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桜井臣

読み
さくらゐのおみ/さくらいのおみ
ローマ字表記
Sakurainoomi
登場箇所
孝霊記
他文献の登場箇所
紀   舒明天皇即位前紀・推古36年(628)9月条
    天武13年(684)11月戊申朔条
姓   左亰皇別上
始祖
蘇我石河宿禰
後裔氏族
桜井朝臣
説明
 河内国石川郡を本拠地とした氏族。天武13年(684)に朝臣姓を賜った。『古事記』には蘇我石河宿禰(武内宿禰の子)の後裔氏族とあり、蘇我臣らと同族関係にあったとするが、『新撰姓氏録』では蘇我稲目の後裔とする。『日本書紀』舒明天皇即位前紀には桜井臣和慈古が登場し、山背大兄王の使者として三国王とともに蘇我蝦夷のもとへ派遣されている。堅塩媛(稲目の娘)が欽明天皇との間に桜井皇子を儲けていることから、その前後に蘇我臣と桜井の地が関係をもったとみなし、和慈古は稲目の子、蝦夷にとって叔父にあたる人物と推測されている。六国史から確認できる桜井臣の氏人は和慈古だけであり、その多くは下級官人に終始したものと考えられる。9世紀末以降の史料からは、左衛門少志(『政事要略』巻30)・左京大属(『平安遺文』232)・右衛門少尉(『法曹類林』巻200)・検非違使(『貞信公記抄』承平元年〈931〉4月5日条)・采女(『同』天慶9年〈946〉11月18日条)などに、その活動の痕跡をうかがうことができる。なお同じく「桜井」をウヂ名とする氏族として桜井宿禰がいるが、こちらは後漢霊帝の末裔を称する渡来系の別族である。
参考文献
佐伯有清『新撰姓氏録の研究』考証篇第2(吉川弘文館、1982年3月)

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