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久士布流多気(その4)

読み
くじふるたけ
ローマ字表記
Kujifurutake
登場箇所
上巻・天孫降臨
住所
宮崎県西諸県郡高原町 地図を表示
緯度/経度
北緯 31°53'10.2"
東経 130°55'08.4"
説明
 天照大御神・高木神による葦原中国平定の命をうけて、天忍穂耳命の子である邇々芸命が天降った際、高天原から降り立った地。「多気」は「岳」、「久士布流」は「ク(奇)+シ(石)+フル(旧)」で、霊妙な石が年月を経てなった山の意、あるいは「霊異ある」という意味である「奇し振る」と解釈される。「くじふる」については、朝鮮の建国神話に見える、伽羅国の首露王(シュロオウ/ スロワン)降臨の地とされる亀旨(キジ)峰との関連が指摘されている。
 『古事記』には、「竺紫の日向の高千穂の久士布流多気」と記されている。「竺紫(つくし)」は九州全体を指すという説、筑前筑後を指していたとする説、また「日向(ひむか)」については南九州全体を指すという説、西暦700年頃よりも以前は、薩摩・大隅両国は日向国に含まれていたとして、現在の宮崎・鹿児島両県域に相当するという考え方もある。
 神話的思考としては「日向」は「日に向う」、「高千穂」は「高く積んだ稲穂の山」を意味する地名と考えられることから、「竺紫の日向の高千穂」は必ずしも現実の国名である日向国を指しているわけではないと考える説もある。同様に、久士布流多気も現実の山名ではなく、神話上の山とみるのが有力である。
 比定地は、古来臼杵郡知鋪郷とする説と、霧島連峰とする説が主流である。前者は、「チホ」という地名や『日向国風土記』逸文の記述を根拠としたもので、後者は、『日本書紀』九段正文や一書四、六の「日向の襲の高千穂」という記述から、「襲」は「贈於(そお)郡」の古名であるとして、大隅国囎唹郡を想定したものである。
 『日本書紀』九段一書四には「二上峯」という記述があり、東西に峯があって相対する山容と一致していること、また式内社の霧島神社が存在していることから、日向国諸県(もろがた)郡と大隅国囎唹郡(今の宮崎県・鹿児島県の県境)に跨る霧島連峰の高千穂峰や韓国岳に比定する説もある。
 地図には西諸県郡高原町の高千穂峰の山頂(天の逆鉾)を示した。なお、臼杵郡知鋪郷説は「久士布流多気(その1)~(その3)」を、その他の説は「久士布流多気(その6)~(その7)」を参照。
URL
備考
本居宣長『古事記伝』(『本居宣長全集 第10巻』筑摩書房、1968年11月)
宮川宗徳『高千穂 阿蘇―綜合学術調査報告―』(神道文化会、1960年12月)
高千穂町(編)『高千穂町史 年表』(高千穂町、1972年11月)
西郷信綱『古事記注釈 第四巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年10月、初出1976年4月)
長野正「高千穂峯考」『民族史学の方法(木代修一先生喜寿記念論文集3)』(雄山閣、1977年8月)
西宮一民(校注)『古事記(新潮日本古典集成)』(新潮社、1979年6月)
青木和夫・石母田正・小林芳規・佐伯有清(校注)『古事記』(日本思想大系、岩波書店、1982年2月)
中村幸彦・岡見正雄・阪倉篤義(編)『角川古語大辞典 第2巻』(角川書店、1984年3月)
小島憲之・直木孝次郎・西宮一民・蔵中進・毛利正守(校注・訳)『日本書紀(1)』(新編日本古典文学全集、小学館、1994年4月)
中村幸彦・岡見正雄・阪倉篤義(編)『角川古語大辞典 第4巻』(角川書店、1994年10月)
山口佳紀・神野志隆光(校注・訳)『古事記』(新編日本古典文学全集、小学館、1997年6月)
角川文化振興財団(編)『古代地名大辞典』(角川書店、1999年3月)
千田稔『高千穂幻想―「国家」を背負った風景―』(PHP研究所、1999年10月)
西宮一民(編)『古事記 修訂版』(おうふう、2000年11月)
加藤謙吉・関和彦・遠山美都男・仁藤敦史・前之園亮一(編)『日本古代史地名事典』(雄山閣、2007年10月)
嵐義人「日向考―地名の神話性と史実性―」(『古事記年報』56号、2014年1月)
渡邉卓「霧島神宮の創始―天孫降臨神話の聖地―(第1部 第1章)」霧島神宮誌編纂委員会編『霧島神宮誌』(霧島神宮、2019年10月)

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