國學院大学 「古典文化学」事業
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傍丘磐坏丘南陵
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陵墓データベース凡例
傍丘磐坏丘南陵
読み
かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ
ローマ字表記
Kataokanoiwatsukinookanominaminomisasagi
被葬者名
顕宗天皇
代数
第23代
陵墓の所在地
御陵は片岡の石坏岡の上に在り
住所
奈良県香芝市北今市
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緯度/経度
北緯 34°33'01.9"
東経 135°42'00.8"
古墳名
墳形
自然丘
被葬者の事績
市辺之忍歯王の御子。近飛鳥宮(現在の高市郡明日香村八釣)で天下を治めた。父が雄略天皇に殺害されると、同母兄・意富祁王(のちの仁賢天皇)とともに播磨国に逃れた。山部連小楯に発見されると、姨・飯豊王によって皇位継承者に位置づけられ、兄王と皇位を譲り合った末に即位する。父の御陵を造営する際、その遺骨の場所を覚えていた老女に惜しまず報償を与える一方、逃げる際に食料を奪った猪甘の老人は探し求めて処刑し、その一族も膝の腱を断ち切るなど容赦ない処罰を加えた。また、父を殺した雄略天皇の霊に復讐を試み、その御陵を破壊しようとしたが、兄に諫められて撤回している。
URL
備考
宮内庁により治定されている。
河内坂門原陵
傍丘磐坏丘南陵【参考地】
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