國學院大学 「古典文化学」事業
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味白檮之言八十禍津日前
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味白檮之言八十禍津日前
読み
あまかしのことやそまがつひのさき
ローマ字表記
Amakashinokotoyasomagatuhinosaki
登場箇所
允恭記・即位と氏姓の正定
住所
奈良県高市郡明日香村大字豊浦字寺内626
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緯度/経度
北緯 34°28'54.8"
東経 135°48'44.4"
説明
允恭天皇の御代、天皇は天下の氏姓を持つ人々の名が乱れていることを憂い、玖訶甕(くかへ。盟神探湯〔くかたち〕を行うための釜とされる。盟神探湯は神に誓って熱湯に手をくぐらせ、火傷をするかどうかで正邪を判断する神判のこと)を据えて氏姓を定めた地として見える。『日本書紀』允恭天皇条四年秋九月には、「味橿丘之辞禍戸■【石+甲】」(あまかしのをかのことまがとのさき)に探湯瓮(くかへ)を据えて盟神探湯を行ったという允恭記と類似する記事が見える。
関連する地名として、垂仁記に、本牟智和気の御子を出雲大神の宮を拝ませる際に、誰を同行させるべきか占うためのうけいを行った地の一つとして「甜白檮之前(あまかしのさき)」が見え、「味白檮之言八十禍津日前」と同地と解釈されることが多い。
「味白檮(あまかし)」は「甘い実をつけるカシの木」(ブナ科の食用の実をつける「いちいがし」)であるといい、この「いちいがし」が丘に繁茂していたことに由来すると名とされる。また、現在の比定地である甘樫丘(奈良県高市郡明日香村)の北東側には南南東から流れる飛鳥川があり、丘の岬で地形に沿って流れが大きく湾曲する形となっていることから、流れの湾曲すなわち「曲瀬(まがせ)」がウマガセ・アマガシと転じた名称とする、地形に着目した説もある。「前」とは丘の崎、先端のことという。垂仁記・允恭記ともにうけいや盟神探湯の舞台となっていることから、占いや誓約と深く関わる地とする説もある。
「言八十禍津日」という名称については、伊耶那岐命の禊によって発生した「禍津日神」「八十禍津日神」と関連付けて解釈する説が多い。「禍津日神」の禍事を祓った地であることに基づいて名付けられたという説、本牟智和気の御子の同行者を占うためのうけいの際に「禍津日神」を祭神としたために地名として成立したという説、「禍津日神」が集まる・鎮座する地であったために名付けられたとする説などがある。「禍津日神」が善神とするか悪神とするかによって解釈が異なるため、多く議論がなされている。上記した甘樫丘の北東部の飛鳥川の湾曲部、「曲瀬(マガセ)」がウマガシ・アマガシと転じたとする説に基き、「事八十禍津日」も「マガ」に付会した名称であり、この「マガ」が禍事を占う盟神探湯の神事に付会したと解釈する説もある。
なお、現在「甘樫丘」と呼称されている丘陵について周知されたのは飛鳥保存が叫ばれた昭和40年代頃であり、それまでは地元で「豊浦山」と呼ばれていたとされるが、後述する甘樫坐神社の存在や発掘調査の結果と史料上の記述が一致することなどから、記紀に見られる「甜白檮」「味白檮」「甘樫丘」と同一であるとされ、国営飛鳥歴史公園の甘樫丘地区として指定されている。
甘樫丘の近隣には甘樫坐神社があり、本項で地図上に示している場所である。毎年四月第一日曜日には「盟神探湯」の神事が行われる。延喜式神名帳、大和国高市郡に「甘樫坐神社四座」とある甘樫坐神社に比定される。現在の主祭神は推古天皇であるが、かつては八十禍津日命・大禍津日尊・神直毘尊・大直毘命を祭っていたとされ、延喜式神名帳の「甘樫坐神社四座」とはこれらの神を指すとする説がある。また、允恭記の盟神探湯にて用いられた釜は、『弘仁私記』序の注(『釈日本紀』所引)に、大和国高市郡にあり弘仁の頃までは存在していたと伝えられる。この釜が存在した地が甘樫坐神社であるとする説もある。
URL
備考
高市郡教育会編『奈良県高市郡神社誌』(高市郡教育会、1922年9月)
大森志郎「くかだち・まがつひ・ことだま」(『東京女子大学論集』4-1、1953年12月)
上宮道君『和州五郡神社神名帳大略注解巻四補闕』(佐伯有清編・校訂『神祇全書 第三輯』思文閣、1965年12月、1971年5月復刻)
式内社研究会編『式内社調査報告 第三巻 京・畿内3』(皇學館大學出版部、1982年2月)
谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第四巻 大和』(白水社、1985年4月)
西宮一民「「味白檮の言八十禍津日前」考」(『高岡市万葉歴史館紀要』8、1998年3月)
池田末則『地名伝承学論』(クレス出版, 2004年6月)
西郷信綱『古事記注釈 第七巻』(ちくま学芸文庫、筑摩書房、2006年2月、初出1989年9月)
『続明明日香村史 上巻』(明日香村、2006年9月)
相原嘉之「甘樫丘をめぐる遺跡の動態 ―甘樫丘遺跡群の評価をめぐって―」(『明日香村文化財調査研究紀要』15、2016年3月』)
稲田智宏「盟神探湯と禍津日神 ―神格の変容について―」(『神道宗教』256・257、2020年1月)
逢坂
甜白檮之前
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