を誘う機会になることも考えられ、そのような風習の反映がこの物語に見えているかという(「神代の物語」『日本古典の研究 上』岩波書店一九四八・二)。その他、安田尚道は、岐美の御柱めぐりは近親相姦のタブー解消のための清めの儀式だったかとした上で、正月のハダカマワリは原初に於いて人類の始祖イザナキ・イザナミが行ったことの再現であるとし、いろりまわりは原初のカオスに立ち返ること、いろりに燃える火は焼畑耕作で重要なものであり、すべてを焼き尽くしてカオスを生じさせ、新たな生命の誕生を準備するものであると説く(「イザナキ・イザナミの神話とアワの農耕儀礼」『民俗学研究』 36 ―3(一九七一・二)『日本神話研究2国生み神話・高天原神話』学生社一九七七・八による)。丸山顕徳はこの神話は兄妹結婚の弊害を除去する呪術儀礼と、生命体の復活という意味での男女交代の宗教的儀礼の原理とが結合して作られたのではないかとする(「『記紀』イザナキ神とイザナミ神の天の御柱巡りの意味」『古事記・日本書紀論叢  太田善麿先生追悼論文集』続群書類従完成会一九九九年)。 ○美斗能麻具波比 「美斗」は御所とする説(記伝)、陰部とする説(標註)がある。麻具波比について記伝は麻は宇麻であるとし、具波比は久比阿比の約言であるとする(ただし、『古事記』中の「目合」の表現から麻を目の意に解する可能性も指摘している)。六人部是香の説に「美斗は眞處の義にて、(注略)男女の陰處の總名なるべし」という。麻具波比について諸説は交合と理解し、その点に揺れはない。ただしその語構成の問題については評釈が、マグハヒの麻は接頭語、くはひは「咋ふ」に「合ふ」意味の語尾「ふ」が添って活用した物で、「咬はふ」と同源の語「交はふ」の名詞形、また「目交せ」の意からきた言葉ともいい、また、「枕く」の活用した「まぐはふ」の名詞形か、という。三谷栄一は、ミトノマグハヒは男女が夫婦となり共寝をすることによって自然の生殖力を刺戟する儀礼を神話化したものと説く(「説話文学の冒頭第一話と農耕儀礼―イザナキ・イザナミのミトノマグハヒをめぐって―」(『國學院雑誌』 84 ―5、一九八三・五)。 ○汝者自右廻逢我者自左廻逢 記伝は、師説によって「後世には美岐といへども、美岐理なるべし(中略)伊勢が亭子院歌合日記に、かむだちべは、階のひだりみぎりに、みな分て侍ひたまふとあり、美岐理と訓べし」という。左右の問題について記伝は諸説を批判するが、現行諸説においては次のように指摘がある。南面すれば左は東にあることから、東は本にして西は末という(標註)。古い結婚式の反映で、元来は神降しの柱の周囲を男女が宗教的恍惚状態に入って躍り廻る習慣からでたもの(評釈)。『新撰亀相記』に「男女の福、左右はこれに由るなり」とし、附会しているが、卜兆の右廻(右にまわり割れる吉兆)・左廻(左にまわり割れる凶兆)とも関係して説いているようにも思われる(全講)。女が右回り、男が左回りというのは「天左旋、地右旋」(『春秋緯』元命包)や「北斗之神有雌雄…雄左行、雌右行」(『淮南子』天文訓)など、中国の思想に見える(集成)。 ○先言 記伝は『万葉集』の「事先立之」(巻十・一九三五)を参照して許登佐伎陀知弖の訓を提示したが、注解は「先」には順序をいう場合と、時間的な指示語として過去をさす場合があるという。思想の同訓異字一覧の指摘を参照し、この場合は先後の対になっていることから、マヅ(「後」はノチニ)の訓がしかるべき、という。 ○不良 「不良」の訓について記伝は、「余訶良受」「佐賀那志」「布佐波受」の三訓を挙げ、「さて右の三をならべて今一度考るに、なほ布佐波受と訓ぞまさりて聞ゆる」と述べるが、その明確な根拠は示されない。全註釈は「ヲミナサキイヘルハヨクアラズ」と訓むのが無理のない訓みだろう、という。ここにおいて「不良」とされることの理由については、諸説ある。集成は『万葉集』(巻十・一九三五)から求婚に際しては男の方から先に声を掛けるのが通例であったとし、評釈は夫唱婦和の考えが見えると述べる。また、「男尊女卑は支那の影響の多いことは見逃せない。