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伊勢の海

読み
いせのうみ
ローマ字表記
Isenoumi
登場箇所
神武記・久米歌
住所
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緯度/経度
北緯 34°42'35.4"
東経 136°44'53.3"
説明
 神武天皇の東征の折、登美毘古を撃とうとしたときに神武天皇が詠った歌、「神風の 伊勢の海の 大石(おひし)に 這ひ巡(もとほ)ろふ 細螺(しただみ)の い這ひ廻り 撃ちてしやまむ」(13番歌)に見える地名。伊勢国の海を意味する。『日本書紀』神武天皇即位前紀戊午年冬十月条に、神武天皇の軍が国見丘(奈良県宇陀市と桜井市との境に位置する経ヶ塚山に比定される)にて八十梟帥(やそたける)との戦いの勝利を期して歌った類歌、「神風の 伊勢の海の 大石にや い這ひ廻る 細螺の 細螺の 吾子よ 吾子よ 細螺の い這ひ廻り 撃ちてしやまむ 撃ちてしやまむ」(8番歌)にも「伊勢の海」が見える。『日本書紀』では、この歌の直後に「歌の意味は大石を国見丘にたとえたもの」として8番歌に対する注記・解釈がなされている。『日本書紀』における神武天皇の大和平定中の歌謡は「来目歌(くめうた)」と注記されており、当歌もそれに含まれる。「今、この歌(来目歌)を楽府で奏するには手の広げ方の大きさ小ささ、声の太さ細さの区別がある」と記されており、来目歌が編纂当時、「楽府」にて奏される宮廷歌謡であったことが知られる。
 神武天皇が大和の地で詠った歌ながら、「伊勢の海」の大石や細螺(しただみ)が現れるという点が議論の対象となっている。当歌において、「伊勢の海」の「大石」「細螺」が詠われる理由として以下の説がある。
 ①『日本書紀』の神武天皇の東征記事に基づき、天皇の軍が熊野を経て伊勢国の境である錦浦(丹敷浦)まで進んでいることから、その時に見た伊勢の海の大石と細螺を思い浮かべて歌ったためとする説
 ②久米歌に詠われる地名が「宇陀」「忍坂」「伊那佐の山」など宇陀地方であることから、久米部の根拠地が宇陀であり、大和朝廷の伊勢平定に活躍したためと推測する説
 ③『伊勢国風土記』逸文の神武天皇が菟田から天日別命に伊勢津彦を討たせたという伊勢地方平定の伝説が、『古事記』『日本書紀』の神武天皇の東征の背景にあることを想定し、伊勢国にて戦った天皇の兵士が歌った歌を後に久米部の軍歌として取り入れたためとする説
 ④伊勢の海人部の宮廷に対する忠誠披瀝歌であったが、それが久米部の伝承管理するところとなったとする説
 ⑤伊勢地方の久米部の従属の誓歌であるためとする説
 ⑥伊勢地方の軍事集団の大歌(大歌所で伝習された風俗歌・神楽歌)とする説
 ⑦伊勢が宮廷に海産物を献上する「御食つ国」であり、『延喜式』第七巻践祚大嘗祭にも神饌として「細螺」が登場するため、「伊勢の海」が歌われたとする説
大別すれば、神武天皇の東征の物語と「伊勢の海」を直接関わらせて解釈する説と、伊勢に出自を持つ集団や久米部によって詠われた独立歌謡が神武天皇の東征伝承に取り込まれたと解釈する説という二つの方向性が存在している。そのほか、践祚大嘗祭で「久米舞」が奏されることと「細螺」が神饌として奉られることから、大嘗祭との関連も説かれている。久米歌・久米舞の担い手や、久米歌・久米舞宮廷歌舞に取り入れられた過程については諸説あり、伊勢との関わりについても確定を見ないといえる。
 「伊勢の海」は現在の伊勢湾に比定される。また、伊勢国に面した海とする説、伊勢南部から志摩にかけての広域の海を指すとする説もある。『万葉集』に歌われる歌枕としての「伊勢の海」の中には、「伊勢の海の 磯もとどろに 寄する波 恐き人に 恋ひ渡るかも」(巻四・600番歌)に見えるように外洋性の荒海を表現したと思われるものがあり、古代の「伊勢の海」は広域の海を指すという。『催馬楽』の伊勢海、「伊勢の海の きよき渚に 潮間(しほがひ)に なのりそや 摘まむ 貝や拾わむや 玉や拾はむや」ではきよき「渚」(波打ち際)とされていることから、平安時代以降は現在の伊勢湾を詠ったものとされる。『催馬楽』の伊勢海には、『万葉集』に見られたような荒々しい外洋性の海としての性格は見いだすことができない。
URL
備考
本居宣長『古事記伝』19(『本居宣長全集 第10巻』筑摩書房、1968年11月)
武田祐吉『記紀歌謡集全講』(明治書院、1956年5月)
相磯貞三『記紀歌謡全註解』(有精堂、1962年6月)
上田正昭「戦闘歌舞の伝流―久米歌と久米舞と久米集団と―」(『日本古代国家論究』塙書房、1968年11月、初出1963年10月)
犬養孝『万葉の旅』(社会思想社、1965年7月)
尾畑喜一郎「膂力婦女譚より久米歌へ」(『國學院雜誌』63-6、1961年6月)
土橋寛『古代歌謡の世界』(塙書房、1968年7月)
土橋寛『古代歌謡全注釈 古事記編』(角川書店、1972年1月)
山路平四郎『記紀歌謡評釈』(東京堂出版、1973年9月)
西郷信綱『古事記注釈 第五巻』(ちくま学芸文庫、筑摩書房、2005年12月、初出1988年8月)
小島憲之・直木孝次郎・西宮一民・蔵中進・毛利正守(校注・訳)『日本書紀(1)』(新編日本古典文学全集、小学館、1994年4月)
角川文化振興財団(編)『古代地名大辞典』(角川書店、1999年3月)
小島憲之・木下正俊・東野治之(校注・訳)『萬葉集(1)』(新編日本古典文学全集、小学館、1994年5月)
虎尾俊哉(編)『延喜式 上』(集英社、2000年5月)
市瀬雅之・佐藤隆・島田修三・竹尾利夫・広岡義隆・村瀬憲夫(編)『東海の萬葉歌』(おうふう、2000年7月)
臼田甚五郎・新間進一・外村南都子(校注・訳)『神楽歌 催馬楽 梁塵秘抄 閑吟集』(新編日本古典文学全集、小学館、2000年12月)
廣岡義隆「伊勢萬葉――その特質――」(高岡市万葉歴史館編『風土の万葉集』笠間書院、2011年3月)
辰巳正明(監修)『古事記歌謡注釈』(新典社、2014年3月)
居駒永幸「神武記の久米歌と散文」(『人文科学論集』63、2017年3月)

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