國學院大学 「古典文化学」事業
MENU
Language
日本語
お問合せ
検索
國學院大學
SNS
本事業について
古事記について
古典籍ビューアー
成果公開
古事記研究データ
古典学総合データベース
お問合せ
検索
プライバシーポリシー
國學院大學公式ウェブサイト
トップページ
古事記研究データ
地名データベース
淡道之穂之狭別島(淡道島)
地名データベース
このDBは
古事記ビューアー
と連動しています
地名データベース凡例
淡道之穂之狭別島(淡道島)
読み
あはぢのほのさわけのしま/あわじのほのさわけのしま(あはぢのしま/あわじのしま)
ローマ字表記
Awajinohonosawakenoshima(Awajinoshima)
登場箇所
上巻・国生み神生み
住所
兵庫県淡路市多賀740
地図を表示
緯度/経度
北緯 34°27'36.0"
東経 134°51'08.9"
説明
伊耶那岐神・伊耶那美神が生んだ、大八島国の第一の島。
淡路島が比定される。アハヂという名は、阿波国へ行く道の意味とされる。淡路国は朝廷への海産物供給や狩猟の好適地として重要な国で、阿波国とともに古来朝廷と関係が深かった。
『日本書紀』四段本書では「産む時に及至り、先づ淡路洲を以ちて胞と為す。意に快びざる所なり。故、名けて淡路洲と曰ふ。」という地名起源が記されているが、これを「吾恥(あはぢ)」と解した上で、軽蔑する意味の「あはむ」がかけられていると見て、大和の人の淡路島への歴史的な感情の反映を汲み取る説がある。
『日本書紀』六段本書には、伊奘諾尊が「幽宮」を淡路につくり鎮座したことが語られている。同書の履中天皇五年九月壬寅(十八日)条にも、天皇が行幸した淡路島で伊奘諾神の神託があったことが記されている。『延喜式』神名帳の淡路国津名郡「淡路伊佐奈伎神社」(現・伊弉諾神宮)がその鎮座地に当たるとされる。なお、『古事記』の有力な写本(真福寺本等)では「淡海(近江)の多賀」に鎮座したことになっているが、単なる誤写とは速断しがたく、一種の異伝とする見方もある。
URL
備考
本居宣長『古事記伝』5(『本居宣長全集 第9巻』筑摩書房、1968年7月)
折口信夫「古代人の思考の基礎」(『折口信夫全集』3、中央公論社、1995年4月、初出1929年11月)
守屋俊彦「淡路島の位置―創世神話における―」(『国文学(関西大学)』10号、1953年4月)
松村武雄『日本神話の研究 第二巻』(培風館、1955年1月)第三章
岡田精司「国生み神話について」(『古代王権の祭祀と神話(第5刷)』塙書房、1979年4月、初出1955年10月)
佐伯有清「日本古代の別(和気)とその実態」(『日本古代の政治と社会』吉川弘文館、1970年5月、初出1962年1~3月)
守屋俊彦「国生み神話と淡路島」(『記紀神話論考』雄山閣、1973年5月、初出1964年6月)
山川振作「記紀「国生み」神話の考察―特に古事記の水蛭子・淡島について―」(『東京大学教養学部比較文化研究』5号、1965年3月)
川副武胤「「日子」(二)「国」「倭」「別」の用法」(『古事記の研究』至文堂、1967年12月)
服部旦「続「国生み神話」批判―島生みの場―」(『中央大學國文』12号、1968年10月)
三谷栄一「国生み説話と淡路・四国との関係」(『記紀万葉集の世界』有精堂、1984年5月、初出1968年12月)
松前健「国生み神話と淤能碁呂島」(『古代伝承と宮廷祭祀』塙書房、1974年4月、初出1971年)
倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、1974年8月)
西郷信綱『古事記注釈 第一巻』(ちくま学芸文庫、筑摩書房、2005年4月、初出1975年1月)
服部旦「国生み神話の構造」(『講座日本の神話3 天地開闢と国生み神話の構造』有精堂、1976年12月)
荻原千鶴「大八嶋生み神話の〈景行朝志向〉」(『日本古代の神話と文学』塙書房、1998年1月、初出1977年3月)
西宮一民(校注)『古事記』(新潮日本古典集成、新潮社、1979年6月)
加賀谷牧子「国生み神話―淡島・淡路島を中心に」(『上代文学研究会会報』7号、1980年12月)
青木周平「淡島と淤能碁呂島」(『青木周平著作集 中巻 古代の歌と散文の研究』おうふう、2015年11月、初出1987年12月)
角川文化振興財団(編)『古代地名大辞典』(角川書店、1999年3月)
熊谷保孝「古代国家と淡路島―国生み神話の背景」(『政治経済史学』422号、2001年10月)
谷口雅博「仁徳記53番歌と国生み神話」(『季刊悠久』146号、2016年9月)
岸根敏幸「古事記神話における淡道之穂之狭別嶋をめぐって」(『福岡大学人文論叢』50巻1号、2018年6月)
淡道島の寒泉(その2)
相津
地名データベース トップへ戻る
先頭