左尊右卑は我が国に見えたが、支那では右尊左卑」とも指摘する(思想も同様)。 ○久美度 記伝は「久美度は、夫婦隱り寢る處を云」と指摘する。「隱み處」の意味で夫婦の寝所とする説の多くは隅処で奥まった夫婦の寝所とする。全註釈・新版は夫婦聖婚の場所とする。他に『日本書紀』の「奇御戸」を参考として、寝所を称える語とする説(講義)や、神秘な場所の意とする説(旧大系)がある。旧全集・注釈は、久美度が八尋殿そのものであるかとする。諸注、婚姻の行われる場所という解釈に揺れはない。「クム」は「隠む」「交む」かと言われるが、未詳。
○興而 須佐之男命の段には「久美度迩起而所生」とある。記伝は「淤許斯弖と訓べし、【多弖々とも、多知弖とも訓は、ひがごとなり、】此は女男交合することを如此言るなり」と述べる。「此言は、かならず御子を生坐ことの端にのみ云て、たゞに交合することのみに云る例なし」という指摘は注意される。「興而」は始める意で、諸注にゆれはない。
水蛭子  記伝は「水蛭子」は御子の名ではなく、水蛭に似た子をいう称であるとする。その意として二つの考え方を述べており、一つは手足が無く外見の水蛭に似るかとし、もう一つに『日本書紀』の「雖已三歳脚猶不立」を参照して、手足の萎々としている様が似るかという。『日本書紀』と『古事記』では出生の順序などその扱いに大きな差異がある。「水蛭」を借字とし、元来は「日子」即ち太陽神的性格の持ち主であったとする説があるが(松村武雄『日本神話の研究』二、培風館一九五五・一によれば、日子説ははやく、滝沢馬琴が『玄同放言』のなかで言及しているという)、注釈・講義による批判もある。また思想によれば、兄妹婚の始祖神話には、第一子が不具の子である例が散見されるという。新講は水辺に縁のあるところから水蛭子と伝えるようになったといい、諸説ある。国生み(島の生み始め)で生んだという文脈において、水蛭子は島の失敗作(ヒルで比喩した)と考えられ、山川振作が「島たるべくして島にあらざるもの」と述べている(「記紀『国生み』神話の考察―特に古事記の水蛭子淡島について―」『比較文化研究』5、一九六四。「古事記『国生み』神話補考」『比較文化研究』6、一九六五)。実体として形が似ているのではなく、島たりえない「ぐにゃぐにゃ」を比喩、と注解・新編が述べるのがよいか。新版は完備しないものの譬喩であり、国土に相応しない子とする。
○葦船 記伝はこの船について二説挙げる。一つは書紀簒疏の「以葦一葉船也」という記述に基づき(評釈は葦の葉片が舟の形に見えるのでこう云ったのだろう、とする)、または葦を多く集めて作ったものかという。なぜここで「葦」の船なのかという問題については、葦が疫病や災禍を祓う呪力を持つと考えられていたからとする説(全講・集成)、アシ(悪)キ子であるからアシ船に入れて流しすてたといっているという説(注釈)がある。 ○淡嶋 記伝は「親御神の淡め惡み賜し故」に淡嶋と名付けられたという。また、アハはアワと音通で沫嶋の意とする説もあり(評釈・大成)、「アハ」は「アハシ」の語幹「アハ」として、古史伝の「淡は淡薄して實なきを云ならむか。其は蛭子の萎々したる狀など思ひ合すべし。」という説を採るものもある(講義)。実際の地名比定に関しては、『新撰亀相記』に「今在阿波國以東海中無有人居。不入子列」とあり、新注は前掲山川論の明石海峡北岸寄りの粟粒を並べたような暗礁という説を挙げる。角川新訂は阿波方面の名とし、阿波方面に対する悪感情を指摘する。しかしその一方で、「どの島を指すか明らかでなく、又観念上の架空の島であるかも知れない」と全註釈が言うように、特定の島を比定する必要性について懐疑的な注釈書が多い。「淡し」などの語幹「アハ」をその本質とした、神話上の島名として解することに意義があるのであろう。「水蛭子と違って一応嶋をなすにはいたったが、ちゃんとした嶋たりえなかった」(注解)、「国土に値しない子」(新版)という解釈がある。仁徳記の五三番歌謡では、淤能碁呂島・檳榔の島・佐気都島とともに列挙されている。 ○請天神命 天神諸の命によって事を成したという前文と照応する(講義)。天神の主導において物事を為していく『古事記』の姿勢が覗える(全講・新全集)。この箇所の「天神」については、造化三神をさすとする(新講)、別天神五柱とする(旧大系・新全集)、別天神五柱のなかでも特に産霊二神をさすとする(全講)などがある。 ○布斗麻迩尒 「布斗」は称辞(記伝)。記伝は、布斗麻迩は上代の一種の卜であり、「諸卜の中に殊に重く、主とせし卜と聞えたり」という。伴信友『正卜考』は「麻邇は尋常に、麻々と云ふと同じほどの言にて、此にては、神慮に任せ、神慮に隨ふ意」とする。天石屋戸段にみえる「占合」の記述が布斗麻迩の方法であろうとする説もある(旧大系)。全講は、国生み神話に太占があらわれるのには、春の祈年祭における卜事の印象が神話化したものだからであろう。という。諸説、「布斗」が美称であり、「麻迩」が従順であること(ひいては「神意」に従うこと)、とする点に大差はなく、また亀卜以前の占いが鹿骨によるものであった点に触れるものが多い。注釈は布斗麻迩が「宮廷の公式の卜法」であったことを推定する。現行諸注釈でそれ以上の見解はない。
○卜相而 『万葉集』に「足卜」の表記があり、「アシウラ」とよまれている。(巻四・七三六)観智院本『類聚名義抄』の「卜」字に「ウラナフ」の訓がみえる。訓みの問題について注解は、「ウラヘテ」説と「ウラナヒテ」説を挙げ、前者において記伝が唱えた「アハセの約言」説を否定し、「ウラアフ」説は「ウラ(卜)+アフ(合・下二)」の約と考え、その実例として鴨脚本日本書紀(嘉禎二年点)、北野本日本書紀(南北朝期点)を挙げる。しかし、上代にまで遡るか不安が残るとし、「確実性という点からウラナヒテと訓んでおきたい」と結論づけた。標註は「卜相の卜は「心(ウラ)」。相は合の略」という。神の心を問う行為。ここにおいて「卜相」は「天つ神の命以ちて」行われており、神によって「卜相」がなされることの理由について和辻哲郎は「天つ神の背後にはもう神々はない。しかもこれらの神々がなお占卜に用いられるとすれば、この神々の背後になお何かがなくてはならぬ。それは神ではなくしていわば不定そのものである」と述べた(『尊皇思想とその伝統』(『和辻哲郎全集』十四巻、岩波書店一九六二・一二による))。
○故尒 小野田光雄「古事記の助字『尓』について」(『古事記年報』2、一九五五・一)によれば「尒」は記中に 254 例(上巻 82 例、中巻 102 例、下巻 70 例)あり、「於是」によっ て総括される文章中の一節の冒頭をなす。「尒」字をこのような文脈進展に参与する承上の詞として用いるのは漢籍に例がなく、日本の上代文献では『古事記』と『播磨国風土記』のみに見られる用法であるという。小島憲之は、あるいは漢文に習熟した結果自ら案出した用字とも考えられるという(「古事記の文学性」『上代日本文学と中国文学』上、塙書房一九六二・九)。また「故尒」は28例見受けられるが、その使用には著しい偏在があり、上巻20例、神武記6例、景行記2例であって下巻には用いられない。全講は「故尒」について「一種の発語で、口誦のあとがうかがわれるようである。従って、漢文の『故に』の意ではない」と述べているが、右の偏在と関わるかも知れない。なお、伊土耕平「『古事記』の「故尒」について」(『国語国文』 65 ―1、一九九六・一)は、「故」に叙述内容を確認・強調する副詞的機能があること、また「尒」は単純継起的に文をつなぐ働きがあると指摘したうえで、『古事記』の「故尒」は「編者の思い入れが強い段」に集中しており、もと「尒」だけであったところへ「故」が付加されたのではないかと論じている。訓は宣長以来「ココニ」と訓むものが多かったが、「ココニ」であれば『古事記』中には「於是」があるという点や、「尒」はS音で訓まれるという小野田光雄の指摘(前掲論文)もあって「シカシテ」の訓でほぼ定着している。なお、注解は訓点資料の用例をもとに「シカクシテ」と訓んでいる(参照、築島裕「古事記の訓読」『解釈と鑑賞』 31― 10 、一九六六・八)。

