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伏雷

読み
ふすいかづち/ふすいかずち
ローマ字表記
Fusuikazuchi
別名
-
登場箇所
上・黄泉の国
他の文献の登場箇所
旧 伏雷(陰陽本紀)
梗概
 黄泉国で腐敗した伊耶那美神の体に成っていた八雷神(大雷・火雷・黒雷・析雷・若雷・土雷・鳴雷・伏雷)の一で、右足にいた雷神。
 伊耶那岐神が、変わり果てたその伊耶那美神の姿を見て逃げ去った際、伊耶那美神は、予母都志許売に次いで、八雷神に千五百の黄泉軍を添えて遣わして追わせたが、黄泉比良坂の坂本に到って、桃の実によって退散させられた。
諸説
 神話や伝承の中で、雷神は竜蛇神として姿を現すことが多く、雨や水を掌る神としての性格がうかがわれるが、伏雷を含む八雷神が実際にどのような姿や性格の神として考えられるかは定かでない。その実体についても、雷の神であるとする説と、雷そのものではなく悪霊邪気や魔物、鬼形の類であるとする説がある。
 神名の読みは、フスイカヅチと読む他に、フシイカヅチと読む説もある。その名義について、イカヅチは、イカを「厳」、ツチを「槌」と取る説や、ノヅチやミヅチといった蛇神と関連させて、ツチを蛇の意と取る説もあるが、「厳(いか)つ霊(ち)」(ツは連体助詞)の意と取るのが通説になっている。このうち、チは、カミという比較的新しい、人態的な神霊観と捉えられる霊格に対して、より太古の非人態的な精霊観に基づいた霊格を示すとする見方がある。そこでこのチを「血」や「乳」と同源の生命力を表す語と考えて、八雷神を伊耶那美神の血すなわち生命力から生まれたチ(精霊)の一種とする説がある。「伏」は、雲間に潜む雷を指すという説や、鳴雷に対して、音が潜んで電光ばかりが見える雷を指すという説、また、中国に、雷が一年のある期間は土中に伏在するという考え方があったことから、土雷と合せて、日本でも太古にそうした思想が取り入れられていたことによる命名ではないかとする説がある。また、イカヅチを魔物と取り、神名を、這いつくばっている魔物の意とする説もある。
 『日本書紀』五段一書九の八色雷公には、この神名は見えない。
参考文献
次田潤『古事記新講』(明治書院、1956年7月、初版1924年11月)
中島悦次『古事記評釈』(山海堂出版部、1930年4月)
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
中山太郎「雷神研究」(『日本民俗学 神事篇』大岡山書店、1930年10月、初出1921年10月)
松村武雄『日本神話の研究 第二巻』(培風館、1955年1月)第五章第三節
松村武雄「霊格としてのチの考究」(『神道宗教』13号、1956年12月)
次田真幸「日本神話にあらわれた雷神と蛇神」(『日本神話(日本文学研究資料叢書)』有精堂、1970年4月、初出1958年3月)
松前健「神話における日本と中国」(『松前健著作集 第7巻 日本神話と海外』おうふう、1998年4月、初出1965年9月)
溝口睦子「記紀神話解釈のひとつのこころみ(上)―「神」概念を疑う立場から―」(『文学』1973年10月号、1973年10月)
福島秋穗「記紀に登場する八雷神(八色雷公)をめぐって」(『記紀神話伝説の研究』六興出版、1988年6月、初出1985年3月)
福島秋穗「伊耶那岐命による黄泉国訪問神話の成立時期について」(『紀記の神話伝説研究』同成社、2002年10月、初出2000年1月)
唐更強「『古事記』の黄泉の国神話における「八雷神」に関する一考察」(『国語と教育』(長崎大学国語国文学会)40、2015年12月)

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