國學院大学 「古典文化学」事業
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多比高鷲原陵【参考地】
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多比高鷲原陵【参考地】
読み
たじひのたかわしのはらのみささぎ【参考地】
ローマ字表記
Tajihinotakawashinoharanomisasagi
被葬者名
雄略天皇
代数
第21代
陵墓の所在地
御陵は河内の多治比の高鸇に在り
住所
大阪府松原市西大塚一丁目
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緯度/経度
北緯 34°34'21.2"
東経 135°34'04.3"
古墳名
大塚山古墳
墳形
前方後円
被葬者の事績
允恭天皇の御子。安康天皇の同母弟。長谷の朝倉宮(現在の桜井市黒崎、または岩坂)で天下を治めた。安康天皇が目弱王に殺された際、敵討ちに難色を示した兄を殺し、王が逃げ込んだ都夫良意富美の家を攻めて王もろとも滅ぼした。また、有力な皇位継承候補者であった市辺之忍歯王も一緒に狩りに出かけた際に殺害しており、自らの即位を盤石なものとしている。また、葛城山で遭遇した一言主神に百官の衣服を献上し、替わりに長谷山口(朝倉宮の近辺)まで見送られるなど、神と友好的な関係を結ぶ伝承のほか、多くの求婚譚が載せられている。稲荷山古墳出土鉄剣銘に刻まれた「獲加多支鹵」は「ワカタケル」と解され、「大長谷若建」の名をもつ雄略天皇に比定されている。
URL
備考
宮内庁により「大塚陵墓参考地」として治定されている。
多比高鷲原陵
河内坂門原陵
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