本文に戻る

天の御柱(Further comment)

 国生みのきっかけともいえるこの柱について、どのようなものか詳しい描写はなされていない。松前健はその柱の意味について、天地をつなぐ「宇宙の中心」であり、「宇宙軸」を象徴していると説明した(松前健『謎解き日本神話』大和書房、一九九四・六)。この研究には、ミルチァ・エリアーデが『聖と俗』で展開した「世界の柱」「宇宙の柱」についての論の影響が明瞭である。エリアーデはこの中で、世界中のさまざまな地域に、聖柱を立てたり、崇拝したりする例があることに注目した。エリアーデによれば、それらの柱は、その周囲に居住可能な世界を生み出す中心点の象徴であるという(ミルチャ・エリアーデ『聖と俗』風間敏夫訳、法政大学出版局一九六九・一〇。第一章  聖なる空間と世界の浄化)。また、こうした聖なる木の柱は、ゲルマン神話に登場するユグドラシルのように世界を支える宇宙軸という意味も持つ(ミルチャ・エリアーデ『豊饒と再生』久米博訳、せりか書房一九七四・七)。
 「天の御柱」もその周囲で国生み、神生みが為されるわけであるから、そうしたエリアーデのいう世界を生み出す中心点、宇宙軸の象徴であると考えられるということであろう。こうした比較宗教史的な観点から、その象徴性を明らかにするだけではなく、樹木信仰との関わりや心御柱、諏訪の御柱祭、杖立て伝説と言われる一連の伝承など、広く日本の民俗との関連も調べてみる必要がある。〔平藤喜久子〕

 This pillar can be considered as the starting point for procreation of the land, but the text does not describe it precisely. Matsumae Takeshi 松前健 (1922–2002) understands it as a“cosmic center”that connects heaven and earth and explains that it symbolizes the“axis of the universe.”(1) This thesis clearly has been influenced by the concepts of “Cosmic Pillar” or “Universal Pillar” (axis mundi) developed by Mircea Eliade in his book The Sacred and the Profane. Eliade notes that in many regions of the world people plant sacred stakes and worship them. He sees in all these pillars the symbolism of a “Central Point” that produces a habitable world around itself.(2) Eliade also argues that these sacred wooden pillars carry as well the meaning of an axis mundi supporting the world, as with the Yggdrasil tree in German mythology.(3)
 In the case of the Kojiki, the procreation of the land and deities takes place in the vicinity of the celestial pillar. For that reason scholars such as Matsumae Takeshi have seen it as an example of Eliade's symbolism of the axis mundi, the central site that gives birth to the world. The comparative standpoint of the history of religions not only makes it possible to clarify the symbolism of the pillar, but also calls attention to the need to explore the celestial pillar's relationship to various aspects of Japanese folklore, such as tree worship, the ritual of the sacred pillar (shin no mihashira 心御柱) performed at some Shinto shrines, the “pillar-riding ritual” (onbashira sai 御柱祭) of the Suwa Shrine 諏訪神社, or the series of oral traditions known as “legends of planting a walking stick” (tsuetate densetsu 杖立て伝説).
Hirafuji Kikuko 平藤喜久子

