國學院大学 「古典文化学」事業
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宗像大社
読み
むなかたたいしゃ
ローマ字表記
Munakatataisha
主祭神
田心姫神(多紀理毘売命)、湍津姫神(田寸津比売命)、 市杵島姫神(市寸島比売命)
住所
福岡県宗像市田島2331
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緯度/経度
北緯 33°49'52.4"
東経 130°30'51.2"
略縁起
「沖津宮」(沖ノ島)、「中津宮」(大島)、「辺津宮」(田島)の三つの宮から成る神社。『日本書紀』巻第一神代上第六段一書第一に、日神と素戔嗚尊とのうけいによって誕生した三女神を、日神が筑紫洲に降し、「道中に降り居て、天孫を助け天孫の為に祭られよ」と教えたことが見え、これが当社の創祀であるという。同段一書第二には、市杵島姫命は「遠瀛(おきつみや)」に鎮まる神、田心姫命は「中瀛(なかつみや)」に鎮まる神、湍津姫命は「海浜(へつみや)」に鎮まる神と見え、それぞれ当社の沖津宮・中津宮・辺津宮のことであるとされる。同段一書第三には三女神を宇佐島に降し、「今、海の北の道の中に在す」と見える。『古事記』では多紀理毘売命が「胸形の奥津宮」、市寸島比売命が「胸形の中津宮」、田寸津比売命が「胸形の辺津宮」に鎮座する神であると伝える。奉斎氏族については、『古事記』と『日本書紀』巻第一神代上第六段本書は「胸肩君」とし、第六段一書第三では「水沼君」とする。記紀間で神名に違いはあるものの、奈良時代には既に当社が現在地に鎮座し、三女神が祭られていたことがわかる。古来より海上交通守護の神として朝野の信仰篤く、朝廷による祭祀が行われていたことが昭和二十九年(1954)以降の数度に渡る沖ノ島祭祀遺跡調査によって、多くの神宝が出土したことから明らかにされている。延喜式神名帳、筑前国宗像郡に「宗像神社三座」とあり名神大社に列する。
URL
宗像大社【公式HP】
https://munakata-taisha.or.jp/
備考
宮崎神宮
焼津神社
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