國學院大学 「古典文化学」事業
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多賀(その1)
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多賀(その1)
読み
たが
ローマ字表記
Taga
登場箇所
上巻・三貴子の分治
住所
滋賀県犬上郡多賀町多賀604
地図を表示
緯度/経度
北緯 35°13'31.7"
東経 136°17'28.0"
説明
『古事記』の三貴子の分治の段の末尾に、伊耶那岐大神が「淡海の多賀」に鎮座したとある。伊耶那岐大神鎮座の現在の伝承地としては、滋賀県犬上郡の多賀大社と兵庫県淡路市の伊弉諾神宮とが挙げられるが、本文の解釈によって『古事記』の記事がどちらに当てはまるかは議論がある。
本項の地図には多賀大社の位置を示した。
「淡海」は近江で、「多賀」は近江国犬上郡の多可郷(『和名類聚抄』)に当たると見なされ、『延喜式』神名帳の同郡にある「多何神社」二座、すなわち現在の多賀大社が比定される。多賀大社の社伝では、現在の奥宮(調宮)のある杉坂山に伊耶那岐神が降臨したのが創祀だと伝えている。
一方、『日本書紀』などでは「淡海」(近江)ではなく「淡路」に鎮座したとなっており、鎮座地の記載の違いが問題になる。『日本書紀』六段本書には、伊奘諾尊(伊耶那岐神)が「幽宮」を「淡路」につくり鎮座したことが語られ、同書の履中天皇五年九月壬寅(十八日)条にも、天皇が「淡路島」に行幸した際、島にいた伊奘諾神の神託があったことが記されている。『延喜式』神名帳の淡路国津名郡「淡路伊佐奈伎神社」、すなわち現在の伊弉諾神宮がそれに当たるとされる。これによって、『古事記』の「淡海」を「淡道」(淡路)の誤写と見る説もあるが、『古事記』の有力な写本(真福寺本等)がみな「淡海」であるため、単なる誤写とは速断しがたく、一種の異伝とする見方もある。一部の写本に「淡路」となっているものもあるが、『日本書紀』などに基づいて手を加えた後世の改変とも考えられている。
なお、『日本書紀』六段本書の異伝には、伊奘諾尊が天に上って復命し、日の少宮(わかみや)に留まったと記す。日の少宮は、天上世界にあると解する説が一般的であるが、古く近江国の多何神社に当てる説もある(『釈日本紀』)。
URL
備考
本居宣長『古事記伝』7(『本居宣長全集 第9巻』筑摩書房、1968年7月)
青木紀元「淡海之多賀と外宮之度相」(『日本神話の基礎的研究』風間書房、1970年3月)
小野田光雄(校注)『神道大系 古典編一 古事記』(神道大系編纂会、1977年12月)
「角川日本地名大辞典」編纂委員会(編)『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』(角川書店、1979年4月)
式内社研究会(編)『式内社調査報告 第十二巻 東山道1』(皇学館大学出版部、1981年2月)
式内社研究会(編)『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』(皇学館大学出版部、1987年10月)
平凡社地方資料センター(編)『日本歴史地名大系 第25巻 滋賀県の地名』(平凡社、1991年2月)
角川文化振興財団(編)『古代地名大辞典』(角川書店、1999年3月)
虎尾俊哉『延喜式 上(訳注日本史料)』(集英社、2000年5月)
須賀
多賀(その2)
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