Notes

(1) Matsumae, Nazotoki Nihon shinwa, pp.54–55.
(2) Eliade, The Sacred and the Profane, pp.32–47.
(3) Eliade, Traité d’histoire des religions, pp.238–39.

天の御柱(Further comment)

 国生みのきっかけともいえるこの柱について、どのようなものか詳しい描写はなされていない。松前健はその柱の意味について、天地をつなぐ「宇宙の中心」であり、「宇宙軸」を象徴していると説明した(松前健『謎解き日本神話』大和書房、一九九四・六)。この研究には、ミルチァ・エリアーデが『聖と俗』で展開した「世界の柱」「宇宙の柱」についての論の影響が明瞭である。エリアーデはこの中で、世界中のさまざまな地域に、聖柱を立てたり、崇拝したりする例があることに注目した。エリアーデによれば、それらの柱は、その周囲に居住可能な世界を生み出す中心点の象徴であるという(ミルチャ・エリアーデ『聖と俗』風間敏夫訳、法政大学出版局一九六九・一〇。第一章  聖なる空間と世界の浄化)。また、こうした聖なる木の柱は、ゲルマン神話に登場するユグドラシルのように世界を支える宇宙軸という意味も持つ(ミルチャ・エリアーデ『豊饒と再生』久米博訳、せりか書房一九七四・七)。
 「天の御柱」もその周囲で国生み、神生みが為されるわけであるから、そうしたエリアーデのいう世界を生み出す中心点、宇宙軸の象徴であると考えられるということであろう。こうした比較宗教史的な観点から、その象徴性を明らかにするだけではなく、樹木信仰との関わりや心御柱、諏訪の御柱祭、杖立て伝説と言われる一連の伝承など、広く日本の民俗との関連も調べてみる必要がある。〔平藤喜久子〕

 This pillar can be considered as the starting point for procreation of the land, but the text does not describe it precisely. Matsumae Takeshi 松前健 (1922–2002) understands it as a“cosmic center”that connects heaven and earth and explains that it symbolizes the“axis of the universe.”(1) This thesis clearly has been influenced by the concepts of “Cosmic Pillar” or “Universal Pillar” (axis mundi) developed by Mircea Eliade in his book The Sacred and the Profane. Eliade notes that in many regions of the world people plant sacred stakes and worship them. He sees in all these pillars the symbolism of a “Central Point” that produces a habitable world around itself.(2) Eliade also argues that these sacred wooden pillars carry as well the meaning of an axis mundi supporting the world, as with the Yggdrasil tree in German mythology.(3)
 In the case of the Kojiki, the procreation of the land and deities takes place in the vicinity of the celestial pillar. For that reason scholars such as Matsumae Takeshi have seen it as an example of Eliade's symbolism of the axis mundi, the central site that gives birth to the world. The comparative standpoint of the history of religions not only makes it possible to clarify the symbolism of the pillar, but also calls attention to the need to explore the celestial pillar's relationship to various aspects of Japanese folklore, such as tree worship, the ritual of the sacred pillar (shin no mihashira 心御柱) performed at some Shinto shrines, the “pillar-riding ritual” (onbashira sai 御柱祭) of the Suwa Shrine 諏訪神社, or the series of oral traditions known as “legends of planting a walking stick” (tsuetate densetsu 杖立て伝説).
Hirafuji Kikuko 平藤喜久子

Notes

(1) Matsumae, Nazotoki Nihon shinwa, pp.54–55.
(2) Eliade, The Sacred and the Profane, pp.32–47.
(3) Eliade, Traité d’histoire des religions, pp.238–39.

先頭