國學院大学 「古典文化学」事業
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豊国之国前臣
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豊国之国前臣
読み
とよくにのくにさきのおみ
ローマ字表記
Toyokuninokunisakinoomi
登場箇所
孝霊記
他文献の登場箇所
紀 景行12年9月戊辰(5日)条
始祖
日子刺肩別命
後裔氏族
-
説明
豊後国国東郡を本拠地とした氏族。『古事記』には日子刺肩別命(孝霊天皇の御子)の後裔氏族として登場する。『先代旧事本紀』巻10国造本紀には「国前国造」の記述があり、「吉備臣同祖の吉備都命の六世の午佐自命」のときに国造に定められたという。必ずしも『古事記』の伝承とは一致しないが、『古事記』にみえる吉備臣の始祖は若建吉備津日子であり、ともに孝霊天皇の御子であるという類似性が認められる。これに対して『日本書紀』では、景行天皇の熊襲征伐に従った人物のひとりとして、国前臣の祖である菟名手の名がみえる。この菟名手は豊国直らの祖として『豊後国風土記』にも登場し、景行天皇から豊国の統治を命じられた人物である。国造本紀の「豊国造」の項目にも「宇那足尼」とあり、関連性が推測されよう。このような吉備臣・豊国直と結びつく二系統の系譜の存在は、国東半島の地理的条件から、国前臣が吉備(あるいはその背後の大和)・豊国の双方と、流動的な関係を結んでいたことが影響した可能性が指摘されている。
以上のような伝承的な記事を除けば、国前臣に関する史料はほぼ皆無といってよい。ただし「豊後国天平九年正税帳」には「球珠郡(中略)領外正八位下勲九等国前臣龍麿」とみえ、国東郡から離れた球珠郡の郡司であったことが確認できる。この時点で国東郡にも拠地を置いていたかどうかは判然としないが、奈良時代においても豊後国内に勢力を有していたことは間違いないだろう。
参考文献
新川登亀男「国と評の成立」(大分県総務部総務課編『大分県史』古代篇Ⅰ、大分県、1982年3月)
篠川賢「「国造本紀」の再検討」(『日本古代国造制の研究』吉川弘文館、初出1989年3月・1992年3月)
都怒山臣
能登臣
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