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We held a public lecture on classical culture for the 2025 academic year, titled “Shrines Dedicated to Sea and Mountain Deities: Cultural Heritage and Local Communities.

2025.07.29

 令和7年7月6日(日)に鹿児島県霧島市で、令和7年度「古典文化学」公開講演会「海の神・山の神を祭る社-文化財と地域社会-」を開催しました。本講演会は、五神宮会(英彦山神宮、霧島神宮、鹿兒島神宮、鵜戸神宮、宮﨑神宮)と連携し、「九州の神話と神社」を主題に三ヵ年で行っているもので、2年目にあたる本年度は五神宮会に加えて霧島市・霧島市教育委員会との連携のもとに開催することになりました。
 本講演会では、山下建(霧島神宮禰宜)、伊賀昇三(鹿兒島神宮禰宜)、渡邉卓(本学研究開発推進機構准教授)、小水流一樹(霧島市教育委員会社会教育課文化財グループ主任主事)、松本久史(本学神道文化学部教授・研究開発推進機構研究開発推進センター長)の5名が、霧島市に鎮座する霧島神宮・鹿兒島神宮の社殿などの文化財、そして両神宮にまつわる神話・伝承・学問との関わりなどについて講演しました。
 山下禰宜は「霧島神宮のご祭神とご由緒」として、霧島神宮では瓊瓊杵尊をはじめ、日向三代に関わる七柱の神を祭っていることや、霧島神宮の中興の祖である天台宗の性空上人が霧島の信仰を体系づけたこと、また明治7年に官幣大社へ列せられたことで、インフラが整備されて誰でも訪れやすくなったことなど、霧島神宮の歴史を説明された。また、噴火などで焼失した社殿が島津氏によって復興されたことをはじめ、令和4年の御社殿の国宝指定へと至った軌跡が述べられた。
 伊賀禰宜は「鹿兒島神宮のご祭神とご由緒」として、ご祭神である彦火火出見尊(火遠理命・山幸彦)や豊玉比売命の神話について、霧島神宮・鹿兒島神宮に伝わる文化財の龍柱や、鯛の形を模した鯛車など神宮にまつわるものと絡めて説明され、天と地と海の力を宿したのが鹿兒島神宮のご祭神であり、それらの力が結集したのが鹿兒島神宮であると語られた。
 渡邉准教授は「海の神・山の神の系譜」として、「神宮」は皇室の先祖を祀る特別な社であること、霧島神宮・鹿兒島神宮のご祭神である瓊瓊杵尊・彦火火出見尊などについて神名の解釈や記紀の神話の説明をされた。そして、天照大御神から神武天皇までの系譜を確認し、瓊瓊杵尊・彦火火出見尊が山の神の娘・海の神の娘と結婚することで山の力、海の力を手にいれたこと、それは子孫である天皇が国を統治するのに必要であったからだと述べられた。
 小水流主任主事は「文化財から見る二つの神宮~二つの相違点と守る意義~」として、霧島市は2つの神宮を有する全国的にも数少ない市であり、国宝・重要文化財である霧島神宮・鹿兒島神宮の社殿、また両神宮の龍柱など、文化財から見えてくる両神宮の歴史と地域の特徴について、3D社殿等のデータも用いながら説明された。また、廃仏毀釈など文化財の破壊の歴史にも触れ、文化財を守り伝えることが地域を守ることであると述べ、現在の文化財保護の取り組みなどを紹介された。
 松本教授は「近世国学者による日向三代神話理解と古典」として、近世国学による神話理解や研究の流れについて述べられ、天孫が降臨した「高千穂」や神代三山陵についての比定地やそれにまつわる認識などについて説明された。白尾国柱や後醍院真柱など、近世薩摩国の国学者によって「考証」作業がされており、白尾説を本居宣長が『古事記伝』に盛り込んだことが全国に周知される大きな契機になったという。そして、近世期には各地の人々が地域のアイデンティを追求しようとする気運が全国的に広がり、それを国家が追認したのだと述べられた。
 講演会の週は新燃岳や桜島の噴火もありましたが、当日は約230名が来場し、盛況の内に幕を閉じました。

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