國學院大学 「古典文化学」事業
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針間牛鹿臣
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針間牛鹿臣
読み
はりまのうしかのおみ
ローマ字表記
Harimanoushikanoomi
登場箇所
孝霊記
他文献の登場箇所
続紀 天平宝字2年(758)8月庚子朔条
天平宝字3年(759)正月戊寅(11日)条
続後紀 承和2年(835)9月乙巳(3日)条
文実 斉衡2年(855)8月癸巳(17日)条
三実 貞観6年(864)8月8日壬戌条
元慶元年(877)12月25日辛卯条
姓 右京皇別下
旧 7・天皇本紀(孝霊天皇)
始祖
日子寤間命
彦狭嶋命(続後紀/三実)
彦狭島命(姓)
稚武彦命(旧)
後裔氏族
笠朝臣/春原宿禰
説明
播磨国の牛鹿屯倉と関係する氏族。牛鹿は宇自可・宇自賀・宇自加とも書く。『古事記』では、日子寤間命(孝霊天皇の御子)の後裔氏族とされる。この点は『新撰姓氏録』とも一致するが、これに対して『先代旧事本紀』は、日子寤間命の同母兄弟である稚武彦命を牛鹿臣の始祖とする。後述するように、牛鹿臣には笠朝臣に改姓する者が多く、笠朝臣が稚武彦命の後裔を称していたことから、このような錯綜が生じたか、あるいは意図的に改変したものと考えられる。天武13年(684)に朝臣姓を賜っていないように、中央官人としてはあまり振るわず、叙爵者も山道(天平宝字2年〈758〉に叙爵)と秋田(元慶元年〈877〉以前に叙爵)が確認できる程度である。ただし天延2年(974)7月3日付「僧玄耀田地売券」(『平安遺文』2-308)には、平群郡大領として宇自可氏の署名があり、この人物が臣姓であれば、経緯は不明だが牛鹿臣は大和国に勢力を有していたことになる。なお牛鹿をウヂ名とする氏族としては、恵師姓(『正倉院文書』)や宿禰姓(『長徳二年大間書』)のものが確認できるが、このうち牛鹿恵師は牛鹿臣と同族関係にあった可能性が指摘されている。また承和2年(835)に良宗が春庭宿禰へと改姓するが、その後は斉衡2年(855)に武雄、貞観6年(864)に吉人、元慶元年(877)には秋田ら14人と笠朝臣への改姓が目立つ。稚武彦命(笠朝臣の始祖)と彦狭島命(牛鹿臣の始祖)の兄弟関係を前提として、同系氏族のなかでも比較的繁栄していた笠朝臣にあやかって改姓したものと考えられる。
参考文献
佐伯有清『新撰姓氏録の研究』考証篇第2(吉川弘文館、1982年3月)
林臣
平群臣
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