國學院大学 「古典文化学」事業
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恵我長野北陵【参考地】
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恵我長野北陵【参考地】
読み
えがのながののきたのみささぎ【参考地】
ローマ字表記
Eganonaganonokitanomisasagi
被葬者名
允恭天皇
代数
第19代
陵墓の所在地
御陵は恵賀の長枝に在り
住所
大阪府藤井寺市津堂
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緯度/経度
北緯 34°34'55.1"
東経 135°35'36.4"
古墳名
津堂城山古墳
墳形
前方後円
被葬者の事績
仁徳天皇の御子。履中天皇・反正天皇の同母弟。遠飛鳥宮(現在の高市郡明日香村)で天下を治めた。はじめ病気によって即位を躊躇していたが、新羅大使・金波鎮漢紀武の処方薬によって快癒した。天下の氏姓に誤りが多いことを愁い、八十友緒(朝廷に仕える人々の総称)の氏姓を定めたとされる。後継には木梨之軽王を指名したが、王は天皇の崩御後に同母妹・軽大郎女と密通したことで人臣の支持を失い、異母弟・穴穂命(のちの安康天皇)が即位することになった。捕らえられた王は伊予に流され、追いかけてきた軽大郎女とともに自害した。
URL
備考
宮内庁により「藤井寺陵墓参考地」として治定されている。
恵我長野北陵
菅原伏見西陵
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