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林臣

読み
はやしのおみ
ローマ字表記
Hayashinoomi
登場箇所
他文献の登場箇所
紀   天武13年(684)11月戊申朔条
続紀  延暦6年(787)6月壬寅(21日)条
後紀  延暦24年(805)8月丁巳(21日)条
    弘仁元年(810)11月戊午(22日)条
    弘仁11年(820)正月庚辰(7日)条
    弘仁11年閏正月甲子(21日)条
    弘仁13年(822)10月丁巳朔条
    天長3年(826)正月甲戌(7日)条
    天長4年(827)正月癸未(21日)条
    天長4年12月壬子(25日)条
    天長6年(829)正月戊子(7日)条
    天長8年(831)3月丙午(8日)条
    天長9年(832)正月辛丑(7日)条
    天長9年7月戊午(28日)条
続後紀 承和5年(838)正月丙寅(7日)条
    承和7年5月癸未(8日)条
    承和8年(841)4月丁巳(17日)条
    承和9年(842)3月辛亥(16日)条
    承和10年(843)正月辛丑(12日)条
    嘉祥2年(849)閏12月庚午(21日)条
文実  仁寿元年(851)11月甲午(26日)条
    斉衡元年(854)12月庚辰(29日)条
    天安元年(857)正月丁未(8日)条
三実  貞観9年(867)正月8日己酉条
    元慶3年(879)12月21日丙午条
    元慶8年(884)2月28日己未条
三代格 18・夷俘幷外蕃人事・天長5年(828)正月2日付太政官符
風   出雲国風土記
姓   左京皇別上
    河内国皇別
始祖
波多八代宿禰
武内宿禰(姓)
後裔氏族
林朝臣/紀朝臣
説明
 河内国志紀郡拝志(はやし)郷を本拠地とした氏族。『古事記』では、波多八代宿禰(武内宿禰の子)の後裔氏族として、波多臣らとともに名があげられている。ウヂ名は本拠地に基づくものと考えられるが、『紀氏家牒』には羽田八代宿禰の孫が三羽矢をよく作ったことから羽矢師宿禰を称したとの伝承を載せる。天武13年(684)に朝臣姓を賜っているが、この系統は早くに衰退したらしく、六国史から具体的な活動が確認できるようになるのは、延暦6年(787)に河内国志紀郡の人である林臣海主・野守らが朝臣姓を賜って以降である。かれらが『新撰姓氏録』河内国皇別に立項された林朝臣の祖と考えられる。また左京皇別上にも林朝臣が立項されているが、これも天武13年に朝臣姓を賜った系統とは異なり、延暦24年(805)に近江国から左京に貫付された林朝臣茂継の系統と理解できる。叙爵者として山主・真純・土主・常継・宮吉・氏子が確認でき、ことに山主は従四位下まで達した。当初は外階コースに位置づけられていたが、真純・山主が相次いで従五位下に叙された弘仁末年以降、内階コース移されたようである。なお斉衡元年(854)には並人が、同じ武内宿禰後裔氏族である雀部朝臣の春枝とともに、紀朝臣へと改姓している。ほかに林をウヂ名とする氏族としては、林連・林宿禰・林史・林忌寸・林(無姓)がいるが、これらは大伴室屋後裔氏族や渡来系の別族である。
参考文献
佐伯有清『新撰姓氏録の研究』考証篇第2(吉川弘文館、1982年3月)
佐伯有清『新撰姓氏録の研究』考証篇第3(吉川弘文館、1982年7月)

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